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落選させるべき国会議員 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

落選させるべき国会議員、無策でコロナ禍を拡大させた7人の名|NEWSポストセブン

このリストに菅義偉や加藤勝信、萩生田光一、高市早苗が入っているのは評価できますが、まだまだ甘いです。

安倍晋三、麻生太郎、下村博文、森まさ子、河井克行、菅原一秀、甘利明、そして二階俊博も害虫駆除しないと、日本はよくなりません。


「ウィズ・コロナ」は無責任 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

カフェが街から消える!?「客数激減時代」2つのコロナ生存策【#コロナとどう暮らす】(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

「ウィズ・コロナ」の時代だなんて格好つけて言う人は、コロナを永遠に終わらせるつもりがないのかと思います。この「ウィズ・コロナ」という言葉はコロナ感染者が隣の席に座っていても、感染しないように配慮しながら生きていかざるをえない状況という意味なのでしょうが、権力者がコロナを撲滅することを諦めて、そんな生活を何年も続けていくことを人々に要請するようなことは決してしてはいけないことです。あまりに無責任な言葉だと思います。

「ウィズ・コロナ」などという言葉を使うなら、新型コロナウイルス感染症は風邪やインフルエンザ同様に撲滅することができないものであっても、万が一コロナに感染しても重症化させないような万全の医療体制を整えてからにしてほしいです。まだ第1波が終わっていない状況で、この惨禍を招いた側の人間が、「ウィズ・コロナ」だなんて軽々しく言ってほしくないですね。

「ウィズ・コロナ」という言葉は、この生活を余儀なくされ、不便を強いられている一般庶民が使うのは問題ないと思いますが、権力者が責任を回避するための言葉にしか思えないので、それを使う為政者には要注意だと思ったほうがいいと思います。無責任のレッテルを貼って、次回の選挙では落とすべきです。

一方、「ポスト・コロナ」「アフター・コロナ」は使うのはよいと思います。コロナが収束することを前提にしているのですから、まともな言葉の使い方です。あと数年はこういう生活をせざるを得ませんよ、と「ウィズ・コロナ」派の人たちは言いますが、だったら、五輪の中止をいますぐ発表しなければ無責任です。

カフェの話から遠ざかってしまいましたが、もともと私はカフェに行く金銭的な余裕はないで、カフェがなくなろうが、どうでもいい話です。私のライフスタイルにはいっさい関係がありません。

それより、気になるのは、喫茶店のほうです。タバコの煙がもうもうと立ち上るあの昔ながらの喫茶店は、どうなってしまうのでしょうね。喫茶店にはテラス席なんておしゃれなものはないし、「三密」そのものですから、この悪夢の安倍時代では生き残れないでしょうね。外国資本のカフェは生き残ったとしても、街の小さな喫茶店文化は消えてしまうかもしれません。

カフェは家賃の安いところを求めて、2階に上がってサバイバルしようとしているそうですが、誰が好き好んで2階にまで上がってコーヒーを注文するのでしょうかね。コンビニでもっとおいしいコーヒーが買える時代ですよ。


萩生田文科相「キャンパスを閉じて、いかがなものか」オンライン授業のみの大学を批判 [資格・学び]

萩生田文科相「キャンパスを閉じて、いかがなものか」オンライン授業のみの大学を批判

大学を批判する前に、新型コロナウイルスの感染拡大を放置したことに対する謝罪はないのでしょうか。また、五輪を延期したのにもかかわらず、100分授業のままであるというのはどういうことなのでしょうか。五輪が開催される確率は99%ないのに、いまだに無駄に予算を注ぎ込んでいることへの謝罪はないのでしょうか。まだ感染が拡大していないにもかかわらず突如3月に一斉休講を命じ、教育機関を大混乱に陥れておいて、今頃になって大学以外は工夫して対面授業を再開しているのだから、大学のキャンパスを閉じているのはおかしいだなんて言うなんて、勝手すぎます。安倍の独断を止められなかった自身の無力さに対する反省の言葉や、日本中にコロナウイルスをばらまいたことへの謝罪の言葉はこの男からは一切聞けないのでしょうか。

