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2018年に流行った言葉:「〜の末路」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

2018年も今日で終わりです。私は正月より年末の雰囲気のほうが好きです。何かが終わっていくということに趣や達成感を感じ、なぜか希望を感じます。今年を「卒業」する気分ですね。私は君たちより先に、アップグレードしちゃいますよ。君たちは、まだそこでちんたらやっていてください、って感じですね。

卒業といえば、人生を卒業するのも素晴らしいことです。私はNHKの「あの人に会いたい」という10分番組をもう何年も録画し続けているくらい、他人が人生を卒業していく様子を見るのが好きです。生きている人は嫌いですが、死んだ人は大好きです。

それは冗談ですが、「あの人に会いたい」は、人間にとって、ひとつのことをどうやって終えるかは重要な問題であることを我々に教えてくれます。番組に登場するような人たちは日本史に名を刻む立派な人たちですが、私を含め、世の中の99.9%以上は有象無象、烏合の衆で、歴史とは関係がありません。ただのクズ人間です。結局、何も残せず、死んでいくのです。

無念に犬死してく我々の不安を煽ることを生業にしている人たちが、世の中には数多くいます。彼らが新たに発明した表現が表題にある「〜の末路」です。実際、この言葉は数年前から使われていたのでしょうが、今年は特によく目にしたように思えます。私の大嫌いな言葉です。このまま何もしないでいると、最後は残念な結果になるぞと彼らは言いたいらしいのです。彼らは、そうやって他人を脅すことで、穏やかな日常生活を送っている無垢な人々からお金をせしめようという人たちです。クソ野郎です。

君たちは投資をしないと将来、生活保護を受けることになるぞとか、結婚もせず、子供もいない状態だと、最後は哀れな終わり方をするぞとかいうのが彼らの常套句です。そういうふうにして人をコントロールするための言葉として、「〜の末路」という言葉が存在しています。これは俗にいう「不安産業」です。我々は不安産業を1%も信用してはいけません。

あと数時間もすると、初詣に行く人も多いでしょう。明治維新以降だと思われますが、神社だって、不安産業の一つに成り下がっています。神社だけではなく、寺も同じように、人の死を食い物にしているのですから、イヤな存在です。きちんと葬式をしないと、成仏できないとか、祟るぞとか言って脅すのですから。やり口が汚いです。ちなみに現在の「初詣」のスタイルは、成田山新勝寺の発明です。開業したばかりの京成線を使わせて、客を誘導しようというのが、彼らの魂胆です。誰に学んだのでしょうね、この手口は。

今朝、目にした「末路」記事はこれです。

実家離れできない妻がいる家庭の不幸な末路 | ミセス・パンプキンの人生相談室 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

中身を読んでいませんが、どうせろくなものでしょうはないでしょう。時間の無駄です。

世の中にはいろんな人がいるものです。こういう不安産業に関わる人たちは、なにか一つの型に他人をはめ込もうとしています。自分や今の社会(期間限定、地域限定!)が理想とする生き方を提示し、その理想を目指さないと、クズ人間だというレッテルを貼って、他人にマウンティングするわけです。そうやって、自分の価値観を他人に押し付けることで、利益を得ようとするさもしい人間が増えているのかもしれません。我が国の首相もその典型です。私には、そっちのほうがクソ人間に思えます。

賃金や労働時間の動向を示す厚労省の「毎月勤労統計調査」、もはや統計と呼べない重大なルール違反が発覚 | BUZZAP!(バザップ!)

安倍のために、なんでも偽造する時代です。いまは戦時中なのでしょうか。おまえら、死ね〜!

アドラーが警告「褒められて育った人間の末路」 大センセイも納得 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

売文家のクソ記事、もう一個発見。『アエラ』は昔から、クソみたいな記事ばかりで、読むだけ時間の無駄。