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共感疲労 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

災害報道を見て苦しんでいるあなたへ:北海道地震と共感疲労(碓井真史) - 個人 - Yahoo!ニュース

「共感疲労」なる言葉を「まーさんガレージ」のまーさんに教えてもらった。震災で苦しんでいる人たちに共感するあまり疲労困憊し、日常生活に支障をきたすことを指しているそうだ。

思い返してみると、私が東日本大震災のときに強く苛まれたのは「共感疲労」だったのだろう。私が苦しんだもっとも大きな理由は、実家が被災地に含まれていたことにある。私の両親や弟、親戚の多くが当事者だったし、地震発生から1週間ほど連絡が取れなかったので、それだけでも大いに疲労してしまった。建物の被害はほとんどなかったのが幸いだが、断水は1週間続き、停電もあった。

その上、テレビでは連日連夜、地震による直接の被害だけではなく、原発の水素爆発、津波に飲み込まれる家々の様子を繰り返し流していた。その衝撃的な映像を見るたびに、人間の弱さや愚かさを感じ、思わず知らず涙がこぼれた。

我が家周辺は震度5弱だったけれど、地震対策をしていたので家具が倒れたり、物が落ちたりという被害はなかった。しかし、千葉の義父母のところでは、固定していなかったテレビ(買ったばかり)が落ちて壊れてしまった。私の実家のテレビも同じように落ちて壊れた。(年寄りはなぜテレビを固定しないのか不可解である。)

当時、官房長官だった枝野幸男氏はテレビで「ただちに放射能による被害はない」という言葉を壊れたロボットのように繰り返した。テレビがその発言をリピートしていただけかもしれないが、いずれ被害が発生するということを臭わすその発言は、関東や東北に住む人々を強烈な不安に陥れた。ボディブローのような効き目があった。

だいぶ後になってわかるのだけれど、原発の危険性に関する情報は、米軍には正確に伝わっていたけれど、政府や東京電力が情報を握りつぶし、国民には伏せられていた。そのときに、私は国家(政権と官僚)と大企業がいかに信用できないものか思い知らされた。

そんな不安や不信感と「共感疲労」によって、私は精神状態がおかしくなっていた。私と同じ感情に苦しんでいた人々が当時は多くいたはずだ。

その疲労から回復するには数年の時が必要だった。回復過程で、他者に共感することは必ずしも重要はないし、共感力のない人間が悪人だと思わなくていいことを私は学んだ。他人の苦労や苦痛にいちいち共感していたら、私のほうまで生きていけなくなってしまう。医者だって、すべての病人に共感していたら、毎日涙を流して、精神状態が狂ってしまい、医療行為ができなくなってしまうだろう。そうなったら、他人を助けることができなくなり、そっちのほうが悪人になってしまう。それと同じで、被災者に共感することが、我々を悪人にすることもあるのだ。

我々はつらい思いをするためだけに生きているわけではない。悪いことが起きる前に、わざわざ自分を苦しめる必要はない。

もし不安や共感疲労に苛まれてしまったら、それを怒りに変えてみることだ。そして、その怒りを国家にぶつければいい。国家というものは、国民の不安や苦しみを少しでも減らすために存在しているのだから、ネガティヴな感情はすべて国家に背負ってもらえばいい。この場合の国家は、国民を統治する政権のことだ。被害を食い止めることや、被害を小さくできなかったことの責任を求めて、率直に現政権に怒りをぶつければいい。当時の民主党政権が崩壊した原因は、そういう国民の怒りだった。度重なる災害を経験している我々の怒りはふつふつと溜まってきている。安倍総理の顔に死相が見える。


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モロケンさんの話は勉強になります。テーブルとか椅子はいらないとか、安物買いの銭失いとか、でも高ければいいわけではないとか。

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大江千里 [音楽・楽器]

47歳、今まで築いたモノを捨てて11年――伝説のポップスターの「その後」

大学の受験勉強をしていた頃、大江千里さんの歌(たとえば「十人十色」)を聞いて大いに励まされた。

自分が本当は何をやりたいのかを考え続けていた30代まで人生が終わり、40代になると、私は日々の生活に追われ、「消化試合」のような人生を送ってきてしまった。いま、50歳を目前にして、やり残したことをやり遂げたいと強く思うようになった。47歳にしてポップシンガーからジャズピアニストに転身した彼の生き方に、また励まされている。



いま思えば、良い時代でした。



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