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『つぐない』テレサ・テン【ウクレレ 超かんたん版 コード&レッスン付】 [音楽]



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在宅生活で新しく買ったもの [雑感]

在宅生活で新しく買ったもの 本やキッチングッズが男女とも上位に - ライブドアニュース

1位「単行本・文庫本」、2位「料理・キッチングッズ」、3位「映画(DVD・ブルーレイ・動画配信サービスなど)」だそうです。私はいずれも購入していません。

私が買ったのは、日用品と食料以外には、赤外線の体温計と紫外線でスマホを消毒するデバイスだけです。合計で6,000円です。コロナがなければ、ぜったいにしなかった無駄な買い物です。

老眼なので、いずれ画面の大きなノートパソコンも買いたいとは思うのですが、いまはまだ10年前のMacBookも使えるので(処理速度が遅いので、YouTubeを見るのがけっこう辛いですが)、我慢しています。10万円の給付金が振り込まれたら、買いたい気もしますが、やはり買わないでしょうね。無駄でしょうし。

免許の色と運転頻度の関係性を調査 頻度下がるほどゴールド率上がる結果に - ライブドアニュース

ゴールド免許の人がゴールド免許なのは、単に運転しないだけというのは、昔からの定説です。毎日のように運転してれば、事故を起こさなくても、ネズミ捕りに遭遇する機会が高まるので、どうしてもブルーになってしまいます。ということで、どっちのほうが事故を起こす危険性が高いかといったら、運転に慣れていないゴールド免許の方かもしれません。自動車保険会社がきちんと調査をし、その正しさが証明されたら、ゴールド免許の人の保険料を高くして、ブルーの人のほうを安くしなければいけなくなります。そうなったら痛快です。私もブルーなんでね。でも、ケーサツの野郎たちは黙っていないでしょう。

無駄学! [学問]

その買い占め必要ですか?コロナ危機に「無駄学」の勧め [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

渋滞学で有名な西成活裕・東京大学教授がまた新しい学問を提唱しているそうです。面白い方です。天才なんでしょうね。

たしかに世の中、無駄だらけです。人間そのものが無駄な存在ですからね。

でも、目的によっては、無駄が無駄ではなくなるという西成先生の考えは決して無駄ではありません。

外出自粛期間中、無駄が経済を回していることも、改めて認識させられたはずです。

無駄にクルマで外出すると、無駄にガソリンを使ってタイヤをすり減らし、途中コンビニに寄って、無駄な買い物をして、家に風呂がついているのにわざわざ日帰り温泉に行って、無駄にごちそうを食べたりして、無駄に時間とお金を使うわけです。そういう無駄な時間を過ごさなければいけなくなる原因は、無駄に働くからです。

でも、そういう無駄が、お金を回しているわけで、その結果、自分のところにもお金が回ってくるという仕組みなのですから、無駄な外出や労働は、経済を活性化させるという目的を設定すれば、無駄であるどころか、重要なものになるわけです。

一方、目的を倹約とすれば、不要不急の外出は、悲しいかな、無駄なものになります。しかし、そういう考えは、つまらないですね。人間を成長させません。

よく学生が、こんなことを勉強していても時間の無駄だよとか偉そうな口をきくことがあります。視野が狭いからこその発言であり、私みたいなオジサンは無言の嘲笑で返すのが常です。

つまり、無駄と言っても、それは本人の主観にすぎず、大きな視点から見れば、そんなに単純じゃないことがわかります。

西成先生のおっしゃりたいことは、記事が途中で途切れているので正確にはつかめませんが、おそらくそんな感じのことでしょう。休校期間中の時間を失われた授業時間であると乱暴に決める人がいますが、子どもたちは、その期間も何かを学んで成長してきたはずです。何もしない時間こそが子どもたちを成長させるという事実をいっさい認めない人たちは、少し頭を冷やしたほうがいいんじゃないかと思います。



