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「国頭サバクイ」 [音楽・楽器]



元気が良いのがいいですね。

『茶本』の「国頭サバクイ」は二揚げですが、こちらは三下げ(BEA)。ネットで工工四を探したら、こういうのを見つけました。これなら合わせて弾けるようです。

http://quipara.lolipop.jp/gakufu/yagyou/yonahanoyonsiibyterasawasan.pdf

『茶本』の60番目の「嘉手久(かでぃくぅ)」、61番目の「アッチャメー小(ぐぁ)」、62番目の「多幸山(たくやま)」は今はまだ無理です。



演奏中にウマが倒れても動じない姿に惚れますね。

ナークニーには、いろんな種類があって、どれがどれだかわかりません。私の好きなのは、これです。



これが一般的な「ナークニー」らしいです。でも、同じもので「本部ナークニー」と書いてあるものがあります。『茶本』でみると、この工工四は64番目の「本部ナークニー」のとは少し違います。私はこれを使っています。

http://www.portama.com/kunkun4/preview.php?mno=6821

それにしても、歌声がセクシーです。こういう声は大好きです。

このあとはYouTubeで動画を見つけられないものや、弾けそうにもないもの、弾きたくないものが多かったので、こんな感じで残りの曲をさらっとチェックしてしまいました。103曲目の「黒島口説(くるしまくどぅち)」は出だしだけ弾けるようになりました。以前も紹介しましたが、これはいいですね。




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『茶本』55番目「ラッパ節」 [音楽・楽器]



『茶本』の55番目に収録されている「ラッパ節」です。歌詞に呆れてしまいます。もちろん、現代文明に犯されている現代人を茶化しているのでしょうけどね。

こういう曲は弾きたいと思えませんね。





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茶色の工工四の本の52番目「物知り節(浦波節)」まで [音楽・楽器]

茶色の工工四の本の52番目「物知り節(浦波節)」まで急ぎ足で進みました。難しいので、まだ弾けません。





難しいといえば、 大城美佐子さんのデビュー曲「片思い」も難しいです。



『茶本』は、一般には馴染みのない曲が数多く含まれていて、それらは真似しようにも、YouTubeに演奏動画を見つけることができないくらいです。弾こうと思っても、弾けません。

ひとまず、この調子で、さっさっとすべての曲を聞いたり、一部を演奏してみたりして、全体像を掴んでおくことを優先します。



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ましゅんく節 [音楽・楽器]



この「ましゅんく節」は明るくて活気があるし、ともちゃんの笑顔を見ているだけで気分がぱっと晴れます。

ましゅんく節:たるーの島唄まじめな研究

タイトルにある「マシュンク」は男性の名前とのこと。諸説あるようですが、「マシュンク」(男性)と「ナビー」(女性)を比較して、どっちが美しいか、やっぱりナビーだよね、という内容だそうです。だったら、タイトルはマシュンクではなくて、ナビーになるべきですね。そこが沖縄らしくて、面白いところかもしれません。

私は他の方の演奏動画も参照して弾いてみましたが、彼女たちのようには、明るくなりませんでした。この曲は聞くだけに留め、私は弾かないほうがよいのかもしれません。


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比嘉光龍さんの「十番口説(じゅうばんくどぅち)」(日本語訳テロップ入り) [音楽・楽器]




茶色の『工工四百選集 続巻』の28番目の曲「十番口説」まで大急ぎでたどり着きました。もちろん、古臭く感じて弾く気になれない曲や、弾ける曲はさっさと飛ばしました。

「十番口説(じゅうばんくどぅち)」は、歌詞の内容がすばらしい教訓歌ですね。演奏するのは簡単ですが、歌は無理ゲーです。比嘉光龍さんはアメリカ人なのかな。

琉球の口説(くどぅち)は、歌詞が「八八八六」になっている歌を指しますが、この歌は、大和の歌のように七五調になっています。芝居がかった感じに聞こえますが、室町や江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃の影響を受けたものらしいですから、当然のことでしょう。ところで、「十番口説」はすでに演奏したことがあると思ったら、『緑本』の68番目に収録されている「上り口説(ぬぶいくどぅち)」と同じメロディーでした。なーんだ。

十番口説:たるーの島唄まじめな研究


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「果報節(くゎふうぶし)」 [音楽・楽器]



野田奏子さんは『緑本』を使っておられますね。

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三下げで、ちんだみはA#D#G#です。伊禮俊一さんは本調子でやっていて、『緑本』が使えないので、私は野田さんの方を参考にして練習しました。こんなふうに、ピョンピョン跳ねるリズムは弾きやすいですし、気分も良くなります。「唐船ドーイ」や「加那よー」「天川」のような、ペコペコペコペコというリズムもいいんですけど、私は「果報節」のリズムのほうが明るくて好きです。

