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Japanese worker punished for starting lunch three minutes early [雑感・日記・趣味・カルチャー]

Japanese worker punished for starting lunch three minutes early | World news | The Guardian

神戸の64歳の水道局職員が7ヶ月にわたって昼休みを3分早めて弁当を食べていたことが発覚し、罰金を支払わせられる「事件」があった。この不祥事を受けて、当該職員の上司たちが謝罪のための記者会見を開いた。これはきわめて異常な事態ではないかと思う。異常さは、その64歳の職員の態度ではなく、彼を叱責しただけではなく、罰金まで科し、記者会見を開くような上司の感覚に見られるものである。おそらく上司たちも、記者たちも、彼らの異常さにまったく気づいていないと思う。これこそが現代日本人のきわめて危険な部分だと思う。

どうやら日本人は時間に正確であると海外の人達に思われているらしい。また、その考えを自らに押し付けて、日本人というのは時間どおりに動くものだと思い込んでいるふしがある。これはエドワード・サイードの言うオリエンタリズムの典型的な例だ。

当然だが、昔から日本人は時間に正確だったわけではない。想像に難くないが、日本人が時間に正確であると海外の人に意識されだしたのは高度成長期あたりだろう。それを受けて、日本人は自分たちが時間に正確なんだと思うようになったというのが実際のところだと思う。

しかし、高度成長期であっても、バブル期であっても、日本人はさほど時間に正確な生き物ではなかった。自分の子供の頃をよく覚えているが、父親も母親も時間にルーズだった。仕事をサボって、病弱な私を病院に連れて行ってくれたことも多々あった。それでも、当時の人々は、誰も両親たちの行動を非難するものはいなかった。他の労働者たちも同じように時間にルーズだったからだ。それでも世の中は何の支障もなくうまく回っていた。

日本人は時間に正確であるなどいうのは、実際のところ、いまもって幻想ではないかと思う。それは自分たちが信じたいと思っているだけの神話に違いない。首都圏の通勤時間帯や帰宅時間の電車が時刻表通りに来ることはまずないのが、その証拠である。(ついでに言うと、日本人が真面目で几帳面あるというのもファンタジーである。授業中にノートも取らず、机に突っ伏してぐっすり寝入っている学生ばかりなのを見れば、それも嘘であることがわかる。)

私の職場では、たいていの教員は時間にさほど正確ではない。少しの遅刻は当たり前だし、授業を少し早めに終わってしまうのもよくあること。早めに昼休みに入ってしまい、弁当を食べだす人もいるが、誰も文句は言わない。なぜかというと、我々の仕事は、授業時間外のほうがむしろ長いくらいだからだ。そちらの方はまるでタダ働きさせられてるようなものだから、授業の方で手を抜かないと割が合わない。

おそらく、日本中の会社はどこもかしこも、神戸の水道局と同じようなクレージーな組織なのだろう。私も1年ちょっと前に短期的にアルバイトをして実感したのだけれど、時間どおりに仕事を始めて、時間ぴったりに終えるのが当たり前とされていることが窮屈でたまらなかった。労働の質はまったく考慮されず、労働時間という定量的な指標だけで賃金が決まるのだ。労働時間内は、上司に働いているふりを見せる努力をするのである。そんな時間が一生続くと考えると、死にたくなる。日によって、仕事が早く終るときでも、ダラダラと時間が経過するのを待ちつづけるのは効率が悪いのは明らかだ。それはわからない人たちは、ビジネスというものが本当は何もわかっていないのかもしれない。労働者がロボットみたいに管理されている姿を見るにつけ、私には、彼らの労働環境が、思考停止した奴隷たちの世界なのだと思えた。

ガーディアン紙の記事は、日本人は滑稽であるとは書かれておらず、起きたことを客観的に描いているだけだ。しかし、日本人以外のまともな人間がこれを読めば、薄ら笑いを浮かべるだろう。自らを奴隷よろしく滑稽な存在にしている日本人が世界から笑い者になっていることに気づくべきだと思う。日本は本当にみっともない国である。


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