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「安倍ンジャーズ」シリーズを見る安倍総理 [雑感]



「次の総理として安倍総理以外に誰がいる?」とスシローさんとかフジテレビの平井文夫さんが言っていますが、それは自民党をディスる、いや、日本人そのものをバカにする意見でしかありません。安倍総理を超える人間は他に自民党にはいないし、日本中どこを探しても、ろくな人間がいないと言っているのも同然ですから、日本国民を誹謗中傷しているのと同じです。警察に取り締まってもらったほうがいいです。

しばしば、彼らと同じようなことを言って、政治通ぶっている人がいますが、Brainless Apeちゃん以外だったら、誰でもいいんじゃないかと思います。「ニッポンを、ぶっこわーす!」がモットーの安倍総理より、動物園のサルのほうが遥かにましだと思います。そういうふうに言わないと、日本国民に失礼です。


9月入学って、本当にやるんですか? - 住田昌治|論座 - 朝日新聞社の言論サイト [学問]

9月入学って、本当にやるんですか? - 住田昌治|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

結局のところ、「9月入学」など、サマータイムと同じように、現場の声を無視した政治家や教育評論家などの暇人の主張でしかありません。バカバカしいです。

子どもたちの一部が9月入学に賛成していると言っても、彼らは視野が狭いのですから、大人はさまざまな問題を考慮することを教えてやるべきです。

都合よく、グローバル化に対応できると主張している人もいますが、先進国よりも1年遅く教育がスタートすることになるわけですから(現在は半年遅れ!)、どこがグローバル化への対応なのか、私はさっぱりわかりません。

大学の場合は、留学しやすくなると言われていますが、そもそも留学を考えていても、3年生になると就職活動を始めなければいけないという、日本の間違った就職のシステムを改善しなければ、9月入学にしたところで何も変わりません。思いつきで、9月入学に変更したら、どういう悲劇的な事態になるか想像力のない人たちが多かったら、彼らにその問題点を示し、過度な楽観主義をたしなめなければいけません。政治家にそれができないというのであれば、直ちにお辞めになってもらいたいです。

尾木さんみたいな教育評論家は「修学旅行とか、運動会とか、文化祭とか、合唱コンクールとか、部活動とか、ホームルームとか、卒業式とか、入学式とか、を子供たちから奪ったら、かわいそうだ」と言っていればいいだけの無責任な人ですから、放置プレイでいいです。そういう時代に合わない無駄なイベントをすべて廃止すれば、いくらでも失われた授業時間は取り戻せます。道徳の授業だって中止すればいいのです。小学校は主要4科目に専念し、芸術系の科目は、息抜きで十分です。もちろん、芸術は非常に大切なものです。人間性を高めるものですが、なぜそれらが成績の評価対象科目なのか、いまだに私は理解できません。成績なんかつけてはいけないと思いますよ。

話が横道にそれましたが、教育評論家が、9月入学の議論をしている暇があるんだったら、これからの授業のあり方、オンライン授業の活用の仕方のアイデアを出せばいいんですよ。


ああ、今朝は5時起きで、たまっていたオンライン授業の課題を片付けました。今日は一日リアルタイムのオンライン授業があるので、机の前に張り付いていなけれないけません。



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ワイドショーこそイジメの源泉 [テレビ]

乙武洋匡氏、誹謗中傷報じるワイドショーを痛烈非難「すべての責任をネット民に転嫁」 | ENCOUNT

仮想敵を作って、そいつを叩きまくって、日頃の鬱憤晴らしをしてもいいんだと、日本国民にイジメの仕方を教えてきたのは、明らかにテレビです。特に、ワイドショーはひどすぎます。彼らの暴力は昔から目に余るものがあります。25年前のオウム事件で一度懲りたんじゃないですか。TBSのことですけど! なぜいつのまにか復活させたんですかねえ。先日コロナで亡くなった岡江久美子さんはワイドショーのような下品で暴力的な番組の代わりになるTBSテレビの「はなまるマーケット」の司会者の一人でした。彼女の死去が何を象徴しているのか、ワイドショーは、その問題をしっかり考え直すべきだと思います。

