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霞ヶ浦を見てきました。 [お出かけ]

春休みも終わりです。またうんざりする新年度が始まってしまいます。

5月の10連休まではしばらくうんざりする日常が続くことになるので、近場でいいので、どこかへ行きたいという妻のリクエストに応えて、ちょっくら霞ヶ浦を見に行くことにしました。私達が霞ヶ浦を見るのは、初めてです。東京近郊に住んでいる人の場合、4月に開催されるかすみがうらマラソンを走ることやロードバイクで霞ヶ浦を一周することを趣味にしている人以外は、失礼ですけど、ほとんど足を踏み入れない地域ですよね。

霞ヶ浦大橋を渡った先に「道の駅たまつくり 行方市観光物産館こいこい」があります。そこが第一の目的地です。

物産館の中では、地元の野菜のほか、霞ヶ浦で捕れた鯉や小魚の惣菜がたくさん販売されていました。私は佃煮のようなものや煮魚が苦手なので、何も買いませんでした。妻は好物の茨城県産の干し芋を買っていました。女の人はどうして乾燥芋が好きなのでしょうね。

物産館にフードコートが併設されているので、そこで霞ヶ浦を眺めながら、昼ごはんを食べました。今日は暖かったので、外のテラスで食べている人もいました。

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あとで気づいたのですが、物産館の屋根は霞ヶ浦名物の帆引き船の形をしています。気づくのが遅くて、こんな写真しか撮れませんでした。

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ロードバイクで走っている人がたくさんいました。いつか機会があったら私も一周してみたいです。でも、一人で数十キロも走っていたら飽きちゃうでしょうから、誰かと一緒に行ければいいのですが、行ってくれる友達がいません。

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私が頼んだのは、「なめバーガー」。「なめ」は行方市(なめかたし)の「なめ」で、実際はナマズのハンバーガーです。歯ごたえは鶏肉みたいで、若干臭みがあります。ナマズの他に、鯉、鴨、豚などもありましたが、ネタになるのは、明らかにナマズです。変わった食べ物が好きではない次男と妻は、何の変哲もない立ち食いそばみたいなそばを食べていました。きっと彼らはインドに行っても、カレーを食べずに、カップラーメンを食べる人たちかもしれません。

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道の駅に併設されている展望台です。無料かと思ったら、大人一人600円もするので、下から見上げるだけにしました。展望台は上から見下ろすためにあるのでしょうけど、貧乏人にとっては下から見上げるものでしかありません。(ちなみに私はスカイツリーにも上ったことはありません。)値段が高すぎるせいか、お客さんは一人もいないようでした。当然ですね。200円だったら、私だって上っていたでしょう。こういうのを「機会損失」というのでしょう。儲け損なっているわけです。絶対に値下げすべきです。

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その後、次男のリクエストで予科練平和記念館に行ってみました。予科練とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称です。詳しいことは、記念館のホームページの解説文を読んでください。

「予科練」とは | 予科練平和記念館

途中、カーナビの案内を無視して、わざわざ霞ヶ浦のすぐわきのサイクリングロードを車で走ってみました。ここは不思議な道路です。以前、YoutTuberのMikasuさんが霞ヶ浦を一周するコースを紹介していたのですが、それを見て一度行ってみたいと思っていました。これは自転車で走りたくなる道です。若かったら、マラソンしたくなったかもしれませんが、いまはもう無理です。膝に爆弾を抱えているので。水辺で釣りをしている人たちもたくさんいました。霞ヶ浦の横のレンコンの池の用水路みたいなところで、30センチ位の長さの釣り竿でタナゴ釣りをしている人もいました。子供の頃あれに憧れたのですが、地元にはそんな釣りをする人がいませんでした。霞ヶ浦でそれが見られて、興奮しました。こういう感覚は、ほとんどの人にはわからないと思います。

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入場料は大人500円、小中高生は300円。

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館内の撮影は禁止されているので、マナーを守って撮影しませんでした。予想に反して、充実した展示でした。陳列された展示品の説明を読むだけではなく、その展示に合うような内容の記録フィルムも流れており、それがまた興味深いものばかりでした。靖国神社に併設された遊就館に足を運んだことがある人なら、一度は訪れる価値があると思います。

旧仮名遣いや旧漢字で書かれた予科練生の手紙を息子が読み出したのですが、漢字が難しくて読めなかったので、一緒に読んであげました。私は昔の本を読むのが好きだったので、当時まだ元気だった祖父の力を借りて旧漢字(台湾の中国語の漢字みたいなやつ!)を覚えました。私の世代(アラフィフ)でも読めない人のほうが多いと思います。

もちろん、私は戦争が好きなわけではありません。むしろ戦争は大嫌いです。イギリスに行ったときも、戦争博物館を訪れ、イギリス軍がいかに悪い日本軍をやっつけたかという憎しみと人種差別に満ちた展示を白人たちに混じって見て、げんなりして帰ってくるような趣味の人間です。

