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さくら(独唱):森山直太朗 [音楽・楽器]



「さくら(独唱)森山直太朗」ギター弾き語り用コード譜:なつばやしギター小学校

ようやく蝋梅(ロウバイ)の黄色い花が春らしい香りを漂わせる季節なりました。そろそろ梅も咲き始める頃でしょう。しかし、桜は一月以上先です。

そんなふうに、あんまり先のことばかり考えてはいけませんね。

残りの人生が着実に短くなっていることを言祝ぐことになりますからね。

ところで、江戸時代、桜といえば、山桜でした。ソメイヨシノが一般化するまでは、山桜こそが桜だったのです。ソメイヨシノは1週間から10日ほどで散りますが、山桜はダラダラと1ヶ月くらい咲き続けます。

ということは、テクニカルに言えば、江戸時代の武士は、現代人が考えているよりも、2倍命を大切にしていた計算になります。






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アイルランド西部 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



アラン島、ゴールウェイ、懐かしいな。

宝くじにでも当たらないと、一生行けません。

動画を見て満足するしかありません。



井伏鱒二が梶井基次郎を称賛する動画ですね。内田百閒が雷が嫌いだったという話や、太宰治は小説を書くことが好きでしょうがない人だったという話もしています。



内田百閒先生が飛行機の話をしています。操縦桿を握るパイロットのアシスタントして、二人乗りの飛行機の後ろの座席に乗っていたのでしょう。

インタビューアーはドイツ文学者の高橋義孝です。ゲーテ、トーマス・マンなどの翻訳で知られていますが、ナチスに親近感を持っていたことで批判の対象にもなっています。





昭和天皇が語りかけた“もう一つの玉音放送” [雑感・日記・趣味・カルチャー]



宮内庁が保管していたレコードの中に、戦後すぐ昭和天皇がラジオで国民に語りかけた録音が残されていることが発見されたという。数年前の放送だが、私は寡聞にして知らなかった。

戦後、食糧難に襲われ、皇居にデモ隊が押し入るほどの事態を収めるために、天皇が自ら国民に語りかけ、窮状を乗り越えるために一致団結し協力することを求めるという内容だった。

誰もが一度は耳にしたことがある、敗戦したことを国民に伝える「玉音放送」とは違って、そのときの言葉遣いは、比較的平易なものだった。また、国民に呼びかけるときに、国民を見下すような「爾臣民(なんじしんみん)」ではなく、「国民」を使い、天皇も国民の一人であることを暗に示しているのが興味深い。


作者の気持ちを作者は解けるか!? [資格・学び]



どうせ時間の無駄だと思うので、私は見ていません。見ていませんが、文学者の端くれとして、この企画は捨て置くことができないので、コメンテーターよろしく、コメントします。

小説家はあくまでも物語を作る(作った)人であって、主人公などの登場人物そのものではありません。その前提に立てば、作者は作者の気持ちがわかるのかという問題設定自体が成立しません。たとえ登場人物の気持ちがわかるのかという問題に変えたとしても、試験問題の作成者は小説の登場人物ではないので本当のところは何もわからないはずです。正解は問題作成者の解釈ひとつで変わるものです。この手の試験問題の正解は、問題作成者の解釈を読み解くことが求められるのです。ついでに言いますと、作者本人と、小説の語り手は別人格です。語り手も、登場人物と同様に作者の創造したキャラクターです。

そういう文学的素養がない人たちが立てたと思しき企画は見る価値はありません。1950年代に小説の読み方が大きく変わったことを、70年経ってもいまだに気づかない人たちには、文学教育が必要です。

昔、詩人の谷川俊太郎が、自分の詩かエッセイがセンター試験で勝手に使われたと言うので著作権法を盾に抗議したことがあります。そのときだったと思いますが、自分でその問題を解いてみて、正解が出せなかったと告白していました。その場合、問題作成者の答えが正解なのか、作者の答えが正解なのかわかりません。

そんなふうに正解が出ないことを真面目に考える場が、大学という教育機関なのですが、最近の大学教育は、「正解を教えてくれればそれでいい。あとは自分で暗記するから」と言って、授業中に寝ている学生が多いのです。昔から日本人学生は、勤勉とは程遠く、授業中に寝ている人も多かったのですが、さすがに「模範解答集をコピーしてください」とは言いませんでした。

正解は自分で考えるものだという前提が大きく崩れているのでしょう。正解はどこかにあるはずだから、それを覚えることが勉強なのだという思想に毒されているのでしょう。ものを疑うことから学問は始まるのですが、疑うことすらしていないのですから、教育が崩壊しているどころか、始まってもいないのです。

