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スポンジ用両面テープ [家・DIY・修理]

またコリドラスが卵を生みました。今回は50個ほどでしょう。一部は、別のコリドラスが食べてしまっています。おそらくすべて無精卵でしょう。

遮音壁の吸音スポンジがよく剥がれるので、スポンジ用の両面テープを買ってきました。

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汎用の両面テープではなく、専用のものはさすがに粘着力が違いますね。税込みで365円もしましたが、満足です。製造元は寺岡製作所、発売元はWAKI SANGYO CO., LTDと書いてあります。06から始まる電話番号が記載されているので大阪の会社でしょう。粘着剤はアクリル系です。

できるだけ経費をかけないようにと、ケチることが多いのですが、結局は、うまく行かず買い足したり、買い直したり、修理することになるので、むだにケチらない方が良いのはわかっているのですが、でも、ついついやっちゃうんですよね。ダメ人間ですから、仕方がありません。

少し余らせましたが、ケチったわけではありません。今回は贅沢に使いました。残りは、また剥がれたときの補修用にとっておきます。



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Yukio Mishima Speaking In English [雑感・日記・趣味・カルチャー]



三島由紀夫の英語は、書き言葉をベースにした、しっかりとしたものであり、発音やイントネーションはイギリス風のものである。彼のような教養人にふさわしい英語を日本人も目指すべきだったのだと思う。

日本文化というと、華道や茶道ばかりに目が行きがちだが、美しさと死が結びついた野蛮な部分があると三島は主張する。その好戦的な野蛮さは、晩年の三島に取り憑いてしまった武士道についての言及だ。

三島由紀夫の言っていることは、およそ50年後の今、「サムライ・スピリッツ」とか「侍ジャパン」だのと、ビジネスや消費の対象にされるようになってしまった。お金を生む「侍」という商品になりさがって、美とは無関係のものになった。

それだけならまだしも、命を賭けて戦うことがヴァーチャルなものになり、生身の人間が発する醜悪な臭いが脱臭され、真空パックの商品になった。そういうものに人々が慣れっこになると、自分の嗅覚でものごとを判断することをやめてしまう。そんな思考停止した人々の数が増えていくと、またぞろ、権力者はそれをプロパガンダとして利用し、一般庶民を無用な戦いへと導いていく危険性が生じる。

三島が間違っていたのは、日本人の90%以上が長期間にわたって農村生活を送っていたことを無視したことだ。都会ぐらしの人間にはわからなかったのかもしれない。戦国時代の武将は国取りゲームを好んだのかもしれないが、領民は戦いが続くあいだ農作物の世話や収穫ができなくなるし、農地が戦闘によって荒らされるかもしれないし、もし自分が殺されたら、家族は路頭に迷うことになるので、戦うことに熱心ではなく、戦うふりだけをして、さっさと帰ってきてしまうということもあったようだ。それが大多数の日本人の本来の姿ではないだろうか。そういう「ずる賢さ」や「醜さ」を本物の戦闘を知らない三島は見ていない。

三島が生きた高度成長期の日本は、外国人の目を通して、日本人は勤勉だとか、真面目だとか、戦いを好まない優秀な国民だと教え込まれ、敗戦の屈辱を忘れさせてくれる外国人の称賛に酔っていた時代のせいもあったのだろうが、三島はそれに意義を唱えようとして、ますます本筋からずれて行き、最終的に自決に至る。それがほんとうに美しいものだったのかどうか、大いに疑問である。いまだに漫画のように思える。

クリエーターである三島は自分がでっち上げたヴァーチャルな世界の中で生き、自分の目に映る空間の薄っぺらさに嫌気が差して、いや怒りを覚え、自ら電源スイッチを切ったのではないかと思う。「現代人は命をかけて生きることが許されておらず、自分も畳の上で死ぬことになるだろう」と予言していた三島の死に方として、それがふさわしかったのだろうか。三島は「自分は甘ったれた太宰に似ているところがあるからこそ、太宰を嫌うのだ」と言ったことがあったが、三島の自決は、「退屈な日常」を生きることからの単なる逃避ではなかったのか。三島はそれを「耐え難い退屈さ」("unbearable boredom")と呼んでいるが、それに耐えなかったのは、彼の甘ったれた部分の表出だったのではないか。