なぜ私がそんなことをするのかというと、戦争というのは、いかなるものなのか、多面的に知りたいからです。我々は当時の兵士たちが(この展示では予科練の人たち、つまり特攻隊になった人たちが)どういうことを学んで、どういう訓練をし、戦争でどういう死に方をしていったのかを知るべきだと思うのです。そういう知識は、日本を維持発展させていく人たち(特に若い人たち)にとって不可欠だと思います。少なくとも、うちの息子を「口だけ番長」みたいな好戦的なネトウヨ(バカ!)にならないようにするためにも、積極的にこういう知識を注入しています。

展示を見ると、予科練の人たちはエリート教育を受けていたことがわかります。文系科目も理系科目も、もちろん英語も学んで、精神的にも身体的にも鍛え上げられた優秀な人達です。そんな人たちが、つまらない死に方をさせられていった時代を「令和」になっても決して忘れてはいけないと思います。

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人間魚雷の「回天」の模型です。想像していたより長いものでした。無駄に長い気がしました。乗員2名でアメリカの戦艦に突撃して、爆死するという作戦がありました。今考えたら、そんなことして、意味があるのかなと疑問に思いますが、当時は本気でやっていたのです。追い詰められた側の人間は、そんなことまでしてしまうのです。まさに窮鼠猫を噛むです。そんなことをしたら、逆に、ネズミがネコに噛み殺されてしまうことに気づいていないのです。ネズミのくせにネコを噛み殺せるとでも思っているところが、あまりに恐ろしいです。予科練の人たちは優秀な人達ですから、大東亜戦争が無謀な戦争だということをきっとはっきりと認識していたでしょうね。権力者の判断が100%間違っていることをわかっていても、愚かしい権力者には従わなければいけない状況というのは、いつの時代にも、どこにでもあります。そういう意味では、予科練生も我々の同士です。

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これは零式戦闘機です。遊就館に展示されているものと似ていますが、こちらのほうが大きような気がしますし、かっこういいです。零式戦闘機も、徐々に細かい改良が加えられていったそうです。詳しい人が見たら、違うポイントがいろいろあるのでしょうね。

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幸運なことに、隣の敷地のにある自衛隊の土浦駐屯地の開放日だったので、雄翔館を見学させてもらいました。館内は撮影可能なので、何枚か写真を撮ってきました。駐屯地に入るためのゲートで、自衛隊の隊員さんに金属探知機を使って検査されたのは、面白い体験でした。あんなところに、爆発物とか持ち込む人がいるのでしょうか。(うちのいとこが自衛隊員なので、自衛隊には親しみを感じます。警察はあまり好感をもっていませんけどね。)

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連合艦隊司令長官 山本五十六の銅像です。

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詳しくはないので、よくわかりませんが、これは日本の戦車です。敷地に、アメリカの戦車を含めて、多数の戦車が展示されていました。残念ながら、ドイツのタイガー戦車(ティーガー戦車)はありませんでした。

今回の旅行は、なかなかおもしろい日帰り旅行でした。ここ数年、どこの観光地に行っても、アジア系の外国人だらけで、正直に言って、うんざりします。さすがに、こういう場所には外国人はいませんでした。久しぶりに日本らしい日本を味わえました。別に、外国人が嫌いなわけではありませんが、今の日本はあまりに外国人にあふれています。逆に自分のほうが外国人であるかのように錯覚することもあって、疲れてしまうのです。



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アイヌモシリ ~アイヌ民族の誇り~ [雑感・日記・趣味・カルチャー]



北海道、千島列島、樺太半島というのは、和人である我々が日本列島を支配する以前は、アイヌの人たちのものだったわけですから、和人が「日本固有の領土です」と主張し、ロシアに返還を求めるのは、少しおかしな話に聞こえます。その論理を厳密に適応すれば、アイヌの人たちに北海道も返さなくてはいけないのかもしれません。しかし、いまさらそんなことは無理ですので、和人はアイヌ文化を保護し、彼らと共生すること、彼らから思想を学ぶことをしていく必要があると思います。

この動画を見ていると、アメリカの白人たちが、原住民(ネイティヴ・アメリカン)を虐殺して、彼らの土地を奪っていった歴史と重なります。和人も同じことをしていたわけです。坂上田村麻呂や徳川家康は「征夷大将軍」を名乗りましたが、「夷」は厳密に言えばアイヌの人たちです。住処を東北地方から北に追いやられたアイヌの人たちを、縄文人さながらの生活様式から、「土蜘蛛」と呼んで軽蔑・差別・支配した上に、徳川家康は、二荒山神社のふもとに日光東照宮を建て、鬼門封じを行ったわけです。鬼はアイヌの人たちです。

この動画によると、アイヌの人たちの多くは、就職差別などの差別によって、生活保護を受けている人の割合が高いそうです。これは在日朝鮮人も同じ状況かもしれません。差別をすることで、就労の機会を奪い、生活保護を受けざるを得ない状態にしておきながら、生活保護を受けていることはずるいというのですから、どれだけ和人は汚いかわかります。