果報節:たるーの島唄まじめな研究

この歌は、幸せを噛みしめる夫婦を歌ったものなんですね。

それを知ると、不幸な結婚生活を送っている私は、悲しくなります。

それはそうと、今日までに『緑本』に収録されている104曲のほとんどを弾いてみました。どうしても弾けないものはひとまずスキップして、いずれできるよういなったときに戻ってきます。予定をかなり前倒しましたが、気力が残っているうちに『茶本』に移行します。『茶本』の中にも弾きたい曲がたくさんあって、曲目を眺めているだけでワクワクします。

練習だからといって、弾きたくないものをいたずらに時間をかけて練習したり、自分のレベルに合っていない難易度の高いものを無理に弾いてみても、嫌になるだけです。自分が弾きたい曲で、少し努力すれば弾けそうになるものをたくさん練習するほうがよいと私は信じています。それは私の経験則でもありますし、教師ならみな同じことを言うでしょう。そんなふうに徐々に難しいものに進んでいくのが効率が良い学習方法であることを教師ならみな知っていますし、事実そういう指導法も確立しています。

これまでに野田奏子さんの演奏をいくつか参考にさせてもらっていますが、本当に人の良さそうな方ですね。癒やし系の方で、見ているだけでほっこりします。一度お会いして、三線を教えていただきたいくらいです。


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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(by ビスマルク) [雑感・日記・趣味・カルチャー]

次男に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という鉄血宰相ビスマルクの言葉を教えてもらいました。

自分で経験しないとわからないというのも真理ですが、自分で経験しなくても、他者の失敗から学ぶべきという意味のようです。

歴史は繰り返すものです。自分が経験していることはすでに誰かが経験していることですから、先人の経験から学ぶという能力を身につけるのが教育の大きな意義です。

人は得てして自分の経験則だけを頼りがちですが、それだけだと、視野が狭くなりがちです。人間はパースペクティヴ(遠近法)の奴隷ですから、自分の周りを客観的に見ることがなかなかできません。自分の視座から見えている世界を真実と捉えてしまうのです。だから、つねに自分が正しくて、他者が間違っていると考えるのです。そのパースペクティヴから子どもたちを脱出させ、自分には見えていない世界も存在しているという認識を持ているように成熟させるのが、教育のもっとも重要な役割です。しかし、そういう教育の意義を理解している教師はこの世界にはほぼ存在していないのかもしれません。私以外の人がそんな理念を語っているのを聞いたことがないからです。これも私個人の経験則ですから、もちろん正しいかどうかわかりませんが。

人間は冷静さを失うと、自分を守るために、他者に責任を押し付けます。他責的傾向を強めます。自分を正当化するために、客観的な事実を無視したり歪めたりして、平気で嘘をつきます。その嘘が誰かの心を深く傷つけます。自分の周りにもそういう人がたくさんいることを毎日経験されていると思います。実は、程度の差はあれ、私自身もしているはずです。

事実の扱い方というのは、非常に難しいところがあります。ある人にとっての事実が、別の人にとっては虚構に見えるのです。「事実」というのは、英語ではfactで、語源は「作る」ですから、事実というのは、誰かが作ったものです。「真実」ではないのです。真実は、人間にはわかりません。

人間は、自分自身がパースペクティヴの囚人であるという認識を持たなければ、事実と真実を区別できず、自分だけが正しいと主張する「クレーマー」になってしまいます。そういう状態を放置してきたせいで、この世界がギスギスしたものになってしまったのです。

本当は、こんなことを書くはずではありませんでした。愚痴を書こうと思っていたのです。書いていることと考えていることが分裂しているのが人間なのかもしれません。

保険会社からの電話を受け、その話を自己責任論者にして他責主義者の妻に話すと、少年に恩赦を与えた私の判断が間違っていたとか、もっと相手にきつく当たるべきだとか言われ、よりいっそう動揺してしまいました。妻の父親も何でも他人のせいにする人なので、妻は父親からその他責主義を受け継いだようです。他責的傾向の強い人は、周囲の人間に悪影響を及ぼすので、できるだけ会話を避ける必要があると改めて思いました。

その後しばらくして、ある程度動揺が収まってから自分の母上に電話をしてみました。事故の状況やその後の経緯を話したところ、「死亡事故にならなかっただけ幸いで、喜ぶべきだよ」と諭されました。そのとおりです。私もそう思っていました。僅かなお金で解決するのなら、それで満足すべきです。人を死なせたら、私の人生はそこで終わりになり、確実に家族が路頭に迷います。私は交通刑務所に服役しなければいけなかったのです。たとえ私が暴走自転車に突っ込まれた「被害者」とはいえ、誰かを殺したら終わりです。そうならなかっただけでもありがたく思うべきです。

