SSブログ

コインチェックの被害者を見下す人たち [マネー・買い物]

仮想なのはコインだけじゃないよね:日経ビジネスオンライン

コラムニストの小田嶋隆さんはさすがに的を射たことを言う。

われわれは、自分に利益をもたらさない情報であっても、他人の損害を伝えるニュースであれば、その情報から一定の心理的充足を得ることができる。メディアのある部分は、その種の情報を売買するために運営されている。


以上のようにメディア批判のジャブを繰り出してから、小田島オジサンは被害に遭った人たちに向けられる罵声に着目する。

テレビやネットには、仮想通貨のハッキングの被害を被った人たちに対する罵声が溢れかえっている。お笑い芸人の被害者など笑いのネタにすらされている。批判する側の声の多くは「やっぱり額に汗して働かなければいけない」とか「日本は製造業の国なんだから、投資なんかで儲けようとするやつが悪い」などというものばかり。それらは、そもそも資本主義というものを理解できていない馬鹿どもの声だ。金利で儲けることがいけないなら、彼らが勤める会社に融資する銀行などの金融機関すらいらない。そんな彼らの馬鹿丸出しの奴隷根性を逆に罵るところこそが、小田島さんの信頼できるところである。

仮想通貨に夢を抱いた人たちの多くは、この世の中で成功できていない人たちだった。そんな人々に無慈悲な罵声を容赦なく浴びせる人たちの心の中に潜むものは何か。それは、弱者への軽蔑である。仮想通貨などに投資しなくても豊かに暮らしていける人たちは、自分たちの労働力に見合った給料をもらって、将来も安定した暮らしが保証されているような人たちなのだろう。そんな彼らは非正規社員やニートをしばしば見下す発言をするが、それと同様に今回の仮想通貨の被害に遭われた人たちへの罵倒は、彼らのいつもの薄汚い「上から目線」が露呈してしまっている。非情な日本人の大好きな自己責任論である。

なにゆえ、仮想通貨に夢を託すのか。それは、法定通貨には夢を抱けないからである。日本社会から弾かれてしまった貧困層は、額に汗して働いても、ブラック企業に搾取され、死ぬまで低賃金で働かされる。しまいにはAIロボットの導入によって、いずれお払い箱にされる運命だ。そのような過酷な現実を知っているからこそ、彼らは仮想通貨に夢を託したのである。(いまだに夢を持ち続けている人もいる。)

仮想通貨は、ブロックチェーンという技術を使っている。それは、ドルや円やユーロなどのような法定通貨とは異なり、国家や国家間が通貨の価値を取り決め、保証するものではない。仮想通貨投資家たちは、国家を信頼しない人たちなので、国家に依存せず、自分たちでお互いに支え合うというシェアリングエコノミーに似た仕組みに共感を寄せる。NEMという仮想通貨は、まさにそれを売りにしたコインであり、仲間内で交換すればするほど価値が上がるという仕組みになっている。それこそがシェアリングエコノミーに親和性の高い人たちの琴線に触れたのである。

このポイントを完全に無視して、被害に遭われた人たちに、「ざまあみろ」というようなことを言ったり、仮想通貨なんて子供銀行のプラスチックのお金みたいなものだと勘違いしている人は、仮想通貨の問題が提示した重要で深刻な論点を全く理解できていない。あまりに知性が低すぎる。

仮想通貨に夢を抱いている人たちの多くは若者だ。これが何を暗示しているのかを想像できないのであれば、彼らのほうがむしろ品格も知性もない軽蔑すべき存在だと言わざるをえない。