テレビはふたたび、「ネット民はテレビの視聴者とは違って、誹謗中傷する知性の低い奴らばかりである」という間違った印象を与え、ネット民叩きを始めました。その手口は暴力団みたいなものですよ。テレビは自らのイジメ体質を直視して、猛省しないと、これからかは芸能人などから提訴されまくりだと思います。

石田純一さんはコロナ回復されたようですが、彼を叩きまくったのは、一部の腐ったネット民とテレビですが、テレビは共犯者というか、むしろ主犯です。

乙武さんは、自身の女性問題で、さんざんテレビで叩かれて、人生を狂わされたんだから、ワイドショーに倍返しをしたほうがいいと思います。「君等のやっていることは、人間としてどうなのか?」と、究極の問いを突きつける資格があります。

権力者に対してものを言うことと、権力のない人の個人的な問題に対して偉そうに口出しするのとは、次元が異なります。権力者にも批判をするなというようなことをいう人がいますが、完全に脳みそが腐っています。小学校からやり直しても、バカはもう直らないと思います。


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「あやうく一生懸命生きるところだった」 会社辞めて知る自由の楽しみ [雑感]

「あやうく一生懸命生きるところだった」 会社辞めて知る自由の楽しみ

他人基準で生きることの辛さ、虚しさ、ばかばかしさ。コロナのおかげで、他人のために、一生懸命に生きるべきではないことが身にしみてわかりました。

それこそが人生の無駄。他人のために生きるというのは、他人にこき使われて生きることです。なぜ他人に執着するかというと、他人に掻き立てられた欲望を満たすためです。

ソーシャルディスタンシングによって、他人との物理的心理的距離をできるだけ取るということが生きるために重要であり、自粛してはいけないことだと教えられました。他人との距離を縮めるよりむしろ、積極的に他人との距離を取るべきだと。これはパラダイムシフトです。

他人に無関心になると、他人と比べることをしなくなります。自分の中の絶対的な価値観を重視する生き方になります。「うちはうち、そとはそと」です。そういう生き方のほうが楽だと思います。がんばってはいけません。がんばらずに、楽しむ方法を考えましょう。


Don't Stand So Close To Me & Nothing Compares - Covid-19 Version [音楽]





笑かそうとして作ってくれたんでしょうけど、いまがいかにクレイジーな時代か、改めて教えてくれる貴重な資料になりそうです(笑)




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「不○不○」みたいな四文字熟語 [雑感]

不眠不休
不撓不屈
不偏不党
不即不離
不承不承
不老不死

「不○不○」みたいな四文字熟語を思い浮かべても、このくらいしか思いつかないし、知りませんでした。調べてみたら、「不耕不織」なる四文字熟語もありました。田んぼを耕さず、機織り(はたおり)もしないことから、生産的な仕事をしないこと、またそのような身分(武士)を指すそうです。私は武士ではないですけど、似たような生活を送っています。

それはそうと、もしコロナがなかったら、毎日「不眠不休」で恐ろしく欲求不満が溜まっていたはずです。しかし、いまはコロナのおかげでさっぱりしています。満員電車にも乗らずに済むし、嫌な人とも会わずに済むのですから。

