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国民の気持ちに寄り添う? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

緊急放流の6ダムで事前放流せず 国交省・自治体に重大責任|日刊ゲンダイDIGITAL

ラジオNIKKEIを聞いていたら、愚かしいSNSと同じように、ダムのおかげで助かったみたいなことを言っている爺さんがいて、その知性を疑いました。

行政の側が、台風が襲ってくる前にダムの放流をせず、水が溢れそうになってから慌てて放流し、下流の人々が洪水に見舞われ、死者が出たことを放念していること自体が痴呆的です。今回もまた、311の原発事故と同じように、(地球温暖化によって台風が凶暴になっていることも含めて)明らかに「人災」です。自民党が国民から金を奪って、ダムを日本中の山の中にボコボコ作れば、すべてが解決するみたいな安易な発想をするのは、(ダムを破壊し始めている)世界の潮流から完全に取り残されています。中国の三峡ダムは、下流地域を渇水で苦しませているだけではなく、水の重みで土地を歪ませ、その結果、地震を発生させています。ダムについては、印象だけで語ることは止めたほうがいいでしょう。

東京五輪マラソンの札幌変更をIOCから提案されても東京開催を言い張る人々 招致でも「アスリートに理想的な気候」と大嘘|LITERA/リテラ

すべては安倍晋三の「アンダーコントロール」という嘘から始まったので、「東京オリンピックのマラソンのチケットが当たったのに!」と文句を言う人は、今後一切、自民党には票を投じないようにしなくちゃいけませんな。

台風被害の後手後手対応と避難所の劣悪環境が国会で議論も…安倍首相は“自治体任せ”で知らんぷり、「十分機能を果たした」|LITERA/リテラ

安倍は、「国民の気持ちに寄り添った」ことは一度もありません。その表現からわかりますが、彼自身は自分は「日本国民」ではないと思っているのでしょう。安倍が日本国民なら、そもそも論理的には日本国民には寄り添うことはできません。安倍晋三が日本国民なら、寄り添われる側の日本国民のはずです。

即位の礼パレード延期、被災者配慮 11月10日で調整 [令和][令和・即位]:朝日新聞デジタル

天皇陛下のお仕事は、国民が平安に暮らせることを祈ることですから、新天皇の即位を祝うパレードを延期するというのは、筋違いなことだと思います。被災者の気持ちに寄り添うなら、パレードは予定通り行うべきです。今の政権は国民の気持ちをまったく理解していないことがわかります。

弥生時代のような高床式の生活をするのが良いのかも [雑感・日記・趣味・カルチャー]

台風19号(Hagibis)による洪水の被害を見ていると、どうして人間は1階を居住スペースにすることを好むのか不思議に思うようになりました。洪水や浸水がありそうな地域に住むのなら、1階部分に被害を受ける可能性が高いのですから、1階を居住スペースにすることを止めたほうがいいと思います。

1階を居住スペースにしないというのは、1階は鉄骨だけにしておいて、その上に建物を建てるという意味です。1階部分が鉄骨だけのスカスカの構造なら2m位までの洪水なら被害を最小限に留めることができます。1階をクルマを停める場所にするにしても、被害を受けるのはクルマだけです。後始末が面倒なのは床を濡らすことですから、後始末を楽にすることが可能です。クルマだけなら廃棄するのは簡単ですし、さほどお金もかかりません。むしろ、水没車を買い取ってくれる会社もあるくらいです。

ちなみに私の実家の半分はその構造になっています。私が生まれた頃は小さな平屋でしたが、家族が増えるにつれて、建て増しをしていきました。父親は駐車スペースのところに鉄骨で枠を作り、そこを駐車スペースにし、その上に部屋を建てています。かつては両親の寝室でしたが、いまは父親の部屋になっています。そこは東日本大震災でもびくともしませんでした。うちの実家はかなりの高台にあるので、津波に襲われるようなことは絶対にないのですけどね。

弥生時代の高床式住居を鉄骨で作れば、多少の洪水や地震でもびくともしない家が作れるはずです。自然災害の発生が増えているように思える日本では、縄文時代のような地面に接した生活は難しくなりつつあると思います。特に、住宅地の場合は(商業地区は別として)、1階部分を居住スペースにすることにこだわらないほうがいいと思います。


腐ったりんご [資格・学び]

あるクラスで、ひときわ態度の悪い女子がいます。授業中に堂々と、スマホを手に持ち、その手は肘をついた状態で、誰かとメッセージのやり取りをしているのです。机の下にスマホを隠していじっているような学生は時折見かけますが、堂々といじっているので人間性を疑います。

