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ゆず「夏色」 [音楽・楽器]



完全にゲーム感覚。少しスピードを落として練習したいくらい。



夏林さんの指導どおりに弾けたら、きれいでしょうね。今の私には無理ですね。

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Peaceful Easy Feeling (Eagles) Strum Guitar Cover Lesson with Chords/Lyrics - Capo 2nd [音楽・楽器]



コード進行が簡単なので演奏しながら一緒に歌ってみました。少しキーが高いので、歌いにくいですが、そこそこ歌えました。歌えるか歌えないかの境目は、歌詞やメロディーを知っているか否かなのでしょう。

それにしてもですよ、自分で言うのもなんですが、仕事から帰ってきてから、自分の部屋でポロンポロンとギターをつま弾く生活は、素敵ですよね。宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」を弾いているときに、そんなふうにふと思いました。

今日は教科書の内容があまりにくだらないので、教科書以外の教材を用いて特別授業をしてきました。おかげで自分がやりたいことを創意工夫することができました。具体的な内容を書くと、私の素性がバレてしまいますので内緒にしておきますが、多感な時期にふさわしい内容だったので、学生たちの記憶に残るものだと思います(私にもそんな授業の思い出はたくさんあります)。少しバラすと、それは私の大好きな映画の話です。しかも、学生たちに直接関わる役に立つ内容です。もちろん知的レベルが高いお話です。英米の教科書会社が作るような薄っぺらい内容ではありません。

教員に創意工夫を求めてきたかつての英語教育とは違って、この20年間の英語教育は、画一化され、内容も単純化されています。教員にとっては、まったく予習の必要がありません。新たに学ぶものは何一つないのです。まさに高校レベル以下です。学生をサル扱いしています。そういう内容を教えるのは苦痛でしかありません。

もはやこのファシズム(全体主義)の流れは止めようがないのかもしれません。ファシズムというのは、大衆を狂気的な衆愚に変える原理です。本来、知性のある人間が挑戦しなければいけない原理です。それすらわからない人たちが、大学のカリキュラムを作っているのですから、日本の大学教育には未来はありません。彼らはもうすでに死んでいるのですが、自分が死んでいることにさえ気づくことができないのです。完全に終わっています。

さきほど、YouTubeを見ていたら、立命館大学のCMが流れて、ゾッとしました。出てくる学生や教員がすべて英語で話しているのは許せるのですが、内容は、明日に対応するためには知識は重要ではないと言っているのです。「バカは死ね!」と叫びたくなるようなCMでした。「知識は力」(Knowledge is power)ということわざがありますが、それすら知らないかのようです。知識はいらないという教育は、バカを育てる教育そのものです。近頃の生意気な学生の中には、それを受け売りして、勉強しない馬鹿がたくさんいます。

世間一般に流布していることや、権力者の言葉を受け入れるだけの人間は、自分で考える必要がないと言っているようなものです。そもそも自分で考えるには、知識がなくてはいけません。自分で考える行為の中心にあるのは、ある情報が正しいのか間違っているのかを判断することです。その基準を作るためには、知識を大量にインプットしなければいけません。清濁併せ呑むのです。それをせず、ネットに流れている情報をのみを信じろ、情報を継ぎ接ぎすればいいと言っているのだとしたら、立命館大学というのは、馬鹿が馬鹿を育てる大学ということになります。こういう傾向が日本中の多くの大学で見られます。すでに末期症状を呈しています。

私は経験的に理解していますが、授業で、教科書を離れて、私が自分の伝えたいことを自分の言葉で伝える努力をすると、案外学生たちが敏感に反応してくれます。しかし、指定教科書を読んで、練習問題に答えるだけだと、彼らの心に何も響かないのです。アタリマエのことですが、今はそういう愚行を誰か(黒い存在)に強制されています。具体的に言うと、TOEICのスコアを上げることが至上命令であるかのように、毎日TOEICの話をしなければいけないのです。クソみたいなテストに人生の貴重な時間を捧げることを求められる現代の学生は気の毒です。あんなものは時間の無駄そのものです。

TOEICを称揚するビジネスマンや政治家や官僚は、きっと英語ができないのでしょう。つまり、馬鹿なのです。こうして馬鹿が馬鹿を育てることを強制する環境が着実に整備されています。自民党の政治家を見れば、誰一人まともな知性のある人がいないことが明白です。日本には、恐ろしい、未来が待っています。いますぐ、この体制を破壊して、かつてのような大学教育に戻すことが重要です。私は本物の「保守」ですので、インチキ保守の人たちのように、改革のための改革で、教育を破壊することには与しません。




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古いMacBookProのトラックパッドの設定変更ができなくなりました。 [コンピュータ・ネット・テレビ]

昨夕、ヤマト運輸の方が、修理に出すMacBookを引き取りに来てくれました。戻ってくるまでに3、4日かかるそうなので、古いMacBookProを引っ張り出してきて使っています。以前、次男の専用機にしていたのですが、WindowsPCを買ってやったので、1年位ほど誰も使っていませんでした。バッテリーも膨らんでしまったので、今は電源ケーブルをつなげて使っています。アカウントも息子用になっていたので、きれいさっぱりOSを再インストールしました。

そこでトラブルが発生。いつもOS再インストールにはトラブルがつきものです。今回は、トラックパッドの設定ができなくなりました。Bluetoothがつながっていないといけないと表示されるのですが、MacBookProには最初からトラックパッドがついています。ネットで調べてもそんなトラブルに関する記事は見つかりません。

もしかしたら、このトラブルの原因はバッテリーを外してあるせいかもしれません。バッテリーはアマゾンで4500円から7000円くらいで手に入りますから、購入して試してみるのもよさそうです。ただ、古いバッテリーが膨張したせいで、トラックパッドが故障している可能性もあります。バッテリーをつけただけで直る保証はありません。

とはいえ、このまま使わないでいるのももったいない気がします。MacBookPro (2010) の処理速度は若干遅い気がしますが、キーボードもバタフライキーボードと違ってちゃんと動くので、まだまだ使えそうです。液晶画面の解像度はretina displayではないので低いですが、慣れればなんとかなります。

MacBook Proでスリープからの復帰時にキーボードやトラックパッドが反応しない不具合 - Qiita

症状はこれに少し似ているかもしれません。

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