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目には目を、歯には歯を [雑感・日記・趣味・カルチャー]

日本人は本当に礼儀正しいのでしょうか。外国人観光客に「日本人は礼儀正しくて、親切ですね」と言われ、いい気になっている日本人が多い気がします。ところが、日本人の目にはそうは見えません。早朝の電車に乗り込み、押し合いへし合いの「痛勤」を日常的に味わっているサラリーマンならば共感してくださると思いますが、日本人の多くはきわめて不躾で乱暴です。皆さん方もまさに痛い思いをしていると思います。満員電車の中で、私を小突いても、謝罪の言葉さえかけない人に対しては、私は可能な限り小突き返してやるようにしています。まさに、ハムラビ法典の「目には目を歯には歯を」です。他者の存在を尊重(リスペクト)しない人たちを慈愛の気持ちで受け入れ、優しく接することは決してしません。

同僚の中にも、他者をリスペクトしない人がいます。数年前、同僚から飲み会に誘われて、下戸であることを伝えながら、善意の気持ちを振り絞って、不承不承参加しました。1回目はそこそこ満足して帰ったのですが、二度目の飲み会に出席したときには、いくら我慢強い私でも愚かしい発言しかしない酔っぱらいたちの相手をするのに疲れ果ててしまいました。半年後、3度目の誘いがあったのですが、「飲み会は苦手なので」と言って断りました。別の機会に、酒飲みが酒を飲めない人をわざわざ参加させるのは、酒代を下戸に負担させるためだと、幹事を担当した人が話すのを耳にしました。私はカモにされたことを知りました。以来、彼に対する不信感を拭い去ることができません。

ある日、彼から仕事の斡旋がありました。労働条件があまりに悪いので、彼に来た話を私の方に回したのはミエミエです。私はその職場の悪評は知っていたので、即座に断りました。それ以来、私は職場で彼に挨拶をしても、挨拶が返ってこなくなりました。彼にしてみれば、私の態度が傲慢だというのでしょう。私は自分が苦手なことは極力避ける人間です。自分がつらい思いをしてまで他人を満足させる奴隷に落ちたくないのです。付き合いが悪い人間であることを恥ずかしいとは思っていません。彼は自分の意のままに操縦できない人間が嫌いなのでしょう。私は近くにいても、彼に挨拶もしませんし、ほとんど会話もしません。彼が参加している同僚との会話にも参加しないように努めています。

昨日、教室で「目には目を歯には歯を」の話をしました。教員をリスペクトしないのだから、私は学生をリスペクトしなくていいという内容です。教員が努力してもその努力が認められないのであれば、学生の努力を認める必要も責任もありません。なぜそんなことを言ったのかというと、学生たちが私の指示を聞いておらず、言われた通りのことをせずに、自分勝手に課題を提出したからです。なぜ教員の指示に従わないのか私にはまったく理解できません。大学に高いお金を払って学問しに来ているのであれば、当然教員の話に熱心に耳を傾け、何かを得ようとするものです。理解できないことがあれば、教員に質問をし、解決しようと努力するものです。ところが、彼らは自分の思い込みだけで課題を提出して、それで良いと思いこんでいるのです。独善的なやり方を通したいなら、それで結構ですが、指示に従わないのですから、評価する必要はありません。基準を満たさないものは、不良品として、廃棄処分にするだけです。そんな不良品を修理してやる必要はありません。あまりに腹が立ったので、「教室にいても時間の無駄ですから、学ぶつもりがないのであれば、さっさと帰って、アルバイトにでも精を出してください」と言ってやりました。その瞬間、「うざい」という言葉がしつけの悪い女子学生の口から出たので、私は即座に彼女を睨み返しました。むろん、課題は中身を見もせず最低点をつけて返しました。まさに「目には目を歯には歯を」の対応です。(これを「パワハラ」だと言うのであれば、教育を放棄したことになります。そう見る人が増えたので、教育が破綻したわけですが!)

教員が学生の言いなりになり、学生は教員にサービスをされて当たり前のような気持ちでいる限り、学びというものはありえません。むしろ学生は(店員や会社員のように!)教員(顧客!)を満足させるためにはどうすればいいのかを考え、試していくことで、自ら学び取っていくのです。客のニーズやウォンツに応えるにはどうすればいいのかを、会社員が考えるのと同じことです。教室でやっていることは、会社でやっていることとまったく同じことだと常々教室で主張しているのですが、「社会人」としての自覚がない社会性のない学生はピンとこないようです。

社会人というのは会社員と同義ではありません。社会とは人間と人間の対等な交流がある場のことです。対等な交流がなければ、誰もが暮らしにくい環境になり、結果、殺し合いが始まり、全滅してしまうでしょう。社会人というのは、そんな野蛮な環境に暮らす人のことではないのは当然です。したがって、社会人というのは他者をリスペクトできる人間のことです。会社に就職すると社会人になるという発想は、日本人独特の思い込みです。英語のa member of societyには、日本人が思い込んでいるようなoffice workerという意味は全くありません。

会社には会社の社会があるのと同様に、学校には学校の社会があります。そして、それらの社会には、共通点も相違点もあります。それそれの小さな社会を総合した大きなカテゴリーの社会もあります。さらに、国境超えた国際社会なる社会もあります。いずれにせよ、いかなる社会であっても、相互にリスペクトし合うことが大前提です。それがない環境は社会と呼ぶに値しません。したがって、学生が教員の指示に従わないのは、反社会的な行為であり、課題を無視されるという罰を受けて当然なのです。

「目には目を歯には歯を」というのは、一義的は、やられたらやり返せという意味ですが、そんな野蛮な状況になることは不健全であり、誰の得にもなりません。したがって、「私は目には目を、歯には歯を」という言葉を、野蛮を正当化するためではなく、野蛮になることを防ぐための言葉として、そしてお互いにリスペクトし合える社会を構築しようという理念を語った言葉として使いたいと思います。

私に向かって「うざい!」という言葉を放った女子学生は、先日私が彼女を叱ったときに「ウケる〜」と言って手を叩きました。そのとき、私がどういう気持ちになったか、お察しください。使い古された言葉ですが、本当に親の顔が見たいです。彼女は人間として終わっています。