今日はその子にも指名して英語の文章を音読してもらったのですが、全然内容を理解していないことが明確にわかりました。やる気がまったくないようです。100分もの間、人形のようにひたすら椅子に座って、スマホをいじっているだけです。

今日は私が「では、今日はこのへんで終わりにしましょう」と言った瞬間に荷物をまとめて、誰よりも早く帰ってしまいました。近頃はそういう狂った学生がいます。私は医者ではないので、病人の生活指導をするわけにもいきません。それは完全に私の仕事の外にあります。精神的な病いを抱えている人は、注意したくらいでは治るものではありませんから、彼らが自らの意思で早めに病院に行くことを祈るしかありません。

その女子学生は、私の教え方への批判を態度で示しているのか、それとも私という人間への嫌悪感を示しているのか、それとも英語そのものが嫌いなのか、勉強そのものが嫌いなのか、皆目検討も付きません。この状態では、私の方ではどう対応していいのかわかりません。他の学生の態度は、特に変わったようには見られないので、私に非があるようには思えません。大学の中のしかるべき機関に相談しても埒が明かないでしょう。

同僚の教員たちからも、病的な学生の対応が辛いとぼやく人がたくさんいます。ほぼ毎日そんな話題になります。そういう学生に当たらない教員のほうが珍しいようです。昨日も韓国人の先生にぼやかれました。私の教え子以上にふてぶてしい女子学生のようです。「あまりに態度が悪すぎるので、おそらく病気だと思います。精神衛生上、相手にしないほうがいいですよ。さもないと先生のほうが体を壊してしまうので、とにかくその学生の存在を忘れてしまうことです」とアドバイスしておきました。「ええ、私はそんなふうにはまだオトナになれませんよ」なんて彼女は可愛いことを言っていました。私が大人かどうかは別として、大学生は自分で自分の面倒を見られるようになっていることが期待されているので、大学の先生が、親のような態度で接してはいけないと思います。「バカは落とす」「不良品は廃棄する」という態度でいいのです。

おそらく、態度の悪い学生たちにはどんな会社であろうとも就職することは難しいでしょう。私が面接官だったら、一発で彼ら彼女たちの本性を見抜きます。他者と目を合わすこともしないし、笑顔もいっさい見せないというのは、その人の人間性の低さの証明です。そんな人間性の低い人たちがそばにいるだけで、毎日がうんざりしてしまいます。

私だったら、どんなに美男美人であっても、すぐに選択肢から外します。私に対して敵対的な態度を示したり、授業の中で何かを学ぼうとする姿勢を示さないとか、物事を多面的に見ようとすることなく、自分中心にしか見ることができないとか、他者へのリスペクトがないとか、論理的思考力が欠如していたり、長期的視点がなかったり、借り物の言葉で自己アピールだけはしっかりするとか、自分自身の人生経験のバックグラウンドを評価する視点が持てなかったり、オトナとしての一般教養の知識(哲学、文学、政治、経済、法律、宗教、科学など)がなかったり、話題が乏しかったりすれば、それだけで、この人とは一緒に働けないし、働きたいとも思わないと感じます。私くらいの年齢になれば、ちょっと話しただけで、すぐに相手の人間性や能力を見抜く自信があります。酒と煙草と麻雀をやるのが大人の嗜みだというような考えは完全に時代遅れです。

病気の学生の病気を治すことは大学の教員の役目ではないので、そんな学生に対しては、「授業に無理やり来なくてもいいですよ。何回休んでも成績が良ければ単位は与えますから、授業に来たくなければ、自分で勉強してください」と言っておきます。

病的な学生が教室にたった一人いるだけで、悪い空気が伝染病のように広まって、教員の私だけではなく、他の学生にも悪影響を及ぼしてしまいます。誰の得にもなりません。公共の福祉の観点から、腐ったりんごはすぐに捨てるべきです。

もしかしたら、私を誹謗中傷した犯人は、この女子学生だったのかもしれません。すべてのクラスに敵が潜んでいるように思えてしまうので、今年はあと半年ずっとうんざりしながら授業をしつづけなければいけません。気が重いです。

マラソンは冬のスポーツ [雑感・日記・趣味・カルチャー]

都知事「課題残す進め方」 マラソン札幌移行、暗に批判 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

安倍総理の言うように、「東京オリンピック2020」が震災からの復興を世界に見せる大会だとしたら、東電と安倍の不作為によって原発事故を起こされた福島でマラソンを行うべきですよ。

