SSブログ

黒澤明監督『生きる』(1952年) [映画]

生きる (映画) - Wikipedia

この作品を観るのは2度目です。

この物語の主人公は、市役所の市民課(何もしないようにすることが仕事!)で課長を務める渡辺という男(志村喬)です。渡辺課長は書類を読んで決済の判子を押すだけの、まさに「判で押したような生活」を送っています。勤続30年目にして、彼は胃癌のため余命幾ばくもないことを知ります。一時は絶望し、自殺まで考えるのですが、自分の人生を無為に過ごしてきたことを反省し、生きている実感を得ようと奮闘するのです。(私の父親も市民課勤めだったので、他人事には思えません。)

このとき志村喬は47歳。私の年齢よりも下であることに驚きました。

th_ikiru_1.jpg

th_ikiru_2.jpg

自暴自棄になって飛び込んだ居酒屋で「メフィストフェレス」を自称する小説家(伊藤雄之助)と出会い、彼に生きている実感を味わう方法を教えてもらおうと頼みこむのですが、彼が教えるのは酒を飲んだり、ストリップを見たり、女と遊んだりする程度の享楽です。そんなものでは、真に生きているという実感が得られるはずもありません。時間と金の無駄です。



th_ikiru_3.jpg

その後、課長は同僚だった若い女性(小田切みき)の尻を追いかけるようになります。彼女は仕事をしているふりをしているだけの市役所勤めを辞め、おもちゃを作る工場に転職するのですが、渡辺は貧乏ながらも必死に生きている彼女の姿に惹かれていたことに課長は気づきます。そして、彼女に「課長さんも何か作ったら?」と言われます。その言葉がきっかけとなり、自分にも彼女と同じような生き方ができるはずだと悟り、2週間もの間無断欠勤していた市役所に戻っていくのです。

喫茶店で暇をつぶしていた二人の隣では、裕福そうな若者たちが誕生日パーティーをしています。彼らはご当人がやってくると「ハッピー・バースデイ」を歌い始めるのですが、ちょうどそのとき課長はすれ違いざまに慌てて階段を下りていきます。それこそが彼の新たな人生の始まりの瞬間を象徴するものとなっています。この写真は明らかに課長を祝福している構図です。

th_ikiru_4.jpg

その後、場面が変わって、突如、課長の葬式の場面になります。市役所関係者の会葬者たちは、課長が胃癌であることを知っていたのか、なぜ急に公園の造成に命がけで取り組むようになったのかという問題を議論し始めます。黒澤作品の『羅生門』(1950年)で使ったフラッシュバックの手法で組み立てられていくのですが、これこそが黒澤的なドラマツルギーなのかもしれません。(山田洋次監督によると、黒澤監督は、映画というものは始まったらまっすぐに進まないといけないと考えていたそうですが、実際、黒澤がやっていることは違うと思います。)

th_ikiru_6.jpg

次期課長と目される部下が、会葬者たちに話す生前のエピソードが議論の決定打になります。課長が部下とともに何度も各課を周り、何度罵倒されても不屈の精神で公園の造成を頼むのを見て、「課長は腹が立たないのですか」とすごい剣幕で問い詰めると、課長は「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない」と答えるのです。これによって、課長が色惚けしたせいで、突如やる気が出たなんていうことではなく、自らの死が間近に迫っていることを知り、その前に何かを成し遂げようとしていたという結論に達するのです。

th_ikiru_7.jpg

課長は雪の降る中、公園のブランコで「ゴンドラの歌」を歌う様子を見たが、保護しなかったことに責任を感じていると言う警察官が焼香に現れます。警察官は、課長が楽しそうに歌を歌っていたと語り、会葬者を唖然とさせるのです。まさに、人生の最後に何かを成し遂げたことの満足感を課長が味わっていたことの証左です。

th_ikiru_8.jpg

私の記憶では、「ゴンドラの唄」は最後に歌われるものとばかり思っていましたが、カフェーで、ピアニストに演奏をリクエストして、この世のものとは思えないような低い声で涙を流しながら自ら歌う場面もありました。すっかり忘れていました。あそこも、あまりに異様なシーンですね。





人間はいつ死ぬかわかりません。コロナ禍の影響もありますが、私もご多分に漏れず自分の生き方についてこの1年いろいろ考えさせられました。とはいえ、渡辺課長(志村喬)とは違って、いまから何かを成し遂げることは無理だろうという諦念がすぐさま襲ってきます。そんなことでは、お金を稼ぐため(時間をつぶすため)だけに生きている「ミイラ」(かつての渡辺課長のあだ名)になってしまうんでしょうけどね。

この映画もそうですが、ロビン・ウイリアムズ主演の『いまを生きる(Dead Poets Society)』も同じテーマです。「カルペ・ディエム」「命短し恋せよ乙女」です。

渡辺課長は、「つまり」という言葉を口癖にしています。英語にすれば、"In short"です。課長の「雨だれのように」ポツポツした話し方は、まったく要領を得ず、自分の言いたいことを一言でまとめることができません。しかし、自分の人生を短くまとめようとしても、うまくまとめることができなかった彼の人生は、会葬者たちが長い議論をした末に、きれいにまとめ上げられ、彼の熱意が称賛され、一部の人間に受け継がれることになるのです。そういう意味では、渡辺課長の残したものは、住民の要望を聞き入れて暗渠の上に建設された公園だけではありません。それはまさに生きることに対する「希望」そのものです。


共通テーマ:映画