大学の授業はかつては90分でした。それでも長すぎて集中力が持たないというのに、100分にしたら、学力の向上が図れるという発想はどこから来たのでしょうか。さらに、20年前くらいまでは半期12回の授業だったのに、いつのまにか15回になりました。年間6回分増えた分、大学生の学力が向上したというデータはあるのでしょうか。誰のための改革なんでしょうか。明らかに、文科省のメンツのためですよね。結果、日本の大学の研究力は下がりました。

その間、講師の給料は一切上がっておりません。実質給料を減らされているのです。それは政府が大学への補助金を減らしたせいです。そして、低賃金の非常勤講師ばかりになりました。そのくせ、偉そうに文科省が大学に文句を言うのはどういうことなのでしょうか。カネは出さないが口は出すのが、ポンコツ安倍政権のいつもの手口ですね。小学校から大学まで、文科省の思いつきのデタラメ政策で日本の教育はボロボロです。教員も学生も疲弊しまくっています。

大学の教員は研究者です。年齢層も高く、持病を抱えている教員も多いのです。感染したら、重症化する確率は小学校の先生よりも高いのです。ポンコツな安倍政権の閣僚とは違い、研究者というのは余人を持って代えがたい人ばかりです。安倍が死んだとしても、そこらへんの馬鹿を捕まえてきてポコンと据えても、何の問題もないことは政治家さんならご承知でしょう。日本の将来を支える研究者をコロナで殺し、日本の未来を潰せという暴論を吐く文科大臣は万死に値します。

萩生田光一という男はさすが安倍総理のポチです。世の中の状況や仕組みをまったく理解できないようです。トランプ大統領並みのバカさですね。

とにかく、そういうことは、ワクチンを大学の教員全員に接種できるようになってから言うべきです。本当に安倍政権の閣僚は人殺しばかり揃っていますね。

われわれ教員だって、本当は対面授業をしたいのです。そうできなくしてしまったのは、安倍政権のせいではないですか。無責任なのは安倍政権なのに、大学を悪者にするなんて信じがたいです。安倍政権はパチンコ屋や飲食店や夜の街や自粛しない人たちを徹底的に悪人扱いしてきましたが、本当の悪党は安倍政権ですよ。いい加減にしてほしいです。コロナではなく、安倍政権に対する怒りで爆発しそうな人は私に以外にもたくさんいるはずです。安倍政権が無知で愚鈍な非専門家ばかり集めたポンコツ政権ではなければ、ニュージーランドや台湾や韓国のようにうまくコロナの波を乗り越えられたはずです。ポンコツ安倍政権はいつも責任転嫁ばかり。自粛は要請しますが、補償はしません、には反吐が出ます。戦後、ここまでひどい政権はあったのでしょうか。悪夢というのはこのことです。「悪夢のような民主党時代」をはるかに超える悪夢を見させられている国民の身にもなってほしいです。国民のことを思うなら、ただちに切腹すべきです。

ほんと、ニュースに不用意に触れてしまう、怒りの感情しか湧いてこないですね。精神衛生上、よくありません。日本国民の平和のため、可能な限り、ゴキブリ政権は、早く叩き潰さなければいけません。

ああいうクソ野郎たちに悩まされているからこそ、断捨離ブーム、お片付けブームが続いているのかもしれません。臭いものには蓋をせず、灰になるまで焼却して、さっぱりした気持ちでお盆を迎え、ようやく安倍政権を滅ぼすことができましたと、笑顔で先祖に報告したいです。



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悪夢の安倍時代 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

玉川徹氏、国会を開催しない安倍首相へ「『悪夢のような民主党政権』と言っていたんですけど、それ言えますかね?」 : スポーツ報知

安倍晋三は、民主党時代を、「悪夢のような民主党政権」とよく言いますが、「のような」をつけているくらいですから、本人も本物の悪夢とは見ていないのでしょう。民主党政権は、東日本大震災が発生したとき8月末まで国会を開いていたことからも、頼りないながらも誠実に国民の方を向いて政治をしていたことがわかります。一方、安倍政権はといえば、言うまでもなく、船長さんが真っ先にトンズラです。不誠実です。韓国の「セウォル号沈没事故」を思い出させます。アベノマスクじゃないマスクを「国民の許しも得ずに」自分勝手に着用しています。国民にとってこれは耐え難い仕打ちです。アベノマスクは、安倍政権が崩壊するまでは「途中で投げ出さずに」誠実に着用し続けてほしかったです。

