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新鮮な緊張感 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

昼間、楽天モバイルUN-Limit Vを試すために母親に電話をしてみました。私の耳に届く音声に問題はありませんでしたが、母親は、私の声にエコーがかかって聞こえると言っていました。また、30分ほど話す間に2度無音になりました。無音は数秒程度でしたから、実用性には問題はありません。電話でいくら話しても無料だなんて、まったく信じられません。楽天はどこで利益を出しているのか、不思議です。

本音全開の僧侶が40歳のとき「掃除機のフィルター掃除」で気付いた人生の極意 「私の心も目詰まりしているのかも」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

新しくできたレストランの話をすると、「先週行ってきた」と自慢する人がいます。さらに「材料はいいんだけど、味付けがイマイチだった」と、これから行く人の楽しみをゴッソリ奪って知らん顔をしている人がいます。


私もこういう人にはなりたくないと思っています。

人はみな初めて経験することを新鮮な緊張感を持って楽しみたいという気持ちがあり、それがあるからこそ、人生が豊かになるものです。その楽しみを奪っていることに気づきもしない人に、私の人生の楽しみを奪われたくないので、そのタイプとはできるかぎり付き合わないようにしています。老婆心から、あれはしないほうがいいとか、こうしたほうがいいとか言ってくれるのはありがたいのですが、正直、余計なお世話です。

「ああ、あれね。いいと思うよ。詳しくは教えないけど、行ってみたら?」という程度のコメントで背中を押してくれればいいのに、いちいち評論家みたいなことを言う癖がある人は迷惑千万です。

こっちは、あんたの主観的なコメントを聞きたいわけではなく、そこに行ったときに押さえるべきポイントを教えてもらいたいだけ、どこを見ればいいのか、どこに気をつければいいのかを教えてもらえればありがたいと言っているだけで、私が体験する予定のことを先回りするんじゃないよ、と思います。テレビの旅番組やグルメリポートを見ると、すでに行って味わった気分になって、結局行かなくなるものですが、あれと同じです。

同じ体験をした後に、お互いに振り返って、あれはこうだったね、などとその人と話すのも楽しいことなので、ぜひとも他人の楽しみを奪わないでほしいものです。

「日本人は多神教だから寛容」通説は本当なのか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

一神教はどうしても不寛容で、日本は多神教だから寛容だ、という考えを同僚の女性教師もことあるごとに私の耳に吹き込みます。夫が欧州のプロテスタントの国出身で、その夫の言動からそのような結論に至ったそうです。私はその考えにまったく与しませんが、日本人はなににつけても不寛容な人が人が多いと思います。そもそも日本人は多神教というか、無神論者のほうが多い気がします。私の家では妻以外は3人とも無神論者です。妻はスピリチュアル系ですね。50を過ぎていまだに幽霊の存在を信じているくらいですからね。

戦後日本復興期の貧困と生命力を鋭くえぐるドキュメンタリー映画「スラム」を科学映像館が無料配信 | Buzzap! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

戦後日本復興期の貧困と生命力を鋭くえぐるドキュメンタリー映画「スラム」を科学映像館が無料配信 | Buzzap!

1961年のドキュメンタリー映画『スラム』が無料公開されています。私が生まれた地域にも昭和40年代には同じような地区がありました。かつての炭鉱労働者が住んでいた「炭鉱住宅」というものです。おそらく平成の始めの頃まではあばら家同然の姿を晒していたと思います。山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』の倍賞千恵子が刑に服す夫(高倉健)の帰りを待ちながら住んでいた家もそうだったと思います。

この『スラム』を見ると、日本が高度経済成長を果たしたのは、政府主導の社会主義的な政策が大いに貢献したことが明白であることがわかります。池田勇人、佐藤栄作、田中角栄が総理大臣だった頃までの話ですが。

スラムの暮らしは、古い日本映画ではよく見る風景です。日本の原風景を知らない若い世代は、大いに衝撃を受けるかもしれません。

役人の目線で描かれるスラムはあまりにも劣悪です。大小様々な違法建築の棟割長屋が乱立し、家々がドブ川の上まで染み出しています。それそれのボロ屋には数世帯の住民が薄い壁1枚を隔てて暮らしています。家の壁にはぽっかり穴が空き、屋根の重みで時折家が崩壊するところもあります。便所と台所は隣同士で、よそ者だったら鼻をつまむくらいの強烈な臭気の中で住民たちは平気な顔をして暮らしています。子供は道端で大便を新聞紙の上にひり出し、犬がそれを食い逃げしようとしている様子も映し出されています。便所は床に穴が空いただけの作りになっており、地面に溜まった糞便は雨が降ると道に流れ出していくのです。

当時の政府は、このような劣悪な環境に住む人々を「改良住宅」というコンクリートの団地に移住させ、文化的な生活を送らせることが、日本の発展につながると考えていたようです。それがこのドキュメンタリー映画でははっきり映し出されています。スラム街を破壊する労働者もスラムの住人で、その跡地に改良住宅を建設するのも同じ人々であるというのが面白く感じました。私の祖父も地方の役人として、貧民たちの暮らしを改善する啓蒙活動をしていたので、スラムの住民目線だけではなく、同時に役人目線でも見ることができました。

