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私の膝に男性が倒れてきた。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

帰宅列車の中、座席でウトウトしていたら、ガタンと揺れた拍子に、私の左膝のあたりに人の体が当たった。よくあることだと思って、パットを目を開いてみたら、斜め左に立っていた若いサラリーマンがスローモーションで床に倒れて行く途中だった。その様子は、ジャイアント馬場の16文キックを受けたアブドーラ・ザ・ブッチャーがマットに沈む姿を想起させた。

私は何ひとつ言葉をかけられぬまま、彼の顔を観察し、次にどんな行動をすべきか考えていると、彼は床の上で泥酔した人のように眠り始めたかのように見えた。しかし、すぐさま顔と手をピクピクさせ始めた。隣にいた同僚らしき男性が呼びかけると、彼は意識を取り戻し、カッと目を開けた。そして、彼は同僚の手を借り、力なくフラフラっと立ち上がった。

彼の前の座席に座っていた人たち2人がすぐさま立ち上がり、彼に座席を譲ってやった。私も立ち上がったのだけれど、ちょうど手すりで遮られていたので、私が譲る必要はなかった。

彼は放心状態のまま座席に腰掛けた。2駅ほど進んだところで、感情を失ったかのような状態で、苦笑いを浮かべる同僚とともに降りていった。彼は疲労のせいで、立ったまま眠ってしまい、私の膝に胸を打って気絶したという可能性もあるが、19時過ぎだったので、低血糖か貧血だろう。彼はブラック企業で朝早くから夜遅くまで働かされているのかもしれない。突然の出来事で驚いたが、最悪の事態にならずに済んで良かった。

自宅から数十歩のところでスマホの画面がピカピカしているのに気づいた。電話だった。出ると母親の明るい声が聞こえてきた。先日、慢性硬膜下血腫で手術を受けた父のことだった。案の定、手術の結果、認知症の症状が改善し、近々退院することが決まったそうだ。リハビリは自宅で行うのだそうだ。硬膜下血腫は左側だったので、歩くときに右半身が若干ぎこちなくなってしまったというが、頭もしっかりしているので、近所を散歩したりして、懸命にリハビリに励めば、数ヶ月後には旅行にだって行くことができるようになると思う。

とにかく、よかった、よかった。

英語教員にとっての4月とは [資格・学び]

4月は、教員にとって、学生との間で、これから1年間円滑にコミュニケーションを取るための準備段階に当たる。その段階で、英語教員がすべきことは3つある。

第一に、用語の定義を合わせる必要がある。たとえば、テーマとトピックの違い、パラグラフとエッセイの違いなど一から説明する。パラグラフを段落だと思っている人もいるし、トピックセンテンスがわかっていない人たちがふつうなので、話の組み立て方を丁寧に説明してやらなければならない。

第二に、英文法の基礎を伝授する必要がある。いまどきの学生たちは基礎文法をあまりに疎かにしすぎているので、名詞や動詞の扱い方や、品詞という概念(単語の役柄)がわかっていない。もはや驚くべきことではないが、形容詞と副詞の区別すらつかない学生も多い。日本語同様に英語にも形容動詞があると思っている学生もいる。どのクラスにも、そのレベルの学生がいることを前提に話をしなければいけない。私は毎日のように日本人相手に、いわば、異文化コミュニケーションをしているのである。

第三に、英語の発音の基礎を教えなければいけない。世間一般にはオーラル教育が進んでいるように見えているが、大方の学生は、発音がデタラメである。そんな学生に、英語の発音を最初から教えるのは骨が折れる。もっとも、日本人の英語学習者のほとんどは犬(dog)や猫(cat)すら、正しく発音できていないことに気づいていないのだから、仕方がないかもしれない。

以上の3つを教えるのに、5月半ばまでかかってしまう。その後は、その理解を徹底し、適切に運用するためのトレーニング期間に移行する。英語教員としては、そこでようやく軌道に乗った気分になれる。少しは楽になるのだが、学生たちは教えたことをあっという間に忘れてしまうので、折に触れて同じ話をまた最初から教えなければならない。そういう繰り返しを1年間するのが、教員の仕事だ。それを毎年毎年繰り返す。それをすべての15近くのクラスで繰り返す。体力的にも精神的にもきつい。ノイローゼになるはわかっていただけると思う。そのように大変な作業であるにもかかわらず、その労力は適切に評価されることが全くない。将来への不安も拭えない。毎日毎日、「早く死にたい」と思うのもお分かりいただけると思う。


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