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誰かに対する敵意がウイルスの脅威を減じさせることはない [雑感・日記・趣味・カルチャー]

明日から授業が始まるので、いろいろ準備していました。いまの気持ちは嬉しさ半分、不安半分といったところです。学生から明日の授業は対面になるのか、それともオンラインになるのか、という問い合わせのメールが届いたので、対面で行うという連絡をしておきました。お国からの命令を受けて、大教室の講義はオンラインにしても、語学の授業は対面が原則になってしまったらしいのです。本来は話すことを基本とする語学の授業こそオンラインでやるべきなのでしょうけどね。

さっそくある学生から不安にさせるメールが届きました。「同じ部活動の部員の一人が陽性反応が出たので、自分は自宅待機をしなければならなくなりました。申し訳ないのですが、欠席します」という内容でした。他にも、わざわざ連絡をよこさないけれども、目下発症中の学生も何人かはいるかもしれません。

大学の方からいろいろ指導が届いています。どこの大学でもそうなのでしょうけど、換気は30分に1回行い、マスク着用は必須、教室に入る前に必ず手指消毒をし、座席の間隔は少なくとも前後左右1メートルは空けるように、教壇の近くだと、教師が話すときの飛沫が飛ぶので、なるべく教壇のそばには座らないように、教員はマイクを使い、学生に質問をして答えさせる機会を減らし、一斉に大声での発音練習をさせないようになどと言われています。気をつけなければいけないことが一気に増えたので、慣れるまで相当に混乱すると思います。

コロナ禍の1年数ヶ月の間に、私もいろいろ考えました。中でも気がついたのは、誰かに対する敵意がウイルスの脅威を減じさせることはないということです。この事実に気づいている人は案外少ないかもしれません。政権がダメだから、政治家が利権にしがみついているから、野党がだらしないから、官僚が融通がきかないから、医療関係者が怠慢だから、憲法が私権を制限できないから、若い奴らが夜遊びしているから、飲食店が夜も店を開けて闇営業しているから、などと、とにかく誰かのせいにして、鬱憤を晴らそうとする人が多いようです。1年もそういうことをし続けて、何か変わったことはあったでしょうか。明らかに、何も変わりませんね。

要するに、自分にできることをしっかりやるしかないということです。あとは野となれ山となれ、です。死ぬときは死ぬのです。それが自分の運命だったと諦めなければいけません。

コロナ禍の初期はなぜか国はパチンコ屋をスケープゴートにしていました。振り返ってみると、本当にバカみたいです。とんちんかんですね。いまは飲食店が攻撃対象です。しかしながら、飲食店での感染率は老人介護施設や学校などと比べて低いというデータがあります。いまだにそのデータを国は無視し続けています。

私の経験上、家庭内以外で、風邪をうつされる場所は職場(学校)と満員電車でした。ほんとうはそういう人間が密集する場所をできるだけ粗密にする必要があると思いますが、どういうわけか、その事実に触れる人は少ないですね。

今週は対面授業でやれても、来週からはオンラインでやってくれと頼まれるかもしれません。その準備もしておかなければいけません。本当に面倒です。