映画の中では触れられていませんが、おそらくスラムの住民の中には在日朝鮮人が多く含まれていたと思います。彼らは日本人として日本の戦争に参加して、敗戦後、「お前らは朝鮮人なのだから、韓国や北朝鮮に面倒を見てもらえ」と無慈悲に打ち捨てられた人々でしょう。川口を舞台にした『キューポラのある街』という吉永小百合主演の映画でも見る風景です。こういう日雇い労働者の姿を、小説家の中川健二や立松和平が活写しています。若い頃に読んだときには、ああいう世界があることを全く知らなかったので、すこぶるショックを受けた記憶があります。

音楽はオノ・ヨーコの元夫である一柳慧と、天才ピアニストの高橋悠治です。映像を見ても驚かなかったのですが、最後にそのクレジットを見て驚きました。通りで異様な音楽になっているわけです。

こういうのを見ると、小津安二郎監督の作品に出てくる同時代の人々が、これと対照的に、中流以上の豊かな人々だったかがわかります。住んでいる世界が全く違います。沖縄出身の詩人である山之口貘も若い頃東京でし尿の汲み取り屋の仕事をしていたそうですが、同じような環境で暮らしていたのでしょうね。これもまた日本の原風景です。


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息子の進路:理系か文系か [資格・学び]

「文系・理系」どっちがいい? 将来 “稼げる” のはやっぱり○○だけど……。

日本人は、「アート」と聞くと、音楽や美術のような芸術をイメージしてしまうかもしれませんが、歴史や地理、文学もアートに含まれます。広く「人間がつくったもの」と解釈できるでしょう。これに対して、「サイエンス」とは「神がつくったもの」すなわち、現実世界にある、人間以外が作ったもの全てを対象に学び、研究することを指しています。


Scienceは「知ること」という意味です。consciousは意識しているという形容詞ですが、そこにsciが含まれていることからもわかるとおり、同語源です。何を知ることなのかといったら、当然、究極的にはこの世界の起源です。神がこの世界をどう作ったのかを研究することがScienceです。

Artは芸術と言う訳し方がされますが、人間の技、人間が使う術のことです。Martial Artsといえば、武術、戦いの技術です。Artificalは人工的と訳されますが、その中にもArtが含まれています。

西洋でのこういう分類方法を日本人はまったく理解していませんので、数字を使うと理系、数字を使わないと文系という乱暴な分類をしてしまいます。もうそんな時代ではないんですけどね。

西洋では、心理学(Phychology)は神が作った人間についての学問なのでBS(Bachelor of Science)に属しますが、日本だとBA(Bachelor of Arts)に分類されます。不思議ですね。一方、経済(economy)は家計をどう切り盛りするかという人間の活動ですから、経済学(Economics)はBAであることはわかりますが、数学を駆使するので、理系的な側面も強いです。長男が専攻している生物学(Biology)は、理系に分類されていますが、覚えることが膨大にあるので文系的な要素が強いと言われることもあります。ことほどさように、理系と文系の境目はあいまいですね。

次男は高校1年なのですが、学校でそろそろ進路を決めることを迫られているようで、とりあえず心理学科に進みたいと答えているそうです。私が心理学は面白いと思うよとか、あれはなんとかバイアスに基づく発言だよ、などとふだんから言っているので、その影響でしょう。

息子がどこに進もうとかまわないですが、大学で学ぶことは、小中高校で教わるようなすでに知られていることを覚えることと同義ではないことは理解してもらおうと、昨日、ブックオフに向かう途中のクルマの中で話をしておきました。大学は基本的に、世の中は自分たちが思っているほど単純ではないよ、パターン化できるもんじゃないよ、ということを学び、かつ基本的なものの学び方や研究方法、論証の仕方(正しい結論の導き方)を学ぶところです。しかも、大学での専門性の高い研究は今現在何の役に立つのかわからないことばかりです。1万発中1発当たるかもしれないと期待して、無駄な研究に励むところです。もしそれが当たれば、人類にとって大きな進歩になるわけです。専門性の高い技術を効率よく身につけたいなら、専門学校に行って、マニュアルを覚えればいいのです。大学とはそういうところですが、世の中の99.9%の人は大学を出ても、そんな基本的なことすら理解していません。

進学関連の情報をウェブで検索すると、ヤフーの知恵袋がヒットしました。その中で訳知り顔のオジサンが、首都圏では東大、早稲田・慶応、理科大、東工大あたりに進まないと意味がない。他は行っても無駄。偏差値の高いところでは高度な内容の授業が受けられる、就職のしやすさを考えたら、学部なんかどうでもいい、大学名だけで選べとアドバイスしていました。学問の中身よりも学歴という薄っぺらいブランド価値を重視するような考え方がいまだに支配的だとしたら、日本はクソみたいな後進国から抜け出せないことは明確です。世界の下請けに甘んじるのは仕方がありません。日本に明るい未来はないのは誰にも否定できません。

人民服に自転車…「かつて日本人がイメージした中国」そのままの80年代の北京の風景 | Buzzap!

これって、現在の日本?



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