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我如古より子「娘ジントヨー」 [音楽・楽器]



我如古より子さんはお美しい上に、歌声もまた魅力的ですね。「ジントヨー」とは「本当よ」という意味なんだそうです。

嘉手苅林昌さんの次男の嘉手苅林次さんも出ています。林次さんは今62歳ですから、これは相当昔の映像ですね。





共通テーマ:音楽

嫌いな人からのオプトアウト [雑感・日記・趣味・カルチャー]

オプトアウト - Wikipedia

opt out = to decide not to take part in an official system, especially one that has not started yet


オプトアウトという言葉は、英語では昔から使われているようです。簡単に言えば、何かに参加しないという意味で、具体的には、メールなどを通じて特定の企業から情報が提供されることを拒否することを指しているとのこと。

私は、これをインターネットやテレビにも拡大してほしいと思うことがあります。私は松本人志やホリエモンが大嫌いで、彼らの顔を見るだけで、気分が悪くなります。むろん、彼ら(について)の記事も読みたくないので、私が見ている世界から彼らを完全に消去してほしいのです。自分を不愉快にする情報が最初から存在していないことになっていれば、人間は平穏無事に日々暮らすことができる気がします。

しかし、不愉快で有害な情報を自分の世界からオプトアウトすることには、大きな問題があります。自分が見たくないものを見ないために受信拒否すれば、重要な情報かもしれないものを知る機会を失う可能性があるのです。友人や知人などを経由して入ってくることはあるかもしれませんが、コミュニケーションが不得手な人間は、情報から隔絶してしまいます。たとえば、安倍晋三や麻生太郎の顔が見たくないからと言って、安倍晋三や麻生太郎関連のニュースを受信拒否すれば、悪党たちによって日本の政治が破壊されつつある状況を知る術(すべ)を失います。それは民主主義社会の維持発展を阻害することになり、非常に危険な行為です。

何をオプトアウトし、何をオプトアウトしてはいけないかの判断はきわめて難しいことです。もし有害情報を見ないようにしたければ、ひとまずはインターネットやテレビなどのメディアそのものから距離を置くしかないのかもしれません。しかし、それが社会の発展にとっては良いことではないでしょう。心の底から嫌いなのですが、松本人志もホリエモンも安倍晋三も麻生太郎も、私の存在している世界の背景に据えておく必要があるようです。私にとっては、彼らはショウジョウバエみたいな存在にすぎませんが、邪魔くさい存在ですね。


内需産業の不振は大企業の「自己責任」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

常連客が大幅減"大戸屋ランチ廃止"の衝撃(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

この記事の内容はランチの値上げとバイトテロで客離れが起きているというもの。過日、HOTTOMOTTOを運営しているプレナスも赤字になったというニュースや、いきなりステーキの業績不振のニュースがあったと記憶しているが、大戸屋の苦境も外食産業全体と歩調を合わせているように思える。これは大戸屋だけの問題ではなく、日本経済全体の問題である。

外食産業を含むサービス産業全体が苦境に立たされている原因はほぼすべて政府の政策にある。これまで政府が取ってきた政策の副作用が生じているのだ。

大戸屋のメニューの値上げは原材料の高騰を受けたものだから、企業側の責任ではない。バイトテロは、給料が安いわりに仕事がきついことでフラストレーションがアルバイトの従業員に溜まっているせいであり、企業側が従業員教育に失敗したと断じるわけにはいかない。もちろん、バイトテロの責任の一部は企業にあるのは間違いないが、しかし、責任のほとんどは、こういう経済状況を作った政府にある。

安倍政権の経済政策は、要約すると、大企業の法人税を下げることで企業業績が上がったように見せかける作戦だった。同時に、政府は我々の年金資金を株式市場に投入し、株価上昇を演出してきた。莫大な資金を使って株式を購入するのだから、株価は容易に上げることができる。株価が上がれば、民主党政権時代ではなく、麻生政権時代にどん底まで行った日本経済が回復したかのように見えるわけだ。しかし、実際のところ、大企業を除き、業績不振の中小企業の従業員の賃金はほとんど上がっていないし、実際、増税や社会保障費の上昇を受けて一般の労働者の可処分所得が大幅に減っている。その分、消費が減るのは当然のことだ。消費税を5%から8%に上げたことが完全に失敗だったと、安倍政権に忖度する経済評論家以外はみな認識しているはず。この消費税の増税がなかったら、アベノミクスはより効果があったのかもしれない。今年10月に予定されている消費税の増税は、ある意味、アベノミクスが成功したと言いたいがために、無理やり行われるのではないかと勘ぐりたくなる。

アベノミクスの目標は、まず大企業を儲けさせ、その恩恵を下々の者にまで行き渡らせることだった。ところが、大企業は、法人税を支払わなくて済んだ分の儲けを内部留保に回し、それを使って自社株買いをしている。それは海外の企業に買収されないようにするための戦略であるから、一定程度認めざるを得ない。しかし、株式投資で儲かるのは、一部の富裕層だけである。結局、アベノミクスは、富裕層をより豊かにし、一般庶民をより貧乏にしたというものであった。それが回り回って、内需を主軸とする企業の業績不振につながっているのである。「強欲資本主義」を促進する安倍政権を支持したのは大企業であるから自業自得である。まさに「自己責任」だ。まともな脳みそを持っている大企業の経営者は、自分たちを持ち上げておいて、地獄に突き落とした安倍政権に反旗を翻さなければいけない。しかし、日本企業の経営者は、コバンサメの脳ミソしか持たないので、それすらできないのだ。

