SSブログ

ピーター・フォンダが亡くなった! [映画]

Peter Fonda, star of Easy Rider, dies aged 79 - BBC News

ピーター・フォンダ死去のニュースを知りました。日本の新聞のウェブ記事ではかなり軽く扱われているのが残念です。自分でもよくわかりませんが、私は衝動的に『イージー・ライダー』の中の主題曲であるステッペンウルフの"Born to be Wild"のピアノのチュートリアルを探して弾いてみました。いかんせん、ピアノに合う曲ではありませんでした。やはり反体制的なロックはピアノよりエレキギターのほうが合いますね。

ピーター・フォンダは『イージー・ライダー』の主役の一人で、かつプロデューサー兼作家でした。したがって、映画のコンセプトには、彼の思想が色濃く反映されていると見るべきでしょう。

映画の中で、ピーター・フォンダは友人のデニス・ホッパーとともに、「自由」を求めて、ハーレーダビッドソンにまたがり、アメリカ大陸を横断します。青年たちは、現代文明、および権威と権力を批判し、ありのままの自分を受け入れることを体現したような長髪のヒッピースタイルのまま、保守的な地域を旅します。途中、クレージーな弁護士(エスタブリッシュメントのはずなのに!)のジャック・ニコルソンを拾い、一緒に気ままな旅を続けます。しかしながら、最後の最後に、そんなヒッピーのライフスタイルを受け入れることができない南部の野蛮人(!)に彼らは銃殺されてしまいます。この有名なアンチクライマックスの唐突なエンディングに、映画を観る人はだれもが度肝を抜かれることでしょう。

アメリカは、「本当は自由の国ではなかったのだ」と当時、この映画を観た日本人は思い知ったはずです。日本における「ムラ社会」の状況ににもそのまま当てはまりそうな怖い映画です。そして、このエンディングは権力と暴力の象徴であるアメリカの銃社会への批判にもなっています。

上掲のウェブサイトに、ピーター・フォンダの言葉が再録されています。

On his website he said: "Part of my lifestyle you should all remember is having fun. Being funny is a big part of it. After all, if one is in tune, funny is the tune to play. Giving laughter is more fun than giving advice. Giving laughter while giving advice is the jackpot."


「アドバイスをするより、笑わせるほうが楽しいことだ。笑いがアドバイスになっていたら、もっと素晴らしいことだよ」という言葉は素敵ですね。要するに、ピーター・フォンダが言いたいのは調和と笑いが大切だということです。晩年、彼が環境問題に取り組んだ理由が私にはよくわかります。

われわれが暮らしている現代社会は、対立と怒りに満ち満ちています。日々、人々はメディアを通して、争いと憤りを煽る言論に晒されています。すでにそんなネガティヴな素材に触れることに麻痺している人もいるでしょうが、実際は異常事態です。

自然との対立、他者との対立など、さまざまな対立を突き動かすエネルギー源が怒りなのです。怒りを鎮める力は、われわれを支配する現代文明にはもはや存在していないように思われます。では、どこにあるのでしょうか。答えは、『イージー・ライダー』を観れば、わかるかもしれません。

主題歌の"Born to be Wild"とは、「俺たちはもともとワイルドな生き物なんだ。野性をもって生まれてきたんだぞ」という意味です。野性というのは、銃が象徴するような暴力、圧力、権力、排除、排斥とは違います。彼らを射殺した南部人のような野蛮さとは無縁のものです。それは自然との調和ができる能力を意味します。自然環境との調和があれば、自ずと、怒りではなく、笑いが生まれるものです。それがヒッピー文化の真髄です。

前回の参議院選挙で、山本太郎が代表を務める「れいわ新選組」が選んだ候補者の中に、東京大学教授の安冨歩さんがいました。彼は、東京の町中にたくさん馬を配置し、偽物の自然であふれた東京に、本物の自然を取り戻そうと訴えていました。びっくりするメッセージです。馬市が立つ町で生まれた私にはそのメッセージは強く響きましたが、おそらく、彼のメッセージを理解する能力のある人(!)は、いまどきの日本人の中では1万人に1人くらいでしょう。もしかしたら、10万人に1人かもしれません。いや100 万人の1人かもしれません。

それくらい、われわれは現代文明に毒されているのです。『イージー・ライダー』を観て、ステッペンウルフの"Born to be Wild"を聞きながら、地球の未来を考えてみるのも良いのではないでしょうか。

余談ですが、私は、暇すぎて、ようやく心が取り戻せてきたような気がします。忙しいというのは、「心」を「亡」くすと書きます。私はいま暇を持て余しているので、楽しいです。ちなみに、schoolの語源は、暇ですからね。暇は学ぶ時間になるのです。ということは、忙しくて暇がないということは、心を失ってしまうだけではなく、さらに何も学べないないという意味なんですね。怖いですねえ。




共通テーマ:映画