テレビを見ていると、誰しも感じていることでしょう。おバカタレントが、とんちんかんなことを言って笑う番組もいまだに消えません。それを見て笑っている側が、もっと馬鹿だというメタレベルの視点が欠如していることは、知性的には思えません。

「○○大学教授」とか「弁護士」などという肩書をひけらかしているインテリ気取りのコメンテーターもほとんどはバカです。誰でも言いそうなことを誰でも言いそうな表現で話すだけで、いかなる生産的な議論も生みません。「炎上」を避ける技術は無駄に巧みですがね。立川志らくは、その点、正直なので、よく炎上していますが、立川談志の芸を正しく受け継いでいる落語家の了見ですから、あれでいいのです。視聴者に、自分の考えを他人に押し付ける機会を与えるのではなく、真剣にものを考える切っ掛けを与える行為をしているのは、立川志らくです。立派だと思います。多くの日本人の中で、決定的に欠如しているのは、そういう視点です。

アマゾンの書籍値下げ、出版界に歓迎の声 懸念は公正さ:朝日新聞デジタル

再販制度は、日本独自のルールなので、グローバルスタンダードに合わせるわけですね。売れ残りを出版社が買い取るようなことよりも、書店が値下げをして、売り払ったほうが、無駄がないと思います。古本屋は儲からなくなるでしょうけどね。


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まんが日本昔ばなし「大六天さま」 [コンピュータ・ネット・テレビ]



きれい好きな婆様が、他人にその考えを押し付け、迷惑がられるという話。

「きれいなほうがいいに決まっているでしょ」と言って、他人の家に勝手に入り込み、食事時だろうがかまわずに、「おまえんところは汚い、汚い。よくこんなところに暮らせるな」といいながら、家財道具を一式庭に捨ててしまうのです。スゴイ婆様です。それを見咎めた「大六天」という神様(散らかった状態が大好きな神様)が、婆さんを懲らしめるのです。

ここからどういう教訓が引き出せるのでしょうね。いろんなことが言えそうです。



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7 REASONS why Jimi Hendrix was AMAZING! [音楽・楽器]



ジミ・ヘンドリックスとふつうのギタリストとの違いをわかりやすく解説してくれています。勉強になりました。

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説教している場合ではないですが:商人の国ニッポン [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝、夢を見ました。夫婦で定食屋に行ったのですが、私のところだけ、頼んだ料理がいつまで経っても来ないのです。結局、2時間待たされ、空腹感を通り越し、自分が食べたのか、食べてないのかもわからなくなるくらいになり、とうとう店の対応のひどさに激怒して、店の者たちを全員呼んで謝罪させ、私は店の中のさまざまな問題点を偉そうに指摘・説教しました。なぜか、店の関係者にアントニオ猪木がいました。私は自分をかばうように恐る恐る「猪木さんは悪くありませんよ」と言っていました。しかし、猪木さんは平身低頭して、私に詫び続け、申し訳ないな気分になったときに、目が覚めました。自分のダメなところがよくわかる夢でした。

外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

確かに旅館に泊まったときに、「歓迎○○様御一行」などと自分の名前が書かれた看板が玄関先に置かれていて、ギョっとさせられた経験が何度かあります。日本人の私でも決して気持ちの良いものではありませんでした。多くの外国人にとっては、プライバシーを侵害されたと感じるものだと、この記事は教えてくれます。

日本には、他にも、勘違いした「おもてなし」があり、すぐに止めてほしいものがあります。それは商売の世界の「おもてなし」です。ショッピングモールやスーパーマーケットなどへ開店早々に行くと、入り口に店員さんたちがずらりと並んで、両脇から「おはようございます。いらっしゃいませ~ おはようございます。いらっしゃいませ~」と十数回も挨拶されます。それは店側の客への配慮なのかもしれませんが、客としては非常に居心地が悪く、踵を返して家に戻りたくなるほどです。客は神様ではないので、放って置いてほしいです。何度もそんな目に遭って不愉快になったので、私は、開店早々には行かないことにしています。

日本人が考える「おもてなし」というのは、日本独自の新しい伝統にすぎません。閉鎖的な日本人には「おもてなし」の感覚なんか昔かからなかったことを、若い人たちに知ってもらう必要があります。hospitalityというのは、西洋の伝統で、病院(hospital)やホテル(hotel)に通じる概念ですが、西洋のhospitalityの概念を理解してから、「おもてなし」というのはどういうものなのか、考え直したほうがいいでしょう。