しかし、「不耕不織」みたいな仕事もいつまでもできるわけではないので、この頃は「晴耕雨読」みたいな生産的な生活がしたくなってきました。

それにしても、世の中眺め回してみると、不要不急のことばかりですね。そもそもこの地球には人間がいらないのでしょう。むだな人間だらけです。

この数ヶ月の間、むだに多用されてきた「不要不急」という言葉で、人生を考え直した人もいるかもしれません。自分は不要不急な人間なんじゃないかと。

そんな「不要不急」な人間が「不要不急」の外出を不承不承避けてきた生活が明日から停止されます。しばらくの間は堂々と不要不急の用事を足すことができるわけです。

コロナに罹った人や、コロナのせいで収入が激減した人は大迷惑でしょうけど、そうではなかった人にとっては、ちょっとしたボーナスみたいなものだったかもしれません。

こういうことを書くと、絶対に怒りだす人もいるでしょうね。勝手に怒ってください。


新型コロナ収束後も「テレワーク続けたい」6割超 生産性本部調査(産経新聞) - Yahoo!ニュース

私も、1ヶ月くらい前までは、自粛生活がいやでしたが、この生活に慣れてくると、まんざらでもない気がしてきました。このまま出講しなくても生きていけるのなら、そのほうがよい気がします。コロナは一時的には収まっても、ワクチンも特効薬も何年経ってもできそうにないらしいですから、私の希望とは無関係に、この生活がしばらく続くのかもしれません。

パンデミックのあとに残ったのはテレビへの不信感 [雑感]

【新型コロナウイルス】同志社女子大・影山貴彦氏 エンタメは不要不急でも不可欠|日刊ゲンダイDIGITAL

この頃、私はテレビを見てニュースを追いかけていないので、世の中の状況がわからなくなっているのですが、「パンデミック」後のメディアのあり方は大きく変わらざるを得ないことだけは明確にわかりました。

情報番組のくだらなさが以前よりはっきり目立つようになったと思いませんか。そのくだらなさを構成する要素はいくつかあると思いますが、真っ先に思いつくのは、勧善懲悪なプロレス的な手口にあります。誰かをわかりやすい敵にして、集中的に攻撃するというやり方です。視聴者は単純な人が多いはずだから、複雑な話をしても、理解できないという思い込みがテレビの側にあるので、どうしても話を単純化して、面白おかしくする傾向があります。わかりやすい敵をでっちあげて攻撃するのは確かに面白いですが、そればかりだと食傷してしまいます。それもチャンネルをかえられてしまわないようにするための方策なので、仕方がないところがあります。しかし、そういうものがつくづく嫌になりました。

もうひとつのくだらなさの要因は、それに関わることですが、テレビは恐怖や不安を煽るようなことをして、視聴者を惹き付けようとすることです。しかし、話をよくよく聞いてみると、話を大げさにしているだけで、ほんとうは大したことではないことばかりです。毎回同じ話を少しだけ色合いを変えて繰り返されるだけで、いくら見ても不安だけが増して、不安はいっこうに解消されることはないことがわかりました。むしろ、誰にぶつけたらいいのかわからない怒りだけがふつふつと湧いてきて、耐え難くなるだけです。

ときどき、テレビの側は、視聴者の荒んだ心を癒そうとして、お涙頂戴のいい話を持ってくるのですが、そのマッチポンプの手口に白けてしまって、アホらしくなってきます。です。できの悪い映画を見ているような気分です。

さらに、テレビ側はそうやって視聴者=消費者の恐怖を煽っておいて、その恐怖を解消するための商品やサービスにお金を使わせようとする魂胆がミエミエなのです。くだらないです。結局、主役はCMであって、情報番組の情報は単なる見せかけにすぎません。メディアの役割は民衆に物事の正しい判断ができるような正確な情報提供ではなく、視聴者に無駄な欲望を喚起させることが主目的になっているのです。

暇つぶしの道具という側面もあります。だから、情報はなんでもいいわけです。ネットで話題のなんとかという動画を持ってきて、おもしろいですねえ、で終わりです。あとになんにも残りません。

メディアの本来の役割はなにかといえば、教育、啓蒙、エンターテインメントだと私は思います。単に不安を増幅させて、テレビから離れられなくしたり、ものを買うことを促すのも結構ですが、視聴者のものを見る目を養うことも同時に行わなければけません。それを怠ってきたテレビへの不信感だけが、パンデミックのあとに、残った気がします。



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