増税や年金資金の不足などの将来不安によって、今後よりいっそう庶民の消費意欲が失われていくことは間違いない。もういいかげん、裸の王様である安倍晋三をボスザルの地位から引きずり降ろさなければいけない。ものには潮時というものがある。教養ある人たちはその潮時がとっくの昔に過ぎ去ってしまっていることを認識しており、すでに与党の支持者などほとんどいないはずなのだが、残念ながら、野党がバラバラであるせいで、極悪非道の政権を潰すことができないでいる。我々のもどかしい思いをすくい上げてくれるのは、いまはまだ「れいわ新選組」を立ち上げた山本太郎と幸福実現党だけである。立憲民主党は、憲法を守れというような小賢しいことを言っている限り、大多数の庶民の支持は得られないだろう。


サル山の大将と取り巻き連 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

プチホリエモンたちの孤独:日経ビジネス電子版

小田嶋隆さんは、さすがに公共のメディアで名前を出してホリエモンを罵倒することはできないでしょうから、私が代わりに書いておきます。ホリエモンを騙ることは、あまりに日本的な文脈的すぎて、バカバカしくて、時間の無駄かもしれません。本来は、ネトウヨお笑い芸人の松本人志の発言と同じように、メディアや世間は完全に無視すべき対象であると思います。

1980年代だったら、ホリエモンは「ツッパリ」だったかもしれません。私の目には40年遅れのツッパリにしか見えません。ツッパリは、あえて、学校の道徳の教科書に書いてあることと逆のことを言ったり、(改正や廃止を訴えることなく)校則を守らないことで、自分の個性を演出する趣味の人たちでした。そういう目立ちたがり屋のホリエモンに賛同する取り巻き連(フォロワー)も、当時「ツッパリ」の一味になった側と同じ心理なのだと私は察します。彼らのアイデンティティは、脊髄反射的に逆張りの戦略を取ることで維持されます。彼らが採用している戦略はそれだけです。つまり、何も考えていないのです。何も考えていないというのは、視野が狭いという意味です。彼らの議論は、逆張りであることゆえに、挑発的に聞こえますが、あまりに退屈で、中身がないものです。ゆえに、私はホリエモンを軽蔑し続けてきたし、彼に賛同する人間を侮蔑の対象にしているのです。


ホリエモンの視野の狭さ、知性の低さは、座標軸を使って見ればすぐにわかります。座標軸というのは、2つの基準をもとにY軸とX軸を定めて4分割して物事を見るためのものです。それに当てはめてみれば、世間で言われていることの逆張りの意見であっても、ちっともバランスが取れていないことがわかります。ホリエモンが見ているのは、座標軸の4つの範疇(カテゴリー)のうちの2つだけです。残りの2つの存在は、ホリエモンやその一味には視界に入っていません。だからこそ、彼らは、世間一般で言われていることの反対が正解だと思いこめるのです。そういうふうに見れば、ホリエモンの議論が知的には感じられなくなるはずです。ホリエモンの愚かさは、与党の愚かさと野党の愚かさを足して2で割ったようなものです。いずれにせよ、馬鹿です。

ホリエモンが馬鹿に見えるのは(実際に高卒の馬鹿ですが!)、全体を包括的に見て、自分自身の議論の穴を塞ぐという姿勢がないことにあります。ホリエモンは決して自説を曲げず、他者を攻撃することだけで、自分自身の正しさを主張します。(安倍晋三や自民党の議員たちと同じ論法です。)

ホリエモンのアイデンティティを支えているのは、結局は東大に合格したという事実とお金であるゆえに、人間性が低く見えるのです。ホリエモンは直接言葉にすることはないようですが、「お前らは東大に合格していないだろ。俺は金持ちだが、お前は貧乏だろ。馬鹿だから貧乏なんだよ」と自分を攻撃する対象に対して態度でマウンティングします。自民党の議員が、「お前らは、国会議員ではないだろ。与党ではないだろ」と言って、批判する国民を見下すのと同じです。

教育の目的は、人間の視野の狭さを克服するためにあります。視野の広い人間というのは、つねに人間は間違うということを前提にしています。科学の考え方と同じです。それを理解できない人は、本来の教育を受けてこなかったのでしょう。東大に合格したのも、クイズ王のような受験テクニックを駆使しただけかもしれません。私の目には、ホリエモンも安倍晋三も、サル山の大将にしか見えません。

増税を控えてすでに消費マインドは冷えている | 若者のための経済学 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

サル山の大将が、「お前らは、俺にもっと餌をよこせ。俺は腹が減っているんだ!」と言っています。「お前たちが食べる餌を1粒ずつ俺にくれればいいだけだ。大したことはないだろうが」と。サル山の大将と言えども、餌は人間にもらっているだけですから、餌の量は決まっていることを前提にしています。餌の量を拡大することは思いもつかないのです。役人や政治家というものは、こういう愚かな人たちです。