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中高年の独身者と既婚者とでは、どちらが楽か? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

未婚者ほど「ひきこもり中年」になりやすい理由 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

私はここ数年、妻と別れて、独身に戻りたいと思っていました。しかし、その考えはいつしか雲散霧消しました。

ふと思うのですが、もし自分が今、独身で、子供もおらず、たった一人で生活していたとしたら、孤独と不安に耐えられなかったかもしれません。自分で稼いだお金は自分のためだけに使える環境なのですから、守銭奴の私の銀行口座の残高はどんどん増えていたはずです。しかし、そんなものは何の慰めにもならなかったでしょう。いまは息子の学費が高いので、稼いでも稼いでも預金は増えませんし、欲しい車も買えません。ふと気づいたときに、天を仰いで、自分は何のためにこんな暮らしに耐えているんだろうと思うこともありますが、一生一人で暮らさなければいけない独身者の孤独を思ったら、私のほうがまだましかもしれません。

昨晩、用があって穴蔵のような1階の書斎を出て、2階の居間に行くと、妻がテレビで中条きよしの「うそ」を聴いていました。流行歌のランキング番組を見ていて、そのうちの一曲だっただけなのですが、そのときの妻の表情が、ほのぼのとしたおばあちゃんに見えて、ほっとしました。演歌を聞いている人というのは、高齢者という偏見が私の中にあるからかもしれません。とにかく、この頃、妻がおばあちゃんに見えてしまい、ネガティヴな感情を覚えなくなってきました。

妻は、いまだに朝っぱらから、ため息をついて、私のやる気を奪うような癖を直しません。人前でため息はつくんじゃないと、親に教育されなかったのでしょうね。妻のため息を耳にすると私への当てこすりなのだろうかと恐怖を覚えますが、妻にとっては、深呼吸の代わりなのかもしれません。その癖が私を不快にするものであるのは確かですが、対処法としては、私が不快に思うことを意識的にやめればいいだけのことです。妻に変わってもらうことは不可能なので、自分の認識を変える方法を取るしかないのです。私は自分が過剰に傷つきやすい人間(HSP)であると自覚できたので、私の心の反応は過剰なものだと思うようにしました。

独身者として一生を終えること、家族を支えるために馬車馬のように働かされる既婚男性としての一生を比べてみて、どらちがいいのかと考えてみると、まだ馬車馬になる方が楽な気がします。真実はそうではなくても、そうなんだと自分に思い込ますようにしていきたいと思います。