SSブログ

Chuck Berry - Johnny B. Goode Intro [音楽・楽器]

練習中。

私がエレキギターを買った1番の理由は、チャック・ベリーの「ジョニー・ビー・グッド」が弾けるようになることです。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の影響というわけではありませんが、昔からロックの神様チャック・ベリーが好きだったのです。

第2の理由はイーグルスの「ホテル・カルフォルニア」のリードギターを弾けるようになること。伴奏は簡単ですが、リードギターは難しいですね。そちらのほうは、はるか先の目標ですが。

ギターを始めてからの3ヶ月は、当然ですが、基本的なコードを使った伴奏ばかり練習してきたので、そろそろリードギターの練習をしたいと思います。

























共通テーマ:音楽

Sting - Shape Of My Heart [音楽・楽器]



共通テーマ:音楽

ジャッキアップしてみました [クルマ]

時々悲鳴をあげるスターター(セルモーター)を交換できるかどうか、ジャッキアップして見てみました。結論から言うと、私が持っている道具では、作業スペースが狭すぎて、ボルトが緩められませんでした。スペースがなくても、ボルトを回せる道具を手に入れるか、修理工場へ持っていき、工賃を払って交換してもらうかのいずれかの方法しかありません。工賃は約1万円だそうですから、道具を買って自分で作業したほうが安上がりであることは間違いありません。でも、かなり面倒です。

th_IMG_20190128_140328.jpg

スターターは赤丸で囲んだ部分です。この写真からは見切れていますが、写真の上方に下側のボルトがあります。外すボルトは2本です。上側のボルトは、車体の下からは見えません。

結局、スターターを交換できなかったので、オイル交換もしませんでした。オイルフィルターを外したくらいでは、ボルトを緩めるスペースは確保できないことがわかったからです。

ジャッキアップしたついでに、車検準備として、下回りの点検もしておきました。ゴムブッシュもブレーキホースも問題なし。以下の写真では、左右がわからないでしょうが、いずれにせよ、交換する必要はなさそうです。

タイヤのローテーションは、オイル交換をしたときに一緒にしようと思います。

th_IMG_20190128_141955.jpg

th_IMG_20190128_142004.jpg

th_IMG_20190128_142029.jpg

th_IMG_20190128_142045.jpg

th_IMG_20190128_142053.jpg
th_IMG_20190128_142122.jpg

th_IMG_20190128_142137.jpg

th_IMG_20190128_142201.jpg

th_IMG_20190128_142233.jpg

th_IMG_20190128_142348.jpg


th_IMG_20190128_142433.jpg

th_IMG_20190128_142501.jpg

th_IMG_20190128_142506.jpg

th_IMG_20190128_142510.jpg

以前は、クルマの修理や整備が楽しかったのですが、最近は、面倒なだけになってきました。汚れるし、疲れるし、危険だし。自分で何でもできるようになることは重要なことですが、やりすぎると、お金も時間もかかるので、効率が悪いのかもしれません。以前は、それを楽しむ余裕があったのですけど、趣味が変わったということでしょうか。



このタイトリーチがあれば、奥まったところにあるボルトを緩められるのかな。アメリカのアマゾンだと25ドルですが、日本のアマゾンだとその3倍くらいで販売されているようです。

モノタロウのツイスターラチェットはどうでしょうね。

とりあえず、明日また、持っている道具を組み合わせて、再度試してみます。ラチェットとソケットの間を伸ばすツールを繋げばもしかしたら届いたかもしれません。それでもだめなら、ツイスターラチェットを購入します。とりあえす、今度作業するときは、はずせるものを単于外して作業スペースの確保をしてみます。

GE フィット スターター交換① 項目1|フィット/ホンダ|整備手帳|純正仕立|みんカラ - 車・自動車SNS(ブログ・パーツ・整備・燃費)

これを見ると、バッテリーも引っこ抜いてしまったほうが作業スペースが作れるみたいですね。

共通テーマ:自動車

ブラック校則 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「ブラック校則」どうすれば――学校現場に変化の兆しも - Yahoo!ニュース

「コンプライアンス(法令遵守)」なる馴染みのない言葉が、いつのまにか日本中に広がっていた。最初に聞いたときには、ナンノコッチャという感じで、comply の派生語であるcomplianceであるということが文脈からもわからなかった記憶がある。

comply ( + with ) は「(〜という要求に)従う、応じる」という意味であることは大学受験のときか、大学生の頃に覚えたはずだ。しかし、一般的に使われる言葉ではなく、きわめて特殊な状況でしか使われないと記憶していた。それがいつしか日本中に広まって、なにかあると「コンプライアンスを守れ」「法令遵守の精神で」うんぬんかんぬんというご託宣を聞くことが多くなった。気分が悪い。

