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R.E.M. [音楽・楽器]









コメント欄を読んでいたら、泣きそうになりました。


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練炭の上つけコンロ [映画]



昭和30年代前半の練炭の利用状況 Use of Briquette coal in Japan of the 1950's

品川燃料株式会社の開発した、画期的な練炭の上つけコンロの紹介映像です。昔は、こういうのを使っていたのですね。




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A Day In The Life with orchestra - The Beatles (arr. Sam Haug) [音楽・楽器]



すばらしい。

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ストーンズ、ポール・マッカトニー [音楽・楽器]





トランプ政権下のアメリカで完全に失われてしまったのは、この一体感です。

お互いを信頼し、尊敬し、そして支え合う精神が、アメリカのみならず、世界からも失われ、醜い世界に成り果てました。

完全に知性と感情の劣化が進行しています。

安倍政権誕生以降、トランプ政権誕生以降は特に、どのニュースも見ているだけで、気分が悪くなります。

いますぐにでも、こんな時代は終わってほしいです。

クソ醜い「反文学の時代」が終焉し、「文学の時代」が戻ってきてほしいです。



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1818 to 1890s Bicycle Models (from 1915 documentary) [映画]



ピエロが曲芸を披露しながら、昔の奇妙な乗り心地の悪い自転車を紹介しているのかな。字幕は何語なのでしょうね。

A boy's life in changing Japan 1963 [映画]



主人公は三浦半島のどこかの農村に住む男の子。彼は凧揚げが大好きな少年である。田舎から外に出たことがない彼は、今度のこどもの日に、叔母さんと一緒に都会(伊勢佐木町)買い物に行く約束をする。少年は、とある店でタコ糸を買い求める。翌日、その長いタコ糸を凧につないで凧揚げをして楽しんでいると、突然強風が吹き付け、凧が少年の手を離れ、空高く舞い上がってしまう。凧を失った見た少年は、最初、悲しい気持ちになるのだが、凧がこの広い世界を見ることができるようになったのだと考え、ほほ笑みを浮かべる。誰がなんのために作った映画なのか実に不思議である。アメリカ人による日本人に対する啓蒙活動の一環なのだろうか。


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昔のダブリンの映像 [映画]



1965年に撮影されたアイルランドの首都ダブリンの様子。平穏な感じがしますが、政治的には荒れていたのでは。







Tell Me Why (The Beatles) Guitar Cover Lesson with Chords/Lyrics [音楽・楽器]



この曲はエンディングがいいですねえ。


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昭和44年一般的サラリーマン家庭のお正月 [映画]



子供たちの書き初めの文字が上手なので、驚きました。

この映像を見ていると、時代が大きく変わったことがよくわかります。少なくとも私の家庭が大きく変わったのかもしれません。

私はお年玉も子どもたちにやったことがありません。鏡餅も飾りませんし(簡易的なしめ飾りは妻が買ってくるので飾っています)、おせち料理もほぼ食べなくなりました。凧揚げもしません。年始の挨拶回りもしません。「あけましておめでとうございます」というのもなんだか気恥ずかしいので、いまだに苦笑いしながらやっています。できればしたくありません。年賀状を受け取っても嬉しくないし、ほとんど書くこともありません。元日にわざわざ初詣に行くこともありません。だるまも買いません。年末に紅白歌合戦を見ることもありません。正月だから特別なこともほとんどしません。家族団らんもありません。普段どおりの生活を送るだけです。かるたも百人一首も花札(そういえば、叔父たちがやっているのを見たことがあります)も書き初めもしません。かといって、キリスト教徒ではないですから、クリスマスパーティーもしません。

馬鹿すぎます。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

雑誌付録が今年もすごい!「マーモットじゃん」「このバッグ女子も使える!」

たすき掛けする小さなカバンである「サコッシュ」が流行しているという話が去年からありますが、巷ではあまり見かけませんね。どう見ても、かっこ悪いので、若い人は飛びつかないのでしょう。一度、私と同じくらいの年齢のオジサンが持っているのを見ましたが、かなり痛いファッションだと思いました。年末、あるホームセンターを訪れたら、入口付近でワゴンセールになっていました。売れ行きは悪そうでした。それくらい誰も買わないんでしょう。私はタダでもいりません。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