次男を相手にそんな話をしていたところ、件の「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(by ビスマルク)という言葉を息子に教えてもらったのです。もちろん、私も聞いたことはありますが、その言葉を思い出して使うような習慣はこれまでありませんでした。

期せずして、母上と次男とビスマルクの言葉が、私を冷静にしてくれました。妻とだけ話をしていたら、私は凶暴になってしまうところでした。凶暴性を強めれば強めるほど、自分で自分の首をよりいっそう強く絞めるだけなのです。歴史がそれを教えてくれています。

今日は、8月6日。日本人なら誰でも知っていることですが、広島に原爆が投下された日です。冷静になることの大切さと、誰かを恨んだり非難して溜飲を下げることの下品さを教えてくれる歴史的な日です。



DIYでドアを取り付ける動画 [家・DIY・修理]



我が家のリヴィングルームのドアが傾いてしまい、開けづらくなっています。一度直したのですが、また元通りです。ドア自体にガラスが入っているので、その重みでドアの枠組みが歪んでいるのです。もはやどうしようもありません。動画のように自分で作ることは私には道具も根気も体力もないのでできません。かなりの長期間に渡って我慢して使っていますが、あと何年かしたら新品に交換するしかありません。

そのドアは階段のところとつながっているので、ガラス仕様ではないと、階段側が真っ暗になってしまいます。でもガラスがついている窓だと高価です。捨てるのももったいないし、新品を買うのももったいないです。どうして、業者はそんなドアを取り付けたのでしょうね。もう少し安くても丈夫なものがあったはずです。おしゃれなものなんかいりませんよ。

「被害者」が原因を作ることもあります [雑感・日記・趣味・カルチャー]

自動車保険会社から電話があって、今かなり心が動揺しています。自転車で私のクルマに突っ込んできた少年の親は10:0で私のほうが悪いと思っていて、私が自転車の修理代を全額負担すべきと考えていると担当者から聞きました。少年の父親と電話で話した時にも、父親の言葉からそういう印象を受けました。しかしながら、私は自転車に突っ込まれた被害者だと思っているので、その考えにはまったく同意できません。実質的に私のほうが加害者で、自転車の少年が被害者になっていますが、むしろ私のほうが被害者の側面が大きいと思っています。

私も少年も法律違反をしているわけでもないので、過失割合は5:5が妥当でしょう。ぶつかってきた少年は終始私に謝り続けていたので、自分のほうが悪いという認識はあると思います。しかし、自転車対クルマの事故なので、私のほうが責任の割合が高くなるのは必至です。したがって、私としては、6:4か7:3が妥協のポイントだと思っています。最悪でも8:2です。100%私が悪いということになったら、さすがに受け入れられません。相手側の親はお世辞にも良心的な感じではなさそうなので、自転車屋に修理代を高く見積もってもらって請求するかもしれません。そうなったら、私の側としては、1万円以上の負担になります。

そうアコギなことをされたら、私の方でも、保険会社に私のクルマを見てもらって、傷を発見してもらい修理代を改めて請求する可能性も出てきます。よく見れば、本当はバンパーに傷がついているはずですが、相手が未成年であったし、かなりショックを受けていたのが気の毒に思えたので、クルマの修理代を請求するつもりはないと言ってあげたのです。

そういう気持ちを理解してもらえず、どうしても先方が過失割合は10:0だと言い張るのであれば、ドラレコ動画を見てもらいたいと保険会社の担当者に伝えておきました。動画を見れば、私には自転車が突っ込んでくることを回避することができなかったし、私の不注意であると見なすことは妥当ではないと理解してもらえるはずです。それでも納得していただけなければ、事態は大事になりそうです。できれば、そういう状況になることは避けたいと思います。時間を無駄にすることになりますからね。

いまは夏休みですから、昼間から無駄に少年少女が自転車でブラブラしているのを見かけます。そんな彼らが時折交通ルールを無視した乱暴な運転をしている様子を見かけます。自転車だからといって、事故を回避する義務がないわけではありませんし、どんな傍若無人な運転をしても許されるわけではないのです。本当に気をつけてほしいです。彼らは自分が犠牲になるだけではなく、車の運転手も被害者になって多くの人に迷惑をかけるのです。車の運転手だけが気をつけていれば事故が起きないということもありません。お互い気をつけるべきなのです。そんな当たり前のことを理解せずに、どんな場合でも一律に車だけが悪いという主張は通らないと思います。「被害者」が原因を作ることもあるのですから。

学習における3つの段階 [音楽・楽器]

夏休み真っ只中で暇を持て余す私は、『工工四百選集』の正と続の2冊、合わせて208曲をひとまず全部弾いてみるというチャレンジを行っています。(どうしてもできないものは飛ばさざるを得ませんが。)暇ではないとできないことができるのが長期休暇の醍醐味です。