コロナ禍で終焉を迎える安倍政権の先に 国民生活をいかに守るか、正念場の立憲野党 | 47NEWS

国民を守る気のない安倍政権からいかに国民を守るかが野党の使命ですね。田原総一朗氏は、野党は「対案不足」だと言ったそうです。あのオジサンはいつもとんちんかんなんですよねえ。もう引退したほうが良いと思います。

野党というのはいくらよい政策を提言しても与党に潰されるだけです。だから、与党が作ってきた政策の穴を見つけて書き直させるという仕事をしているのです。自民党も「よく対案を出せ」と言いますが、野党が出した対案を勝手に自分たちのものにして、自分たちは政策立案能力があるみたいなふりをしているのですよ。そんなふうに「対案を出せ」と馬鹿の一つ覚えのように主張するのは、政権担当能力がない証拠です。実際、野党は相当な数の対案を出しているそうです。それをまるで1本も出していないかのような印象を作る自民党は不誠実ですね。国民もそういう言説に洗脳されて、「野党はだらしない」とか誰かが言った言葉をオウムのように繰り返している人が多いですが、「お前がだらしないんじゃ、ボケ!」

娘の悲劇的な“汚部屋”を片付けたら、人生が変わったパパの話 | PHPオンライン 衆知|PHP研究所

8年半にも無駄に及ぶ安倍政権の下で、日本は「汚部屋」になってしまいました。この汚らしい部屋になんとか始末をつけたいですね。

それはそうと、お片付け本が売れるのは日本くらいなものだというのはそうかもしれません。その理由は、以下の3つだそうです。

1. 都市部を中心とした狭い居住空間
2. 美徳とも言われるもったいない文化
3. 戦後に欧米から入ってきた大量生産×大量消費文化

よーく、わかります。

落語を聴いている人にはわかると思いますが、江戸の長屋ではモノが少なかったのですから、日本に汚部屋が増えた大きな原因は、アメリカから入ってきた大量生産×大量消費の文化のせいでしょう。この方は「欧米」とひとくくりにしていますが、実際、ヨーロッパはそういう文化ではありませんからね。あちらは古いものを大切にする文化です。日本の対米従属的なマインドセットを、そのへんからも断ち切らないと、いつまでも、アメリカのダメな文化に汚染されたままになってしまいます。安倍政権の崩壊を機に「汚部屋」を一気に片付けたほうがいいと思います。

大学生「もう限界!」、授業オンライン化の大混乱で孤独・睡眠不足・心身不調に | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

よくまとまった記事だと思います。結局のところ、学生も教員ももう限界です。この状況を作ったのは安倍政権ですが、最も悪いのは新型コロナウイルスなので、教員や大学を筋違いに責めるのはやめてほしいです。それではなくとも、教員は疲弊しているんですから。

自分を変えるのは止めよう [雑感・日記・趣味・カルチャー]

普通じゃなくていい、生き抜こう!借金玉氏『発達障害サバイバルガイド』を読んだら金言しかなかった感想。 - 少ない物ですっきり暮らす

自己啓発本には、他人を変えることはできないのだから、自分を変えて、素晴らしい人生を手に入れようみたいなことが書かれているようです。そういう人が「意識高い系」なんでしょう。私は読まないので、ウェブの記事をつまみ食いして、そう感じているだけですけど。

しかしながら、他人を変えることも、自分を変えることも非常に難しいことです。簡単に変えられるのは、自分の生活空間やモノだけです。気に入らないものを手放し、気に入ったものに囲まれる暮らしに変えることくらいです。そうすると、自然に呼吸しやすくなってくると思います。

自分を変えなければいけないというのは相当なプレッシャーです。ありのままの自分では何が悪いのか、いまのままの自分では存在価値がないのか、という疑問を持ち始めると、自己肯定感が下がり、生きていくのが辛くなってしまいます。