いま「三島の悪霊」が、日本中に取り憑いているように思える。それすら気づかない思考停止の人間が自らを「保守」と名乗ってのうのうと生きていることに私は恐怖を感じる。



三島の言うように、日本には「精神的な独立」が必要だ。しかし、「楯の会」のようなごっこ遊びでは、それを獲得できないことくらいわからなかったのだろうか。



「おいてけ堀」 [コンピュータ・ネット・テレビ]



「ひもじいときに、まずいものなし」

すごいなあ。いま、この話を楽しむ余裕のある環境はないかも。



基本的には人情話に仕立てられているが、それがためにこのオチが力強く感じる。下の作品より、こっちのほうが完成度が高い。



こっちは笑い話なのか怪談話なのか、中途半端な感じです。



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日経平均株価の長期的傾向 [マネー・買い物]

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この半年だけを切り出してみると、日経平均株価が上がる余地はないようです。

このままズルズルと下がり続け、19,000円を割れ、18,000円に近づいていくように見えます。

6か月ではなく、数年単位で見れば、また違って見えるのでしょうが、アメリカと中国の貿易戦争や、ブレグジットなどさまざまな悪材料で、日本企業の業績は確実に悪化しているし、今年は消費税増税、その後の混乱、五輪景気の終焉もあるので、株価の上昇が期待できる状況ではありません。

市場関係者は、自分勝手に、楽観的な見方をしていますが、警戒感がなさすぎです。

底がどこになるのかわかりませんが、19,000円割れは確実でしょう。




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今朝の雑談 橋本治死去 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

橋本治が70歳で亡くなった。私は彼の本を数冊読んだことがある。ただ、彼をスター作家にした『桃尻娘』は、タイトルがあまりに恥ずかしくて、いまだに手に取ることができていない。女性の「桃尻」は大好きなのに、自分の不勉強さには呆れてしまう。

追悼・橋本治 - 内田樹の研究室

内田樹は自身のウェブサイトに、橋本治への追悼として3本、過去に彼について書いた文章を読めるようにしてくれている。1本目を読んでいる途中、以下の引用個所で、私の目の動きが停止し、脳が活動をし始めた。「それで、思い出した」というわけだ。だから、このあと私が書くことは、内田樹が言わんとしていることとは、少々ずれているかもしれない。

橋本さんは書く前に「言いたいこと」があるので書いているわけではない。自分が何を知っているのかを知るために書いているのである。


文学者・文学研究者というのは、あるいは一般の人もそうであるが、作者がすでに心に抱いているメッセージを言語作品を通じて読者に伝えようとしていると思っている。それはとんだ勘違いである。そのような予断を持っている人たちは、作者が言いたいことは何かという問いを発することに疑問を抱かない。我々は、その問いを無意識に発することができるように、小学校から国語教育で叩き込まれているからだ。

そのような洗脳教育を受けてきた真面目な文学研究者は、作者と作品を結びつけ、作者のプライベートな部分や、作品の周辺の細かい情報を見つけ出してきて、無理やり作品に結びつけ、「勝利宣言」をする。かつては伝記的批評というジャンルがあったし、今の流行は、文学作品よりも、文学作品にかこつけて、文化を語る「カルチュラル・スタディーズ」だ。

私は文学研究者の端くれの端くれであるが、そういうのがアホらしくなった。大勢の研究者が常識としている枠組の中でしか、能力が評価されないからである。その枠組に加入するための参加費を支払わない限り、ゲームがスタートラインに立たせてもらえないわけだ。我々はその枠組そのものを疑うことは許されない。

内田樹は、ロラン・バルトを引用しながら、橋本治の作品は、既存の枠組を疑って読まなければいけないことを教えてくれている。橋本治は、俗に言う「メタ認知」を求めているというのだ。

内田樹は、その部分を彼独特の表現で、丁寧にかつスリリングに解説している。必読である。(最後まで読んでいないのに、よく言うよ!)

