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英語に関わる愚民政策に貢献してはいけない [資格・学び]

日本語を活用した英会話習得法:日本語教育が教えてくれる英語教育の方向性 30年先を行く教育手法に学ぶ  2018年06月30日(土)

池田氏は英語を英語で教えることの効果のなさを主張していますが、その点は完全に同意できます。それは150年前のきわめて時代遅れな指導方法だからです。しかし、池田氏が推奨しているパターンプラクティス(パターンの反復練習)には反対です。それは30年どころか、100年以上前の指導法で、応用が効かないし、学習効果が低いことが実証されているものです。英語教育法を学んだ人にとっては、すでに常識になっています。私の同僚に外国人に対する日本語教育の専門家もいますが、彼らに話を聞くと、外国人の日本語学習者の指導でも、パターンプラクティスだけをしているわけではないことがわかります。当たり前です。

池田氏は、日本語教育のほうが英語教育よりはるかに進んでいると考えているようですが、日本語と英語を同じものだと見ていること時点で、言語の特性の相違を理解していないことの証明になっています。日本語の文法は英語と比べたらあまりに簡単なので、日常会話程度なら文法は軽視することは可能です。むしろ問題は文字です。漢字、カタカナ、ひらがな、元の言語とは大きく異なる妙な外来語や短縮語などの学習に時間がかかるはずです。そういう語学教育の基礎的な側面も理解せずに、単純に日本語教育を称賛し、日本の英語教育を貶めること自体、新橋のサラリーマン並みに愚かしいことです。そういう二項対立でものを見る姿勢が偏見そのものだということに気づいていないのは、高い教養を求められる教育者としての資格がないと言わざるを得ません。

現在は、中高の会話偏重で、文法がわからない大学生があまりに多く、その結果、第二外国語(たとえばフランス語)の学習にも変調を来しているという事実を池田氏は知らないようです。私の知り合いのフランス人の先生は、20年前に比べて夏休みが短くなって、授業のコマ数が増えたのに、日本の大学生の知的レベルが年々落ちてきていると、私に会うたびにいつもこぼします。私も同様のことを、現場で実感しているので、彼女に反論することはできません。そのとおりです。

文法がわからないということは、自分が使っている言葉が正しいのか、またそれが自分が思ったとおりの意味で通じているのかが判断できないということです。残念ながら、池田氏が唱導している文法軽視教育は時代遅れも甚だしいものです。それは、知性を高めることはなく、むしろ劣化させることに貢献するものだからです。

百歩譲って、文法にこだわるなという池田氏の考えに従わなければならない時代が訪れたとしたのたら、学習者を知性と目的の観点で2つに分けるべきでしょう。知的レベルの低い人たちは、簡単な会話だけがわかればいいとし、池田氏のいうパターンプラクティスだけをさせるのです。それで池田氏らの、反知性教育派を満足させることができます。しかし、現在3万円程度で販売されている自動翻訳機が1万円以下で安価に販売されるようになれば、そのレベルでとどまる学習の意味が問われることになるでしょう。

もう一方は、きちんと文法を駆使できるように指導し、海外の新聞も軽く目を通すことができるほど教養を高め、学術論文も英語で書けるし、小説や哲学書の翻訳もできるようにし、さらには知的なプレゼン(パブリックスピーチ)もできるように指導するのです。私が目指しているのはこちらです。

現在の文科省の指導は、前者を育てる愚民教育です。そういうバカばかり育てることに腐心する教育者というのは、存在意義があるのでしょうか。私にはそういう連中は信頼できません。池田和弘氏は大阪観光大学国際交流学部教授だそうですが、観光という分野ではそれで満足できるのでしょうが、それ以外の世界もあることを想像できないのは、教育者としても、観光業に携わる人間としても、問題があると思います。

ついでに言わせてもらいますが、いま英語を使って仕事をしている人たちは、英文法をきちんと学び、英語を日本語に正確に訳すことで英語を学んできた人たちです。そのくせ、自分たちが英語ができるようになった方法は間違っていると言って、文法を軽視すべきだと主張するのは、効果が実証されたものを使わず、効果がないかもしれない方法で、いまの子どもたちを教育することなのですから、子どもたちを単なる自分たちの実験材料にしているだけではないでしょうか。そんな身勝手なやり方が許されていいのでしょうか。


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