基本的に私は独学志向の人間ですが、習い事をすると、いつも気づくことがあります。どんなことでも、学習の段階にはある共通点があるということです。楽器を学ぶことも、スポーツのトレーニングも、料理をするのも、語学学習もまったく同じです。学習の流れは以下の順番で進みます。

1.基本的なことが無意識に使えようになるまでトレーニングする
2.数多くの教材に触れながら、その中で自分で法則やパターンを見つける
3.見つけ出した法則やパターンを組み合わせて応用する

1番の基本的なこというのは、たとえば、楽器の場合は、ポジション(勘所)やコードを覚えることです。ポジションは距離の感覚を手に覚え込ませるだけのことです。いちいち頭で考えていては音に追いつきません。その作業は、スポーツの場合に当てはめれば、筋肉を鍛え、体を思い通りに使えるようにする訓練です。料理であれば、素材や調味料の使い方を覚えることです。これにはかなりの時間がかかります。だからこそ、この段階で嫌になって諦めてしまう人が多いのです。

その大きな壁を乗り越えて、基本が身についてくると、多くのものに挑戦したくなります。音楽の場合で言ったら、急にいろんな曲に挑戦したいという気持ちになるということです。料理なら、多種多様なものを作ってみたいということです。武術の場合で言ったら、数々の型を練習したいということです。そんなことをしているうちに、無意識のレベルなのでしょうが、それらに共通するシンプルな法則やパターンが見えてくるのです。中心軸ができるということです。そこまで行くと、「ああ、あれはこれをちょっと応用すればいいのね」と余裕が出てきます。そこまで行けば中級レベルでしょう。

この段階の初期は、広く浅くを心がけ、完成は目指さないほうがいいと思います。できることを7割から8割、できないことを2割から3割程度に抑えて楽しむようにするのがようでしょう。できないことばかりが続けば、この段階で挫折してしまう危険性があるからです。

この段階を通り抜けると最終地点の3番にたどり着きます。音楽の場合だったら、自分で曲を作ったり、既存の曲をアレンジしたり、耳コピしたりできるということでしょうし、料理だったら、創作料理を楽しむことでしょうし、語学だったら、文章を書いたり話したりできるということです。そこまで進めれば、ほんとうに楽しむことができるようになるのでしょうね。

以上、ものごとの学習段階を3つにまとめてみました。多くの人たちはいったん何かを始めても、第1段階で終わってしまうものです。そこが一番つらいところですからね。ギターの場合ですと、弦を押さえる指先が痛くて我慢できないとか、Fなどのバレーコードが弾けずに、イライラするとかですね。しかし、それを通り抜ければ、楽しいことが待っているのです。長期の休みというのは、そんな学習ができる大きな機会です。大切な時間を無駄にしないようにしたいものです。

「楽器の演奏」が、英語と理数系科目の成績を上げる:研究結果|WIRED.jp

音楽が得意だから数学も得意で、数学が得意だから音楽も得意という因果関係は成立しないと思いますが、学習のパターンは共通しているので、学習方法の訓練にはなります。

成底ゆう子「ダイナミック琉球」 [音楽・楽器]



観客の野太い囃子のところがいいですね。唄者として、こういう声援は嬉しいでしょうね。

今朝、変な夢を見ました。槇原敬之が東京生活について歌っているのを私が聴いているという夢なのです。聴いたことがあるような、ないような。目が覚めてからYouTubeでそんな曲があるのか「東京」と「槇原敬之」をキーワードにして調べてみましたが、出てきた曲の歌詞は、それとは似ても似つかないものでした。私の創作だったのでしょう。

ついでに、寝床でスマホニュースをチェック。アメリカ株が暴落気味に下がっているという予想通りのニュースです。767ドル安で今年最大の下げ。しかも世界同時株安になっているということですから、今日も昨日に引き続いて、日本株も大きく下がるのでしょう。

日本の景気を冷やす消費税増税を断行するという無謀な安倍政権の暴走に歯止めをかけられなかったのですから、2万円割れは必至です。いまでさえ内需がボロボロなのに、よりいっそうボロボロになります。それが引き金になってミンスキーモーメントがやってくるかもしれません。安倍政権は、アクセルを踏みつつブレーキを掛けるというメチャクチャなことをしているのですから、それでは経済がぶっ壊れてしまいます。そろそろ限界でしょう。

一方、トランプ大統領は、白人至上主義や米中貿易戦争、株価下落に苛まれており、次の大統領選は厳しい戦いを迫られるかもしれません。大方の予想だと、トランプの勝利は確実視されていますが、全くわかりません。

トランプ、安倍、習近平、プーチンおよびムン・ジェインの中で誰が先に消えるのでしょうかね。安倍かな?



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