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渋谷のハロウィーンとお祭りについて [雑感・日記・趣味・カルチャー]

暴徒化するハロウィン。アメリカでは伝統と収穫を祝う(経済効果もある)素朴で楽しい祭りなのですが・・・(安部かすみ) - 個人 - Yahoo!ニュース

渋谷のハロウィーンで若者たちが暴徒化したという話が世間の耳目を引いているようです。若者たちが通りがかった軽トラを横転させたり、クルマの上に乗って屋根をベコベコにしたりする映像が繰り返し流され、非常に不安な気持ちを駆り立てられました。

昨日、TBSラジオの「赤尾珠緒のたまむすび」という番組の中で、コラムニストの小田嶋隆さんが、東京には東北や関西や九州のような大規模なお祭りがないから、ああいう愚かしいことが起きるのではないかと友人の言葉を借りて話していました。確かに、そういう側面はあるでしょう。祭りには、一般大衆が日常生活の中で抱えている鬱憤を晴らすという効果があるからです。

アイルランドを起源とするこのお祭りには、収穫祭の側面があります。それは感謝の祭りですから、人間の善の部分の発露になります。

しかし、一方で、暗くて寒い冬を迎える前の悪魔祓いの意味があります。日本の節分に似ています。その悪魔というのは、人間そのものです。悪魔は外部に存在するものではなく、人間の心の中に潜んでいます。そういう悪は定期的に解放しなければ、来るべき冬の暗黒の中で、自らを悪そのものに変えてしまいます。ある意味、渋谷のハロウィーンは、そんな人間の悪の部分の解放の役目を担っていると考えられます。

全国各地で催されている大規模な祭りでは、思慮深い年長者が悪に陥りがちな若い衆のエネルギーを適切にコントロールしています。祭りというものは、世代間のコミュニケーションを通じて、子供を大人に成長させる機能があるわけです。

一方、渋谷のハロウィーンには、大人はいません。すべて子供です。唯一、若者に対峙するものは、警察です。警察というのは、教師のように子供を正しい方向に導く力は持ちません。単に、矩(のり)を越えた者を武力によって弾圧する権力機構です。そのような抑圧的な存在による弾圧が、若者を暴徒に変えさせているように私の目には写ります。

以上のようなことを、若者も大人もまったく理解していないことは憂慮すべき事態だと思います。自分たち自身の浅慮に対する無自覚が、自らを、そして若者を、悪魔へと変貌させてしまう危険性を我々は歴史を通じて学習しているはずです。これを忘れてしまっていることは非常に危険なことだと思われます。

これを奇貨として、人類は自らについて学ぶことも重要ではないでしょうか。