そういう言葉を聞くと、「誰が決めた規則なのかわからないものに一方的に従えと抜かすとは、お前はいったい何者だ? お前に何の権利があるのだ?」と、いちいち反論したくなる。「どうせ密室で決められた規則なんだろうが」と。

私が3年間通った中学校は、男子生徒は丸坊主にしなければいけないという校則があった。しかし、隣の中学にはそんな規則はなかった。数百メートル先に越境すれば、そんな校則に従う必要はなかったのだ。しかし、さすがに家ごと引っ張っていくことはできない。小学校を終えて、床屋さんに行って丸坊主になった日、私は悔し涙を流した。そのときに記憶は鮮明に残っている。母親に「似合うじゃないの。昔はみんな丸坊主だったのよ」と笑われた。私はその笑いが嘲笑に思えて、その冷淡さを許ることができなかった。男の子が丸坊主だった時代は、日本が愚かな戦争をしていた不衛生な頃と、その直後だけである。

そして、3年後の卒業式の日に、「俺たちもやっとシャバに戻れたなあ。もう二度とこんなところには戻るまい」と友人(戦友)たちと笑顔で言葉をかわし、別れた。そんな不愉快な思い出を消去するために、坊主頭の私は勉強に励み、不合理な校則のない地元の進学校に進んだ。その高校には制服もなかったし、校則もあるようでないようなものだった。誰も校則など気にかけるものがなかった。誰もが自主的に行動することが求められ、大人として扱われた。学生運動の結果だったらしい。

そういう経験を経てきた私は、いまだに「お仕着せ」が大嫌いである。みんなで決めたことなら、従うつもりだが、私が議決に参加できない状態で決まったことに従わなければいけないことが許せない。もちろん、国家の単位でも、地方自治体の単位でも、私を納得させるには単位が大きすぎるだろう。だから、密室で決められた法令にも従わざるを得ないのはわかっている。しかし、それにしても、不合理な規則は許せない。その規則が設定されたことに根拠があるのならまだしも、昔からそうだからと言って、お前も従えと他人に押し付けるのは、どうかと思う。その思考停止状態は犯罪的である。

「校則」そのものが、憲法違反であるという考えもあるようだ。校則そのものに笠に着て、いばるような教師が少しずつでも減っていくことを願う。教師というのは、民主主義を支える市民を育てる重要な役割を持っている。その精神を理解していない人が日本には多すぎる。学校は株式会社ではないのだ。


Green Day - Boulevard of Broken Dreams Lyrics and chords [音楽・楽器]



このチャンネルは、歌詞とコード譜がずれているものが多いので、ちょっと注意が必要です。



BOULEVARD OF BROKEN DREAMS CHORDS (ver 3) by Green Day @ Ultimate-Guitar.Com

Dsus2にせずに、Dでもあまり変わらなないのですね。



共通テーマ:音楽

まんが日本昔ばなし そこつ惣兵衛 [コンピュータ・ネット・テレビ]



落語の「粗忽長屋」(故 古今亭志ん朝師匠のがいいです!)と構造は同じですが、落語の方は江戸の町人で、このアニメの方は農民です。こういうおっちょこちょいなところは少なからず自分にも当てはまるので、親近感が持てます。

この昔話の中で、惣兵衛さんは、常人には考えられないような勘違いを朝から晩までしまくっています。現代であれば、日常生活が満足にできない「社会不適格者」の烙印が押され、「就職」はできそうもないです。ADHDとか、アスペルガー症候群とか、なんだとかわけのわからない病名をつけられて、高い薬を飲まされたり、カウンセリングを定期的に受けないといけないのでしょう。

昔はそういう時代ではありませんでしたから、「変な人」「変わり者」「粗忽者」という扱いで社会に受け入れられていました。惣兵衛さんは、家を間違えてお隣の家に怒鳴り込んでも、奥さんに「あんたのところはお隣ですよ」と、優しくたしなめられるだけで済んでいます。惣兵衛さんは悪い人ではないので、反省して、家に帰って、自分の奥さんに謝るのです。ほんとうに粗忽者です。

とはいえ、お隣りの奥さんにも馬鹿にされることもなく、自分の奥さんも、うちの夫はそういう人なのだとお温かく見守られています。その優しさが救いです。そして、そこがこの物語のキーポイントだと私は思います。