東京の夏は暑くて無理だから北海道にするという発想はあまりに安易です。涼しいところがいいのなら、むしろロシアに北方領土を返してもらって、そっちで行えばいいではないですか。日本がアメリカの事実上の統治下にある状況では、それは到底無理ですから、復興五輪では、いまの福島の姿を世界に見せるというのが本筋でしょう。

なにゆえ熱中症による命の危険のある東京を走らなければいけないのか、マラソンランナーには理解できないと思います。そもそもマラソンは日本の場合は冬向きのスポーツだと思います。真夏にやること自体がおかしいではないですか。


「ダム翼賛論」は間違い [雑感・日記・趣味・カルチャー]

被害収まらぬ中飛び交う「ダム翼賛論」が間違いである理由 | ハーバー・ビジネス・オンライン

ダム万能説は誤りであり、ダム建設賛成派が盛んに吹聴しているデマである可能性もあります。(ダム建設で環境を破壊すると儲かる人たちがいるわけですし、そんなにダムが万能なら日本中の谷をダムにすればいいではないですか。)ろくに科学的な検証もせずに、イメージだけでダムの効果を語り、返す刀で民主党政権の事業仕分けや元長野県知事を務めた田中康夫の「脱ダム宣言」を批判をすることは直ちに止めるべきです。

こういう姿勢は、官僚支配を永続化することに繋がります。

安倍政権は、10月に財政再建と社会保障を謳いながら消費税増税を敢行しました。しかしながら、増税によって得られる歳入分以上の金額を、ほぼポイント還元に当てています。8%から10%への消費税増税によっても、負担増があまり感じられないようにしておいて、知らないうちにさらに消費税を上げようという財務省の魂胆がミエミエです。10%から20%へ上昇するのは、そう遠くはないかもしれません。

自民党のようなポリシーのない政権では、日本人の生活が良くなるわけがないのです。不要かつ効果がない事業は、官僚の反対を押し切って、ばっさり切ってしまうくらいの政権ではないと、今以上に官僚の都合の良い政治が行われてしまいます。自民党には、官僚を抑え込めるほどの知性を持った専門家としての政治家が必要です。彼らは持ち回りで財務大臣をやったり、環境大臣をやったり、防衛大臣をやったりしているだけの素人集団ですからね。そんな素人政治家ばかりが政権を担うような国は、先進国と呼ぶに値しません。

日本の総理大臣は、大臣たちの取りまとめの機能を果たすだけの存在なので、基本的にはバカでもいいんでしょうけど、大臣には専門家を当てるべきです。明らかに「適材適所」には反する人選です。

ダムはいずれ土砂が堆積して貯められる水の量も減っていき最後には使えなくなります。ダムを破壊しないといけない時代が来ます。サステイナブルな装置ではありません。持続可能な社会を目指すなら、ダム以外の方法を考えなければいけないのですが、SNSやマスメディアは単細胞たちが跋扈し、またぞろ昔の自民党的土建政治を永続化するようなことをしています。非常に危険です。

洪水の根本的な原因の一つは、地球温暖化による巨大な台風の発生です。もう一つは、日本の森林の劣化です。ブナやミズナラなどの保水能力の高い木を伐採し、保水能力のほとんどないスギやヒノキの人工林ばかりにしてしまった上に、その木材をほとんど利用せず、放置しているような林業の政策です。そちらも完全に改めなければいけません。

ダムも一時的には効果があるのでしょうが、水を無限に貯められるわけではありませんから、大雨の降る前に貯水量を減らすために下流に水を流さなければいけません。そのタイミングを誤れば、下流地域を洪水で苦しませることにもなりますし、逆に渇水を引き起こすこともあります。渇水のほうが頻繁に起きているように思われますが。

さらに、洪水が発生しやすい危険な場所に、家を建てることを許可し、国民の生活を守ろうとしない政治も批判されるべきです。もちろん、批判されるべきでは、自民党を操る官僚たちですが。

今回の台風19号の被害を軽減したように思われる八ッ場ダムの貯水能力を称賛するのも良いのですが、一方で、ダムに起因する問題や、他の原因も考えるような姿勢も必要です。さもなければ、日本の庶民はいつまでも腹黒い官僚たちの餌食になり、ますます生活が貧しくなり、さまざまな不安にさいなまれ続けるでしょう。そっちの道を選びたいマゾヒスティックな人は「八ッ場ダムはすごい!」と馬鹿の一つ覚えのように言い続けてください。