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「すたみな太郎」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「すたみな太郎」風評で売上激減 バカッター動画の間違いで拡散 - ライブドアニュース

こういうやり方で、どこかの企業に対して合法的に損害を加えることができるとは、恐ろしいですね。

ツイッター民みたいな情報弱者をうまく利用して、デマをまき散らせば、ライバル企業なんかイチコロですね。

国家も転覆できるかも。

というか、逆に、情報弱者のネトウヨ(ツイッター民)が、自民党にコロリと騙されて、国家が自民党に奪われそうになってますけどね。いままさに自民党が中国共産党とか北朝鮮の労働党のようになっています。安倍晋三を見ていると、習近平とか金正恩が重なって見えるのは私だけでしょうか。

まあ、それもまたよし。勝手にせい。

私は新型うつ病(自己判断)なので、自分のことを考えるので手一杯。国が滅びても気にしません。

もう、どうでもいいですわ〜

そう考えたら、少し気が楽になりました。

話がコロコロ転がりますが、今日は、昼間、時分の部屋に乱雑に置かれた小物や衣類のスッキリ整理をしました。

でも、断捨離はしていません。

引き出しの中には、捨ててもいいものが多数ありますが、いまはまだ捨てません。



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酒のこと [雑感・日記・趣味・カルチャー]

小島慶子氏 同級生の死を報告「研究者が冷遇される現状に憤りを感じる」

九州大学で校舎ごと爆死した元大学院生がいましたが、同情・共感しました。可能なら、私も日本全土を吹き飛ばして爆死したいと思っているくらいです。

野口五郎さん手術の「食道がん」 “お酒で顔が赤くなる”タイプはリスク100倍超も!(FNN PRIME) - Yahoo!ニュース

【健康寿命UP術】寒い時期の「ビタミンD」不足 糖尿病リスクに拍車 (1/2ページ) - zakzak

俗に「酒は百薬の長である」とよく言われますが、研究が進むにつれて、少量のアルコールの摂取であっても体に害を与えるということがわかってきました。血糖値を下げるインシュリンの効き目を抑制するので、糖尿病患者にとっては飲酒はタブーです。

私はアルコールが飲めない体質なので、飲み会も大嫌いです。その気持ちは苦手なんて軽い言葉では表現できません。むしろ、憎しみさえ覚えます。飲み会の空気を汚染するタバコの煙も大嫌いです。酔っぱらいの繰り言も唾棄すべきものであると思っています。

学生時代、「アルコールが飲めないなら、たくさん飲んで鍛えろ」と言われました。私にそう命じた人が誰かは明かすことはできませんが、本当に嫌でたまりませんでした。当時からすでに、鍛えればアルコールの分解力が高まるものではないことを私は知っていたので、彼が、日本独特の精神論、体育会系的な思考の罠にはまりこんで、科学的思考力が大いに欠如していることに呆れました。

だから、いまだに飲み会に誘われてもすべてお断りしています。しかし、魔が差して、何年かに1度禁断の世界に足を踏み込むこともあります。酒を飲めない私を見かねて、酒がな飲めないなら、料理をたくさん食べてくださいと言われます。酒飲みは、概して、ほとんど料理に箸をつけずに、酒ばかり飲むくせに、無駄に料理を頼むので、必ずいろんなものが少量ずつ残ります。結果、私は残飯整理のような役目を買わされるわけです。食べたくもないものを食べさせられる上に、大量に食べさせられるので、糖尿病患者にとっては地獄です。

ということで、私は気の置けない大学時代の友人二人との飲み会のみ、年に1度参加しています。友人の一人も病気で、酒を飲まないので、酒を呑むのは少数派です。飲み会で飲ん兵衛が少数派というのは、非常に居心地が良いものです。

日本のバレンタインデーは最悪です。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「パワハラだ」「イベント廃止にしてほしい」 義理チョコ文化はいつ生まれ、なぜ嫌われるようになったのか?(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース

「義理チョコ」の習慣が始まったのは、1980年代からだそうです。

私は小学校の高学年のときに(1982年前後でしょう)、初めて同級生の女子から義理チョコをもらいました。しかし、それは今で言う「義理チョコ」でした。当時そういう言葉はありませんでしたが、なぜそれが「義理チョコ」かと言うと、友人と二人で彼女からチョコレートをもらったからです。

しかも、当時は3月14日の「ホワイトデー」なる習慣もありませんでした。彼女には「明日、お返しをもってきてね♡」と言われました。「えっ、明日?」と思いましたが、仕方がないので、その日、友人と一緒に近くの商店に行って、お返しを買って、翌日渡した記憶が残っています。何を買ったのかまったく覚えていませんが、チョコレートではありませんでした。なんでもいいやと、値段で選んだ気がします。ちなみに、彼女との間に、我々も恋愛感情は一切ありませんでした。私は彼女の名前すら思い出せません。

この習慣は、明らかに、お歳暮、お中元などと同じようなものです。昭和30年代に全国で日本独特の悪習を廃止すべきであるという運動が国家主導で行われ、市役所職員だった私の祖父も虚礼を廃止すべきであるという文章を「市報」に度々寄稿していました。貧困生活から立ち直るためには、そんな無駄遣いをせず、稼いだお金を自分たちの生活改善のために活用すべきであると、庶民に諭しました。

