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[YouTube動画] 自作のピザ窯でピザを焼いて食べる週末 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝は4時台に起床し、今日の分の仕事を6時に終わらせてしまいました。あとはやることはありません。コロナ禍では自分のペースで仕事ができるのが最高です。こんな贅沢はありません。極楽、極楽。



晩ごはんの「ご」を鼻濁音で発音しているところが親近感が湧きます。この方はいつも幸せそうですね。

幸せといえば、私もコロナ禍のおかげで急に幸せを実感できるようになりました。東日本大震災の直後は日常のありがたみに気づいて、幸せを実感する人が多かったようですが、私はそういう気持ちには一切なれませんでした。絆、絆って、本当に鬱陶しかったです。「あんたたちに協力なんかしたくないし、応援もしたくないよ。そもそも他人とくっつきたくないんだよ、あっちへ行ってくれ、気持ち悪いなあ。絆の押しつけはやめてくれないかねえ」という意識が強まるだけでした。

ところが、コロナ禍では、なぜか毎日が楽しくて仕方がないのです。鬱陶しい集まりへのお誘いもないし、自分のペースで暮らせるからでしょう。他人にコントロールされていることを意識せずに済んでいるのが大きな要因だと思います。今ほど自分にマッチした時代はないかもしれません。

私は集団生活が大の苦手です。集団の意向に合わせるのが嫌いなのです。ヤフコメには「五輪は開催するのに、子供の運動会や合唱コンクールや修学旅行は中止になって子どもたちが可愛そう」という政府批判の声がよく見られます。私はその意見に1ミクロンも同意できません。もしいま私が子供だったら、ガッツポーズを出しているはずです。大嫌いなイベントが中止になって、楽しい勉強に専念できるなんて、こんなありがたいことはないと思います。

世の中の多くの人は、集団生活を苦に思わないのでしょう。だからこそ、五輪は開催するのに、子供の運動会や合唱コンクールや修学旅行は中止になって子どもたちが可愛そうだなんてことを平気で言えるわけです。そんな集団暴力的な言葉を耳にするたびに、私はいちいち傷つき、「何もわかってないなあ、あんたたちは!」と心の中で叫んでいます。

ヤフーニュースに「学校は行かなくてもいいのか」という質問がありました。それに対して、大方の意見は学校には行ったほうが良いというものでした。勉強や学歴は重要だからだ、と。勉強は学校という建物に行かなくてもできる時代なのに、何を言っているのか私にはまったくわかりません。集団生活を学ぶことが重要だと言っている人もいますが、集団生活が得意であることが重要かどうかは職種によると思います。学校へ行っても、不特定多数の嫌なやつとどう付き合うかで悩むのが人生経験なのだと思う人がいてもけっこうですが、そんなことをすると自分の人間性が歪むだけなので、できるだけ数名の仲の良い友達と基調な時間を過ごしたほうが幸せだと考えます。私は無理やり性格の悪いバカと付き合いたくありませんし、その義務はまったくないと思います。バカからは距離を置き、あんな人間にはなりたくないな、と思っていたほうが自分のためになると思います。湿度の高い人間関係の中で誰かとベタベタくっついているのが好きな人はそうすればいいのですが、そういう人間関係を築くことが幸せなんだという考え方を他人に押し付けないでほしいです。

世の中には、多様性を認めろ、差別をするなと声高に主張する人が多いくせに、一方で、学校には行け、集団生活に慣れろ、と主張する人が多いのは完全に矛盾しています。彼らは自分自身の中に潜む差別の心に無自覚なのでしょう。コロナ禍で、絆という言葉が使われなくなり、他人と距離を置く(ソーシャルディスタンスを取る)ことが必須になっているのが非常に心地よいのです。ずっとこのまま他人と距離を取っていたいです。私に不用意に近づかないでほしいです。