作家ら高校の国語改革を危惧「実学が重視され小説軽視」:朝日新聞デジタル

文学作品は大学教育でも、極端に軽視されている。この傾向は、この30年ほどの間に起きたパラダイムシフトの結果である。

その根本に潜んでいるのは、言語というのは、透明な器でなければいけないという偏見・先入観である。世の多くの作家たちは、文章を透明な器であるとはまったく思っていない。言語は主役たるメッセージを入れるためだけに存在する、使い捨てのプラスチックのカップのような、存在感のない器であるとは思っていない。その不透明な器こそ、つまり言語こそ主役であると考える。まともな作家はみなそうだ。

しかし、世の中の傾向として、言語は脇役であるべきであり、意思疎通だけで満足しろと考える傾向がますます強くなっている。「疎通」には、滞りなく通じるという意味もあるが、「疎」には、粗くて、雑なことを示す意味もある。コミュニケーションを重視すべきと言い立てる人たちの多くは、むしろ、雑でいいから、思いがなんとなく通じればいいのだと思っているように私には思われる。コミュニケーションなんか、それで十分だと。

そんなふうに言語ではなく、「メッセージ」なるものを重視する傾向を「実学重視」と呼ぶのかもしれない。しかし、「実学」とは、理論より、日常生活を便利にするための実用性や技術を重んじる学問である。お互いの意思を大雑把にやり取りすることで満足しろという学問ではないはずだ。実学とは、そもそも不透明な容器である言語というものを、透明にする魔法の技術でも何でもない。

しかも、本来、不透明な器である言語を透明な器であると見なすことで不便を来すことがある。そういう危険性を無視して強引に「実学」を推し進めていくことで、何が起こるのか。心配である。

人間のコミュニケーションというものは、もっと繊細で、細やかなものである。コミュニケーションや言語というものについての、大きく誤った認識が広まったこの30年の間に、人々の感性が極端に劣化したように思える。作家たちが危惧しているのは、自分たちの懐事情だけではないことを、感性が劣化した人々は正しく認識できているのだろうか。

ここまで書いて、ようやく、自分が何を考えていたのか、少し整理できた気がした。

最近、美味しいものを食べた後の感想を「うまい!」と大声で叫ぶ芸人がいます。PayPayのCMの人ですが、芸としてわざとやっているわけです。それを真似て、声の大きさだけで美味しさを伝えようとする人を見ると、痛々しく感じてしまいます。感想を聞かれたときに、「おいしい」という表現は、いくら美味しくても、言わないようにしています。それが周囲に誤解を与えてしまうこともありますが、何か「うまい」表現はないかとつねに考えているのです。五感だけではなく、知性も使って食べるようにしています。


She - Charles Aznavour [音楽・楽器]





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できっこないを やらなくちゃ/ サンボマスター [音楽・楽器]



メディアや政府は、われわれを不安にさせておいて、大丈夫ですと言う。

そんなふうに恐怖と安堵を繰り返しているうちに、自分たちには結局何もできないんだ、と思考停止状態に陥っていたのが、東日本大震災と福島第一原発事故のあとの数ヶ月。そういう無力感に囚われれいたのは、何も私ばかりではないだろう。

事故後数年は、あのときを思い出すと目に涙が滲んだが、いまは、当時感じていた「手も足も出ないもどかしさ」を思い出し、無性に腹が立つ。

こういうことを言うと、お前は愚痴ばかり言っていると言う人もいるかもしれない。

そうして、愚痴さえも考えさせてもらえないように、我々は調教されていくのだ。

「ぶつくさ言わずに、俺の命令に従って働け。お前は、俺の手と足だ。口と頭は、俺の役目だ」と。

敗戦後、日本国民の大義となったのは、誰もが口と頭を備えた人間として、政治や社会に参加できる民主主義社会だったはず。

それがいつのまにか、「お前は専門外だ、黙れ!」という声が強くなった。

専門家は、ほんとうにすべてを知っているわけではないということすら考えもしない人が増え、専門家を名乗る人の意見はすべて正しい、と思い込まされている人ばかりになった。

原発事故の直後、雨後の筍のように原発の専門家がてんでんばらばらなことを言って、我々は何を信じたら良いのか、まったくわからなくなった。とりあえず、いまは何も考えないことにしよう。自分にできることだけをしよう。地震や津波や原発事故の被害に遭われた人たちのことを考え、為政者や東京電力には文句を言わないようにしようと、私自身も当時は考えていた。その態度は間違いだったのかもしれない。



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犬の糖尿病 [ペット]