私は祖父の遺伝子を受け継いでいるので、お歳暮もお中元もお年玉も賄賂であると思っており、一切行っていません。いまだにそんな悪習が形を変えながら根強く生き残っている事自体、日本人の文化レベルの低さを反映したものであると考えています。もちろん、私の意見に同意しない人も多数いるでしょうが(私の妻は明らかに反対意見です!)、私は興味も関心も一切ありません。「お世話になったあの人へ、年に一度のご挨拶」なる習慣が年に何回もあっては、私のような貧乏人は破産します。

純粋に愛する気持ちを伝えるという西洋のSt. Valentuine's Dayは素晴らしいと思いますが、日本のバレンタインデーは最悪です。

そんな商業イベントに踊らされる暇があったら、「愛」とは何かを真剣に考えるべきです。


なぜオリンピックのマークは輪が5つなのか [雑感・日記・趣味・カルチャー]

なぜオリンピックのマークは輪が5つなのか。

あのマークはオリンピックを復興させたかのクーベルタン男爵が作ったもので、5つの大陸を表しているとウィキペディアに書かれています。しかし、五大陸説は俗説だそうです。クーベルタン自身は「青、黄、黒、緑、赤の色は、地色の白を加えると、世界の国旗のほとんどを描くことができるという理由で選んだ」と書いているとのこと。

オリンピックの理念は、よく知られているように、競技者がお互いに競い合うことです。競い合うというのは、どこの国の誰が勝つかというものではなく、お互いに能力を高め合うという意味です。お互いに努力することが、世界平和につながるという考えです。政治家や起業家たちはそういう理念を完全に忘れて、目玉にゼニしか見えていません。おぞましい限りです。

また、「五輪」という表記は戦前からのもので、新聞紙面の文字を節約するために新聞記者が思いついたものだそうです。宮本武蔵が剣術の奥義をまとめた『五輪書(ごりんのしょ)』がヒントになったようです。

オリンピックシンボル - Wikipedia

JOC - オリンピズム | クーベルタンとオリンピズム

「オリンピック」を「五輪」と表記したのは誰?|ライフコラム|NIKKEI STYLE

桜田五輪担当相の池江選手への無神経発言は安倍政権の五輪至上主義が生んだ! 斎藤工主演映画の五輪描写にもクレーム|LITERA/リテラ

思想統制、言論弾圧、表現の自由を制限しようとする自民党の議員こそが憲法違反なのですが、平気で憲法違反をするような人たちが、憲法を改正するというのは、かなりまずい状況ではないですかね。

どうせ、私はそんなに長く生きられないでしょうから、日本がどうなっても、どうでもいいんですけどね。


「パパは憲法違反?」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

安倍首相vs野党 憲法と自衛隊で激論 「パパは憲法違反?」めぐり(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース

アメリカの命令で、中国やロシアや韓国を騙すために、いや日本国民の目をくらますために「自衛隊」と名前をすり替えさせられているだけで、事実上、「自衛隊」は日本軍であり、日本国憲法を誰がどう読んでも、たしかに憲法違反です。英語の名称でも、Japanese Defence Forceです。forceは軍隊という意味ですから、自衛隊は日本軍であると、世界的には認識されています。そういう認識がないのは、日本人だけでしょう。

しかしながら、自衛隊は憲法違反だから、自衛隊は消滅すべきと思っている人は、いまはほとんどいないと思います。自国を守る軍隊がないのは、主権国家の体をなしておりません。

そんな国民の常識を、改めて安倍総理は持ち出してきて、自衛隊は憲法違反だから、憲法を変える必要があると主張しています。正直なのか馬鹿なのかよくわかりません。

安倍総理の意図は、日本を主権国家にするということかもしれません。つまり、安倍総理は、日本がアメリカの属国であるということや、自衛隊が憲法違反であるという前提を覆そうとしているわけです。

その点を踏まえれば、私は安倍総理の考え方に同調できます。

ただ、安倍総理がやろうとしていることは、アメリカの属国のまま、主権国家のふりをする戦略を転換し、憲法上は主権国家になりながらも、事実上は属国の地位に甘んじるというやり方です。いずれにせよ、日本がアメリカの属国であるという屈辱的な状況は放置されます。

なぜなら、日本国憲法の上に、日米地位協定が存在し、日本の領土のどこにでも、米軍基地を作ってよいという協定が結ばれているからです。それこそが日本がアメリカの属国たる所以です。

日本国憲法の改正の前に、日米地位協定を撤廃し、米軍基地を日本から追い出し、日本に置くのは自衛隊の基地のみにするのが、個人的には優先すべき課題だと考えます。

しかしながら、核兵器を持たない日本が、米軍を補うような軍隊を維持しようとするならば、膨大な費用がかかることは間違いないし、国民生活をよりいっそう厳しくするものになるでしょう。

ということで、にっちもさっちも行かない状態なのです。これが日本が置かれるポストコロニアルな状況です。

いくら日本国憲法を改正しても、何も変わらないことがわかっていながら、変えるべきだと自民党が主張するのには、おそらく他の目的があるはずです。

それが何かを突き止めることが重要です。おそらく、国民を思想統制し、自由を制限し、ナショナリズムを強化するということでしょう。つまり、民主主義の放棄です。

産経新聞だけではなく、どこのも新聞社や通信社も、いつも話を矮小化してしまいます。こういう大きな枠組みで物事を捉えようとしないので、私はそういうジャーナリズムの在り方を先に改正すべきだと思います。日本のジャーナリズムこそ、国民の知る権利を犯していると言う意味で「憲法違反」に加担しています。




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