自己啓発本は、そのような人間の心のスキにつけ込んでビジネスをします。「このままでは時流に乗り遅れるぞ。スキルを高めていかないとあなたはまっ先にクビを切られる対象になるぞ」などと不安を煽り、誰にもできないような処方箋を与えるのが自己啓発本の特徴です。そんなものは一切読まないほうが自分のためになります。もしそんなノイズの発生源が本棚に飾ってあるなら、直ちにゴミ箱に捨てるべきです。我々にできることは、そうやって環境を変えることくらいしか残っていません。

できないことはできないし、楽しくないことは楽しくないのです。無理せず、楽に生きていくことだけを考えるのが人間の自然な姿です。無理をするということは、他人に押し付けられた基準に従うことです。そもそも自分の人生は他人の人生ではないのです。自分に価値観を押し付けてくるような人は、さっさと断捨離してしまったほうがいいです。もう、放っておいてくれや! お願いだから、私の視界から消えてくれ!

追記:午前中はものすごく仕事がはかどりました。この後は23人分の課題を片付けます。内訳は3クラスですが、締め切り前に出してくれている学生の分です。金曜日まではさっさと仕事を終えて、土曜日に息子のアパートの引っ越しを完了させる予定です。

【断捨離】安いモノが捨てられない人の潜在意識とは? [雑感・日記・趣味・カルチャー]



安いもの(プラスチックのスプーンや保冷剤)が捨てられない人は、使い捨ての自分を自己投影している可能性があるという分析は面白いですね。心の問題がモノに直結しているというのは実感としてよくわかります。

私は新車登録から12年目の古いクルマを修理しながら乗っています。5年か7年くらい乗ったらさっさと手放してしまおうと思ったこともあったのですが、お金がないこともありますが、だんだん手放せなくなってきました。それは自分が老人に近づいているからかもしれません。古いからと言ってまだまだ問題なく使えるものを簡単に捨てるという意識はどうかと思うのです。

また持っている楽器の半分は中古品ばかりです。これまたお金がないというのもありますが、誰かに手放されてしまったものだからといって価値がないことを知っているからです。楽器の場合は、手放す人の能力の問題であり、楽器本体の問題ではないことのほうが多いものです。

机や本棚はずっと既製品を使ってきましたが、自分の生活スタイルには合わないので、自作しました。そこは古いか新しいかという基準ではないですね。本棚は、化学物質が出ていたようで、部屋を閉め切っていると、すぐに臭くなりました。いまは臭くないので、やはり本棚のパーチクルボードのせいだったようです。

自分とモノとの関係は複雑なものですね。

今朝は、犬の散歩をした後、ポタリングに行きました。曇っていたので、楽にペダルがこげました。電車通勤しない時期が長く続くのですから、こうやって運動しておかないと、どんどんがお腹に贅肉がついて、足腰が弱っていってしまいます。

この後は、リアルタイムのオンライン授業があります。早く仕事を終わらせて、どこかに行ってしまいたいです。ああ、そうそう、ある学生が"go to travel'という表現を使っていました。さっそくそれは英語ではないとコメントしなければいけませんでした。教師に迷惑をかけるだけではなく、学生にも迷惑をかけるので、そういう妙なカタカナ語をでっち上げるのは今すぐにでも止めてほしいです。

帰省巡り矛盾 政府内の「溝」 - Yahoo!ニュース

帰省すべきか、するべきではないか、という些細な問題で政権批判をしている人たちは、アホなんじゃないかと思います。どっちでもいいでしょう。この時期に帰省する理由ってあるんでしょうか。うちなんかわりと近いところに、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいるので、行こうと思ったいつでも行けます。行っても1泊で帰ってくるのがふつなので、夏休みではなければいけないということもありません。義務で行っているような家庭もあるかもしれません。親と仲が悪い人もいるかもしれません。そんなことは政府が決めることでも、マスコミが決めることでもないので、そんなことが話題になること自体がどうかしています。私はたぶん自分の実家にはコロナが収まるまでは帰らないでしょう。インターネットはなくても、電話でもあるのですから、コミュニケーションは取れます。実家に帰っても、お墓参りをして、子どもたちはゲーム三昧ですからね。もう大きくなったので、祖父母と会話しても、話が合わないようです。私も経験がありますけど、孫としてはそういうものです。