粗忽者が、「社会不適格者」としてバカにされるのではなく、そういう人も生活する拠点が与えられているのです。配偶者もいて、雨露をしのげる家もあって、生活の糧もある。隣近所との付き合いもある。それが幸せな社会なんだということを教えてくれる物語です。私は落語の「粗忽長屋」も大好きです。

「社会に役立たないなら殺すという思想は、彼だけのものなのか」 ハンセン病から相模原事件、なお潜む優生思想

工業製品に関しては仕方がないところがありますが、農産物に関して、ちょっとでも基準に合わないものをはじいて、廃棄処分するのがいつしか当然のことになりました。たとえば、極端に曲がったきゅうりとか、傷のついたりんごとか、味には何の問題もないのですが、規格外の農産物は一般のスーパーでは販売できないらしく、道の駅や無人販売所で安く販売されています。規格に合わない農作物はダンボールに入れると隙間だらけになって、輸送コストに見合わないというわけです。コスパとか効率が最優先されているわけです。

農作物のこういう傾向は、物質的に豊かな暮らしをしていると思しき社会では、看過してもよいのかもしれませんが、この方式を人間に当てはめると、恐ろしいことになります。足が悪くて、ふつうの歩き方ができなかったりすると、一緒に行動するのは難しいとして、仲間はずれにされる人がいます。だから、仲間と一緒にバスツアーには参加できないという話もよく聞きます。それは明らかに差別です。

私の母親は長年地方公務員として福祉事務所に勤めていたために、日常的に我が家に「障害者」が遊びに来て、私も子供ながらに懇意にさせてもらっていました。そういう環境でしたので、体が不自由であるというだけで、自分とは別の世界に暮らす人間として隔離するような意識を持つことがいまだに理解できません。

優生学、優生思想は、ヒトラーのナチズムにつながるものです。優等か劣等かをどうかを、誰かが自分に都合の良い恣意的な基準で判別するわけです。その基準を作る側は、自分を優等の側に据えているので、自らの偏見や先入観を意識することがありません。そういう視野の狭さ、被写界深度の浅さが怖いのです。この優生思想はステルス的に世界中に広まり、強化されつつあります。歴史を学ぶことの重要性を再度確認すべきでしょう。

27年連続で増加する児童への虐待 根本的な要因はどこにあるのか - ライブドアニュース

児童虐待そのものの件数が増えているのか、それとも虐待と認定される件数が増えているのか、わかりませんが、児童虐待は昔からあったのでしょう。ただ、なんとなく、そんな気がするのですが、確かに事件性のあるものは増えている気はします。

その背景にあるのは、子育て中の親(核家族!)が抱える社会的なストレスではないでしょうか。どうやって児童虐待を減らすかの対策は、虐待するものを犯罪者として逮捕すればいいとか、監視社会を強めて、すぐに通報すればいいという、冷酷な対処療法ではなく、犯罪に走らせないように、人々の生活に対する満足度を上げることしかないのではないでしょうか。

アメリカ映画を観ると、虐待が行われているのは、貧しい階層の家庭です。スラム街に住む黒人というのが定番です。そういうのは、彼らにとって常識なのでしょう。もちろん偏見かもしれませんが、実際によく見る光景なのでしょう。

この問題の根底にあるのは、「家族」や「個人」に与える社会的圧力です。

為政者や経営者は「生産性向上」と称して新自由主義的な価値観や競争原理を社会に押し付け、その結果、経済格差を大きくして、人々に将来不安と圧力を与え続けています。誰もが精神的な余裕を持って生きられない「暮らしにくい社会」を構築しているわけです。

虐待で自分の娘を殺してしまった父親の心の奥底には、そんな日本社会に起因するさまざまなネガティヴ要因が渦巻いているはずです。それを自分の娘に冷水のシャワーを浴びせ、浄化し、命を途絶えさせ、昇華しようとしたのかもしれません。

その原因を作ったのは、我々の社会です。この無慈悲な社会をどうするかという問題を考えるきっかけになればいいのですが、またマスコミは、鬱憤晴らしのネタとして、消費してしまうのでしょう。自分たちには責任がないと思っている人たちの先入観を打ち壊す必要があります。

たった、いま思い出したのですが、私が保育園に数ヶ月通った頃の思い出なのですが(あまりに嫌すぎて退園しました)、「椅子取りゲーム」で、真っ先に弾かれるのが私でした。体が弱く、体力がなかったので、いつも自分の席を失ったのです。ほんとうに嫌な気分でした。トラウマです。無意味な「競争」で、他人に不幸せな思いをさせることが、誰もが安心して暮らせる幸福な社会への実現につながると信じている人がいるようですが、そういう人はつねに「椅子取りゲーム」の勝者だったのでしょう。



共通テーマ:アニメ