電車の中の無駄な説教(優先席の近辺では云々、カバンを云々、座席を云々、乗り換えがどうのこうのというやつ)も鉄道会社が親切心からやっているのかもしれませんが、ほとんどは無益な情報なので、不愉快にしかならなりません。イアフォンでラジオを聞いているときや、静かに本を読んでいるときに、車内アナウンスが入ると、邪魔された気持ちになって、不愉快になります。電車だけではなく、他の分野でも、時代に合わせて、もっと合理的に、効率的にやってほしいものです。

生徒の成績で教員を評価、大阪市の施策は「教師の軋轢生み授業の質下げる」教育コンサルが苦言 | キャリコネニュース

「勉強の目的はテストのスコアを高くするためだ」と見なす(一見合理的に見える)考え方は、大学にも浸透してきています。英語教育では、学生のTOEICのスコアを上げることが重要視されており、いずれ、それができる教師の能力が評価される時代になるのでしょう。スコアを上げるためなら、TOEICの癖を分析して、その裏をかくことを教えたり、効率よく文章を読んだり、速読の練習をさせたりすればいいのですから、授業の中身は、単なるテスト対策で十分です。そんな予備校的な教育を推し進めていけば、大学生が大学で本来学ぶべきことを理解しないまま卒業していくことになります。その程度のものなら、わざわざ大学に足を運ばなくても、家でパソコンを使って勉強できると思われてしまえば、結局は大学教育の自壊につながります。

大阪は「商人」の町だから、そういう考え方に親和性が高いのでしょう。一見合理的に思えますが、回り回って、不合理な考え方です。教育の理に合致していないのですから。昨今、日本が全体的に「商人」の国になりつつあります。日本には「商人」しか「社会人」として認めない風潮が強まりつつあります。そのこと自体を疑えるような人間を育てるのが大学教育だと思います。大阪は勝手に(失敗必至の)実験をしてもらってもいいですが、迷惑千万ですから、全国に広がることは避けてほしいものです。

安倍首相「サンゴは移した」の嘘に琉球新報編集局長が「民主主義国家の総理としてあるまじき行為」と痛烈批判|LITERA/リテラ

裏を返せば、日本はまだ民主主義国家にはまだなっていないということです。その真実は安倍総理の嘘、麻生太郎の暴言から、透けてくることです。日本が「商人」の国になれば、社長の命令は絶対服従という態度が養われるのですから、権力者の命令には従わざるを得ないことを当たり前と考えるようになります。まさに明治時代を通り越して、江戸時代に遡るわけです。天皇の命令には絶対服従だと考えられるようになったのは戦中ですが、うかうかしていると、すぐにそういうところに戻ってしまうのが日本という国です。日本人は外国人におだてられ、日本は「侍の国」であるという認識を持っていますが、本来はロシアが農奴の国であるように、日本も百姓の国です。「お上の言うことには逆らえねだ」と。安倍や麻生にならって、民主主義を軽視すれば、ヒトラーのナチズムとか、ソ連のスターリニズムとか、要するに全体主義の国に近づくわけですが、教育の目標が、商人の精神を育成することになりつつある現在、なかなかその風潮に逆らえなくなりました。居心地の悪い社会になりつつあります。

最悪の事態を避け、民主主義社会の実現に向かうためには、一定方向に流れることを本能的に回避しようとする「抵抗勢力」をまるで障害物のように見なす人たちの数を少しでも減らすことを意識した教育が必要です。逆の見方をする人とを排除すれば、民主主義は育ちません。「他者」をリスペクトするという(先に民主主義や個人主義を完成させた西洋では当たり前の)態度が養われません。

「おもてなし」というのはそういう「他者へのリスペクト」の上に乗るものです。商人の発想だと、自分たちにお金をくれる相手をリスペクトし、そうではない人に対しては、差別するという発想になります。「おもてなし」は、まさに内と外を峻別する日本人らしい醜い心の反映です。

勤労統計と手口ソックリ 安倍政権から膨れたGDPのカラクリ|日刊ゲンダイDIGITAL

GDP水増し疑惑を訴えた『アベノミクスによろしく』を出版されたばかりのときに私も読みました。安倍政権は、嘘つき政権ですから、「さもありなん」という感じで、驚きませんでした。

魔術師の安倍総理が、魔法をかけて、我々が見たいような世界を見せてくれたのです。そろそろその悪夢から我々が目を覚まさなければいけないときが来ました。