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コロナのせいで中断している、Itchy Bootsさんのバイク世界一周旅行の総集編です。



世界中のみなさんが、どこにも行かれず、相当にストレスが溜まっていると思います。

今朝、妻がホリエモンが茨城のゴルフ場に行くとか言うので、茨城の人から来ないでほしいと言われているという話を教えてもらいました。もちろん、妻は自粛派なので、ホリエモンみたいな天の邪鬼は腹が立つとも言っていました。

そこで私は、ホリエモンは言葉足らずだし、他人の気持ちがわからない人だから誤解を与えるんだよねといって、コロナ対策の2つの考え方について説明しました。

いまコロナ対策には2つの派閥があって、2派に分かれるのは、日本人の能力をどう見るかに関わっているという話です。一つは、日本人はバカで信用できないから、移動制限をかけて、同調圧力によって自粛ムードを作るという方法しか、コロナを封じ込めることができないという派閥です。政府のクラスター対策班の北海道大学の西浦教授の考えはそっちです。

確かに、日本人にはバカが多いと私も思います。県外ナンバーのクルマの車体に傷をつけるようなやつとか、医療従事者や彼らの子弟を差別したりするやつとか、マスク購入を巡って殴り合いの喧嘩をするやつとか、マスクも付けず、入り口のアルコールも使わずにスーパーで買い物をする高齢者とか、問題外です。自分だけは大丈夫だという「正常性バイアス」に囚われている人とか、自分以外は全員敵だと見なす不寛容で無教養で野蛮な人が多数いるのですから、たしかに、日本人の民度は全体的に見ると、低いのかもしれません。したがって、西浦教授の考えは正しいかもしれません。

一方、日本人の能力は高いはずなので、個人の自主努力でコロナを封じ込めるという派閥も存在します。彼らの主張は、自粛が続けば、コロナを封じ込める前に経済が死んで、コロナ感染による死者の数より、自殺者の数のほうが上回ってしまうことを避けなければいけないというものです。京都大学の藤井聡教授の考えです。彼は、感染症予防をすべての国民が行えば、経済をストップせずに、コロナを封じ込めることができると主張しています。たしかに、理論的にはそうです。しかしながら、現実には、手を消毒するにもアルコールを入手できないし、マスクさえも手に入らないという家庭もあります。うちの両親のところはそうです。また、手で口や鼻を触らないようにするのがもっとも効果的だと言っても、それも難しいことです。さらに、安倍政権はこれまでPCR検査も抑制し、抗体検査もしてきませんでした。結果、市中感染を広めてしまい、すべての人が保菌者かもしれないと思える状態を作ってしまったわけです。仮に日本人の民度が高かったとしても、自粛だけでは、防ぎようがないという状況になっています。

以上のように、日本人の能力をどう見るかで、コロナ対策に対する考え方は2つに分かれるわけですが、今の政権は、中途半端です。国民への信頼を前提にして自粛を要請しながらも、同時に経済を殺さないようにしたいことはわかりますが、ケチな安倍政権は十分な生活補償や休業補償をしようとはしません。感染症の面でも、経済の面でも、安倍政権は国民を殺す気満々なのです。五輪開催のために検査数も抑制し、プライマリーバランスを悪化させないために、国民への財政的支援を制限し、カビの生えた布マスクを466億円もかけて自分の利権が絡む企業に作らせておいて国民に配布するという火事場泥棒までしています。実に恐ろしい政権です。

一方、ホリエモンに腹が立つ理由は、自粛派に対して失礼な態度を露骨に示していることです。彼の考えは、経済を止めずに、感染症を止める方法があるということですが、しかし、ツイッターで呟くだけですから、言葉が足らず、庶民の感情を逆なでするような言動を繰り返しているだけに見えてしまうのです。彼は所詮は高卒ですから、バカなでしょう。さらに、検査体制が整っていないので、自分が保菌者であるかどうかさえもわからないのに、自分が他人に感染させる確率があたかもゼロであるかのように錯覚しているわけです。そういう態度が、ホリエモンを、ただの天の邪鬼の嫌な奴に思わせてしまっているのです。
ということで、日本には、「正真正銘のバカ」と「バカを笑うバカ」がたくさんいることは否定しようがないので、西浦教授の言うように、日本人は信用ならないバカであることを前提にして、コロナ対策を進めるしかないのでしょう。今日は朝っぱらから、妻にそんな話をしてしまいました。こういうつまらない話ではなく、もっとどうでもいい愉快な話をしたいものです。

そういえば、来月から高校でも大学でもオンライン授業が始まりますが、先程、次男の部屋に入って、次男と少し話をしました。「せっかく作った制服を家で着てパソコンの前で授業を受けることもないんだから、制服なんて意味があるんだろうかね。おかしいよねえ」という話をしたら、次男は笑っていました。そもそも制服の存在意義ってあるんですかねえ。ハンコみたいにいらないものかもしれませんよ。よくかんがえたら世の中にはいらないものが無数にある気がしてきました。しかし、そんなふうにいらないものこそが文化であり、我々の生活に彩りを与えているものなんですけどね。それらがなかったら、線だけで書かれたシンプルな絵みたいなものです。