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借金大国は嘘 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

日本が借金大国は嘘か 「財政が悪い」はまやかしとの指摘も - ライブドアニュース

財務省が嘘をついているというのは、もはや日本人の常識ですね。財務省の嘘と、世界にも認められたわけです。

明日、県会議員選挙の期日前投票に息子を連れて行っていきます。妻は、たぶん選挙には行かないのでしょう。妻は、自分たちの生活はどうなってもいいらしいです。なにか世の中に不満があっても、すべて私が悪いと考えるような視野の極端に狭い人ですから、選挙権なんかないのと同じです。いわば奴隷ですね。私も『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンのような奴隷ですが(パンを盗んだわけではありませんよ)、なんとかして奴隷の身分から脱したいので、投票に行ってきます。

私は、財務省の嘘に加担し、庶民を苦しめ続けている自民党と公明党に属していない議員を選びます。


主よ人の望みの喜びよ / バッハ【ピアノ ゆっくり】/pianomigite [音楽・楽器]



「ゆっくり」でも、私には速くて追いつかないので0.5倍速にして弾いてみました。大好きなバッハが弾けたことに感動しました。むしろ感涙です。もう主のもとに行ってもいいくらいです。素晴らしい。ああ、私は地獄行きでした。



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「嫌われる勇気」 [本]



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この解説動画を見て、私は『恋はデジャ・ブ』(1993年)という映画を思い出しました。原題はGroundhog Dayです。映画評論家の町山智浩さんによると、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の永劫回帰とか超人の概念をベースにしているそうです。アドラーの「幸せになる3原則」を体現できたら、もう一度生まれてきてもまったく同じ自分の人生を生きられる、いや生きることを望むことができる「超人」になれそうです。

こういう(ビジネスマンが好きそうな)心理学に影響を受けた直後には、「よし、がんばろう!」という気持ちになりますが、すぐに承認欲求と競争と他者に振り回される生活に逆戻りするのが常です。人間は弱い生き物ですからね。そうして、自分のことが嫌いになっていくものです。そういう弱い自分さえも受け入れられるのであれば、ニーチェの想定した「超人」になれるかもしれません。

映画の中で、ビル・マーレーが演じる性格の悪い主人公は、同僚の女性を好きになります。彼女にいくらアプローチしても釣れない返事しか帰ってこないことに彼は苛立ちます。女性がビルを嫌うのは、ビルがあまりにプライドが高く、傲慢で、自分勝手な男だからです。

ビルは翌朝、ベッドの中でひとり目を覚まします。目覚し時計を見ると、表示される日付が昨日と同じことに目を疑います。時計が壊れているのだろうと思いながらも、その日のスタートを切るのですが、昨日とまったく同じスケジュールで動くことになります。そして、次の日もまた次の日もまったく同じ一日を生きる生活が続きます。時間の円環の中に閉じ込められてしまったわけです。

最初のうちは、その奇妙な生活を面白がって、ビルはいろんないたずらをして遊ぶのですが、とうとううんざりして自殺します。しかし、次の朝、また生き返ってしまうのです。永遠に自ら自分の人生を終わらせることができないという、絶望すらできない人生です。

毎日同じことの繰り返しや、いたずらにも飽きたし、とうとう、やることもなくなり、子供の頃に諦めたピアノ教室に通い始めます。先生の方は毎日ビルとは初対面なのですが、ビルの方は日々上達しているので、そのたびに驚かされます。そうして、ビルは自分のピアノが日毎にうまくなっていくことに喜びを感じる日々を過ごすのです。ある日、自分が想いを寄せている女性を喜ばせようと彼女の前でピアノを弾きます。ビルはみんなを愉快な気持ちにさせることが楽しくなり、次第に女性とも打ち解け、彼女と結ばれ、ようやく閉じられた時間の円環の外に脱出することに成功するというストーリーです。

当初、ビル・マーレーが演じる主人公は、「こんな仕事は役不足だ。俺のような才能のある人間がやる仕事ではない」という傲慢な態度を取り続け、周囲を不快にさせていました。そうやって彼は自分を否定していたのです。今の自分は本当の自分ではないと。それは他人と比べたり、競争して、他人の基準で自分の人生の意味を計測する行為です。自分は他人に承認されていないとぼやいていたわけです。これこそが、他人の人生を生きるということです。

途中、ビルは、彼女の気を引こうとして、彼女の好きなフランス語の詩(ボードレールだったか、ヴェルレーヌだったか、マラルメだったかわすましたが)を覚えて、彼女の前で暗唱するのですが、それも相手に合わせるだけの人生です。相手を喜ばそうとしても、それでは自分の人生を生きているとは言えません。本当にしたいのは、彼女に自分のことを好きになってもらうことであって、フランス詩を暗唱できるようになることではありません。

ピアノを始めたビルは、自分がそうしたかったような人生を生きることのみに集中し、他人の価値基準なんかどうでもよくなります。その時点で、アドラーに言わせたら、「嫌われる勇気」を持ったということになるのでしょう。自分自身を喜ばせることを純粋に追求したからこそ、他人を喜ばせることもできて、自分の人生を生きることができたと言って良いと思います。そういう人間が「超人」です。

「嫌われる勇気」というタイトルは、誤解を与えそうなタイトルだと前々から思っていましたが、けっこう誤解されているのではないでしょうか。アドラーの考えだと、傲慢になって、他人に迷惑をかけて、嫌われることを気にするなという意味ではないはずです。『恋はデジャ・ブ』の中の最初の頃のビル・マーレーみたいな傲慢な人になりなさいということではないでしょう。動画の中で取り挙げられているホリエモンは、初期のビル・マーレーのようにひたすら傲慢なだけです。この本は、ああいう人になってはいけないという本だと思います。まあ、読んだことがないのでわかりませんけどね。それに、読まなくても中身が想像つくので、読むつもりもありません。

朝っぱらから、家族が私に留守番をさせ、どこかに買い物に行っておりました。昼過ぎに、私がキーボードの練習をしているときに、彼らが帰ってきました。ドアを開けて、ピアノの音が聞こえた瞬間に、妻はため息をつきました。彼女は、朝目覚めるとため息をつき、私が仕事から帰ってくると、またため息をつきます。私がやる気を失う原因は彼女にあることは明白です。しかし、そういう迷惑な人に振り回される人生は金輪際、きっぱりと捨てます。

春休みには、どこかに行こうかと思っていたのですが、どこにも行く気がしなくなりました。妻は、図書館から『るるぶ』の奈良や京都編を借りてきました。誰かと旅行に行くつもりなのでしょうか。きっと私は留守番でしょう。万が一、「いまどこか行きたいところはない?」と誰かに聞かれたら、「そうさね、あの世に行きたいなあ。行ったことがないので。」と答えるしかありません。聞いてくれる人もいないので、そういう言葉をかわす可能性はゼロに近いですけどね。






こういう地獄に行ってみたいですね。





私は桂吉朝さんのが一番好きですね。師匠たちはみなさん天国で安楽に暮らしておられるのでしょうね。

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