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うちの犬が糖尿病になってしまいました。昨年末あたりから急に、水をがぶ飲みして、大量におしっこをするようになって、なんだか糖尿病っぽいなと、糖尿病患者の私は感じていました。

トイレシーツを日に5回位取り替えるのが耐え難いということで、昨日、妻は病院に連れていきました。血液検査の結果、血糖値が基準値の3、4倍くらいあることが判明。

私はドッグフードを選ぶときに、成分表を見て、肉が上位に来ているものを選んでいたのですが、やはり安物の餌だったので、糖質の割合が高かったのかもしれません。

妻も妻で、自分自身が好きなものですから、さつまいものおやつをよく与えていました。それに、餌の量も目分量です。犬が望む分だけ与えるという感じです。うちの妻は、いわゆる「意識低い系」ですからね。

私が仕事で散歩に連れていけないときは、妻が散歩に連れて行くのですが、ちょっと歩かせて帰ってきてしまいます。そのせいで運動量が圧倒的に足りないのです。

適正体重が4キロのところ、この3年ほどで5.5キロにまで増えて、お腹もでっぷりして、歩くのも辛そうになっていました。若い頃は家の階段もどんどん上っていけたのですが、階を移動することもほとんどありません。階段を上る必要があるときは、残りの5段くらいのところまで抱きかかえていき、そこから自分で上らせるようにしています。少しでも運動量を増やそうとしているわけです。

そんな状態が続いていたのですが、この頃急に痩せてきて、お腹が凹んで、皮がたるみ、首輪の穴を1つか2つほどきつくしないと首輪がスッポ抜けるようになりました。急に痩せるというのは、糖尿病が悪化している状態です。私も同じことを経験したので、間違いありません。

妻は、当初他の病気(クッシング症候群?)を疑っていたのですが、医者の見立てでも糖尿病です。今後は正しい食生活と適度な運動を心がけるようにしなければいけません。

妻は、病院で、糖質コントロールのロイヤルカナンを買わされて帰ってきました。昨晩からその餌に切り替えて与えています。妻によると、水をがぶ飲みすることも減り、おしっこを大量にしなくなったそうです。そんなに即効性があるのでしょうかねえ。

それから、ひと月に5000円もかかってしまうのですが、食後にインスリン注射をすることも勧められました。人間の私が薬すら購入していないのに、お犬様のほうがそんなにお金をかけてもらっていいのでしょうか。一月5千円というのは年間6万円ですよ。ちょっと待ってくださいよ、って感じです。

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さらに、皮膚のただれの薬(抗生物質?)も処方してもらってきました。こういうただれも血糖コントロールが悪いせいでしょう。

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将来不安を感じることばかりで、毎日気が晴れないので、少しでも気分を良くするために、今日は、1時間もかけて、風呂場の床の汚れをとりました。床がくろずんでいるのをここ数年見て見ぬふりをしていました。しかし、さすがに汚すぎるので、ヘビー級に重い腰を上げて、作業に取り掛かることにしました。

使ったのは、ステンレスのブラシ。写真のブラシと、もう一回り大きめの錆取り用のブラシを使いました。手当たり次第ゴシゴシとやるわけですが、腕が疲れます。もちろん、しゃがみこんで作業をするわけですから、脚も腰も痛くなります。農作業をしているような感じです。

あまりに辛い作業なので、インパクトドライバーに装着できる金属ブラシでも買ってきて、それで一気呵成に片付けてしまおうかとも思ったのですが、このところお金が無駄にかかっているので、今回はケチりました。ついでに、フォールディングドアのレールのところなど、細かいところついでに掃除をしました。だいぶきれいになって、スッキリしました。色が白っぽくなったので、風呂場が明るく感じます。これで数ヶ月は、気分良くお風呂が楽しめそうです。

『プライムニュース』韓国人ヘイト報道は氷山の一角! 韓国人差別を日常的に垂れ流すワイドショーの害悪|LITERA/リテラ

あの反町氏は要注意人物だと思っていたのですが、リテラの人もそう感じていたようです。



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高望み [音楽・楽器]



何度見ても格好いい。






こんなのことがあったのですね。



これもできるようになりたいです。



かんたんそうです。



もともと、これができるようになりたいと思っているのですが、高望みですかね。






これならできそう。



これもむずかしそう。



これも難易度高め。



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