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非論理的=未熟:煮ても焼いても「食えないヤツ」ばかり [資格・学び]

今週末は三連休だとマスコミは騒いでいますが、確かに三連休の人もいますが、そうではない人もいるので、「カレンダー通りに三連休を享受できる人もいるかもしれない」と慎重に表現すべきです。ほぼ確実に三連休になる人というのは、幼稚園児や保育園児、公立学校に通っている小中高校生などの子供が多いのではないでしょうか。近頃は大学は祝日も授業があることが多いです。私の場合は、土曜も月曜も仕事ですから、休みは日曜だけです。

土曜は関東地方に最強台風が襲撃してくる直前で、天気が大荒れになりそうだという予報が出ています。電車が止まる可能性もあるので、久しぶりにクルマで仕事に行くつもりです。当日はもしかしたら受講生が少ないかもしれません。そんな日に講座が開けるのか、開いてよいのか心配です。

論理的と理屈っぽいは違う。わかりやすく伝える論理思考:書評 | ライフハッカー[日本版]

「理屈っぽい」は自己満足にすぎず、「論理的」は他者にもわかるように話に道筋がついた状態であるという区別は、個人的には腑に落ちました。私は大学で学生たちをロジカルに、そしてクリティカルにものを考え、表現できるように指導しているのですが(文科省の要請ですよ!)、そういう趣旨が理解できないままモンスタークレーマー化する学生もいて、先週、そういう悪質な学生に苦しめられたという話はすでにブログで報告したとおりです。被害届を警察に出して、名誉毀損で訴えようかとまで考えたくらい落ち込みました。私の教育に対する熱意が完全否定されたわけですから、教える気がすっかり失せました。

先週のうちに、私を誹謗中傷した犯人は特定できたと思っていましたが、さらに2人、怪しい人物がいることに気が付きました。やはりネトウヨ的な思考をする学生です。プレゼンのときに私はいっさい学生を叱ったことがないと以前書きましたが、その二人だけは、否定的なコメントをしたことを思い出しました。

一人は、「日本は四季があるから最高だ」「世界一暮らしやすい国だ」と決めつける内容の発表をしました。理由はそれだけです。その後に「日本は暮らしやすいから最高だ」が続くだけです。完全な思考停止状態で、比較にも何にもなっていません。何らかの指標やデータを持ってきて、比較のポイントを明確に定めて、その観点で見ると、日本のほうが暮らしやすいかもしれないという結論を導き出せば、その主張は受け入れられる可能性もありますが、幼稚な日本のマスコミのように「日本は素晴らしい」といたずらに繰り返すだけなので、そのあまりに非論理的で自己満足的な思想を私はうっかり教室でくさしてしまったのです。

もうひとりは、あるスポーツ選手2人を比較し、両方とも世界一と言われているが、どちらが1番かという切り口で発表し、両方とも1番だという結論を出したのです。クリティカルにものを考えるという趣旨に沿わない発表に、思わず苦笑いが出てしまいました。小学生なら「かわいいね」で済ます内容ですが、さすがに大学生は大人ですから、許せません。

ふつうはプレゼン前の原稿チェックでその不備を指摘して事故を防ぐのですが、その子たちは休みが多かったり、話を聞いていなかったり、原稿を書いてこなかったりしていたために、惨劇を防止することができなかったのです!

このような比較対象は実生活に老いても、会社に入っても、当然ですが、役に立つことです。もし私を誹謗中傷した学生は、就職先で、他社の製品と自社の製品を比較し、どちらがどう違っていて、自社の製品に関して問題を見つけ、それをどう改善するかという内容のプレゼンをしなければいけないという状況になったら、どちらも素晴らしいという結論を出して悦に入るのでしょうか。コイツはアホすぎて、うちの会社にはいらないね、と追い出されるのが落ちです。

そもそもそんなふうにクリティカルにかつロジカルにものを考えることができず、文句ばっかり言っていると言われるのを避けるために(自己保身!)、ひたすら何かを素晴らしいと称えるだけの単細胞人を会社は求めているのでしょうか。

もしかすると、私を誹謗中傷した学生は、この二人の可能性が高いのではないかと怪しんでいます。私がこれまで疑っていた学生よりはるかに怪しいと思えてきました。

教員を誹謗中傷し、個人的な恨みで仕返しをする学生というのは、精神的にかなり未熟な学生です。教師がどういう意図で教育をしているのかを理解しようとできないのであれば、いずれどこかの会社に就職した際に、顧客の意図を汲み取れず会社に損害を与えたり、あるいは顧客や会社を誹謗中傷し、筋違いな告訴をしたりするのかもしれません。その手の危険人物は、会社にとっても最も打撃を与えるものですから、予め排除しておくに限ります。

教師の責任の一つは、彼らのような自己中心的で、自己満足的なアダルトチルドレンを社会に出さないようにすることです。この倫理上の前提が理解できず、個人的な恨みを教師にぶつけるようでは、彼らは今後も残念な人のままで生きていくのでしょう。そこまでくると、もはや私の責任ではありません。私が会社の社長なら、そんな未熟な従業員は絶対にいりません。いっしょに働きたくない人です。

敵を作らず、他人と友好関係を作るのが上手で(個人的な恨みを持たない!)、パブリックとプライベートの区別ができ(組織の理念や目標と個人の目標をそれぞれリスペクトする!)、物事を論理的かつクリティカルに思考でき(自分の考えを他者にわかりやすく説得力のある形で説明できる!)、問題点を発見し(観察力と分析能力がある!)、その問題点を改善できたり、既存のものの組み合わせを変えたりして、新しいアイデアを生み出せる(問題解決能力と創造力がある!)人物を、会社も社会も求めているはずですが、私を誹謗中傷した学生は、その対極にいることは明確です。つまるところ、アウトレット・ショッピングモールでさえ売り物にならないほどの欠陥商品であり、ただちにスクラップしなければいけない存在だということです。

正確なことはわかりませんが、世の中を見ていると、昔より今のほうが、その手の扱いにくい(分別のない)人間が増えて生きているのかもしれません。少子化とともに大学が過当競争化して、クズ拾いまでしなければいけなくなったせいで、大学の中で暮らす人間にはそう見えているだけかもしれません。これが日本全体で起きている現象だとしたら(よくモンスタークレーマーの話は聞くし!)、もはや日本は煮ても焼いても「食えないヤツ」だらけになってしまったように見えます。