英語教育の改革なんかまったくする必要がありません。むしろ英語教育を昔のスタイルに戻し、国語教育の無駄を減らすべきです。著者のおっしゃる通り、ほぼ無意味な読書感想文と学校行事の作文はただちに廃止です。それから財務省が中学生に課している「税に関する作文」も中止すべきです。日本の作文教育はあまりにくだらなすぎて、涙が出ます。

日本の国語教育の悪影響が英語教育に及んでおり、論理的な思考能力を養うために文法や読解や作文を行っても、そんなものは無意味だと言う学生が現れます。文法を無視して思いつきで単語のやり取りをすることが、グローバル社会では役に立ち、しかも重要なのだと思いこむ堀江貴文みたいな馬鹿と一緒です。ちなみに、堀江は、英文法なんか学んでもまったく役に立たない、受験のための勉強に過ぎないと言い切っていますが、視野が狭すぎます。単語だけ覚えれば、会話ができるのでしょうか。たとえば、中国語でもいいですが、単語を覚えて、日本語と同じような順番で、並べていけば通じると思っているのでしょうか。その順番こそ、文法なのに。また、使い方が違えば、ニュアンスも変わるので、伝わる感情や意味も変わります。そういうことを学んでも意味がないと主張するのであれば、文法というものそのものの意味がわかっていない証拠です。馬鹿も休み休み言えという感じです。ことほど左様に日本人の多くは論理的思考能力も決定的に欠如しているし、物事の本質を理解する能力もありません。

国語教育の不備が主要な原因となって、大学の英語教育では、読解と作文とスピーチ(プレゼン)を改めて結びつけ直す授業を行わざるを得ません。この欠陥を補う教育をすると、またぞろ日本の英語教育は遅れていると言い出す馬鹿が湧いてきます。学生たちは会話の内容が貧弱で、会話や文章の構造がわかっていません。それを補うための授業が必要なのに、英単語を並べて、幼児のように思いつきだけでやり取りする時間が与えられていないから、英語教育には欠陥があるなどと言うのです。そんな幼児たちに自由時間を与えたところで、意味のある会話なんてまったく成立しないのですが、それが英会話の授業だと思いこんでいる者が数多くいるのです。大学における英語教育と幼児教育を混同しているのでしょう。

彼らは、そもそもなぜ日本人全員が、このグローバル化した世界の中で、英語を学ぶ必要があるのか、まったく理解できていません。グローバル化しているのであれば、英語だけを重視することは間違っていると認識できないのです。ほぼ日本人全員が英語を話す能力は必要であると思い込んでいるのは、アメリカによる日本に対する植民地政策が成功しているためです。アメリカによる洗脳教育があまりに浸透しすぎてしまい、日本人は自分のことを日本人だと思っていないようにすら思います。DA PUMPの"U.S.A."という歌が昨年大流行し、「カモン・ベイビー、アメリカ」などと言って無邪気にアメリカ礼賛をする馬鹿どもがうじゃうじゃ湧きましたが、本当に反吐が出ました。馬鹿すぎます。

ついでに言わせてもらうと、英語教育のみが、日本の教育を批判する人たちの格好の餌食になっていますが、むしろ国語以外の教科(たとえば数学、理科、社会)のほうが、ひどいと言わざるを得ません。特に、数学は根本的な改革が急がれます。東京大学を出たと思しき官僚たちが、まともな統計処理もできなくなっているほど、日本人の知能が劣化しているのです。英語教育について議論している暇はありません。他の教科に比べたら英語教育はまだ成功している方です。社会的な要請もあって、何も言わなくても、自ら学んでくれるのですから。

件のサイトのコメント欄には、国語教育と道徳教育が一体化しているように思えると書かれていましたが、そのとおりです。非常に問題が多いですね。国語教育における、「文学」に対するイメージも間違っているせいです。学校における文学の素材は、他人の心を読むための材料にされていますが、物語の構成、修辞法、歴史研究、文化研究、社会研究などにも応用できるもの。それを大学では行ってきたのですが、最近は文学を研究材料と見なさない人たちが増えてきたので、大きな弊害を生んでいるのです。人類を退化させる原因になっています。

韓国と日本の対立、トランプ大統領の「壁」問題など、みな文学的素養のないものが引き起こしている馬鹿騒ぎです。文学に対する素養のなさは、人間的なレベルの低さを反映しています。

ちなみに、以上は、論理性のない文章です。