The Alan Parsons Project- Eye in the Sky BASS COVER + PLAY ALONG TAB + SCORE [音楽・楽器]
ベースって、基本、ドラムの代わりみたいなものでいいんだと個人的には思います。同じ音でも強弱をつければ、ドラムっぽくなります。近頃のベースの人って、格好つけすぎるきらいがあるんですよ。スラップとか、うっとうしいわ。
【プーレ先生もお怒り!?】絶対にやってはいけない楽器の支え方 [音楽・楽器]
まさに私がやっているような、アゴでガチっと押さえつけて固定するようなバイオリンの支え方は良くないんですね。
きほんのき(丸髪版) 中川樹海 2021.2.15 [音楽・楽器]
こういうの大好きです。殺伐とした世の中ですから、ほのぼのしますね。中川樹海さん、どうもありがとうございます。
ジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向って撃て!』(1969年) [映画]
明日に向って撃て! - Wikipedia
『明日に向って撃て!』などという邦題はポジティヴな印象を与えるものですが、中身はその反対です。自分の人生をどう終わらせるか、という問題の解決に向かってひたすら突き進んでいるだけなのです。人生における非情な現実を直視するのは、観客にとってもなかなか辛いものがあります。
前半は、主人公のブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とザ・サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)が楽しそうに列車強盗や銀行強盗しながら自由に暮らしている様子が描かれるのですが、鉄道会社や銀行も馬鹿ではないので、簡単には強盗稼業では食っていけない状態になっていきます。結果、二人はアメリカから追い出されるようにボリビアに逃げ込みます。最後は、警察隊や軍隊に大量の銃弾を浴びて絶命します。
二人の主人公はともにすでに旬を過ぎています。強盗のやり方も時代に合わなくなってきている状況です。彼らは始終これからどう生きていけばいいのかを頭の半分で考えているように見えます。そう言うと未来志向の作品に思えてしまいますが、実はどういう形で人生を終わらせればいいのかを探している「老いぼれ」たちです。それに気づいた瞬間に、この映画の本当の魅力がわかった気がしました。
これはアメリカン・ニューシネマの伝説的な作品と言われています。1960年代の反戦運動や社会改革のの失敗の後、特に1970年代の前半はアメリカでは悲観や失望や敗北感が漂いましたが、アメリカン・ニューシネマはそういう時代思潮を先取的に反映し、安易なハッピーエンディングを拒否するという特徴があります。まさに、コロナ禍にあって、自分たちの無力さをたっぷり思い知らされた後の我々の暗澹たる気持ちが、いまの時代にぴったり合っているような気がします。
実は私が観た映像は、10年前にBS-TBSで放送されたものを録画したものです。東日本大震災の余震に何度に見舞われ、テレビ画面に日に何十回と地震速報が表示されていた頃です。この録画にも「津波に注意してください」というテロップが記録されていました。なんとも言えない感覚を覚えました。録画した直後にも観ていますので、これでこの映画を観るのは2度目です。記憶にないのですが、もしかしたら3度目かもしれません。
有名なシーンです。追っ手から逃れるために崖の上から激流に飛び込むシーンです。それまでの西部劇だと、完全無欠な男(ジョン・ウェインを想像するとわかりやすいかも!)が主人公になるものですが、危機に瀕しているのにも関わらず、サンダンスは急に「俺は泳げないんだ」などと情けないことを言い出し、笑わせてくれます。一方、ブッチの方は快活な性格で人に好かれるのはいいのですが、口ばかりです。スペイン語が話せると言っていたくせに、実際は一言もわからないという醜態を晒します。ともに不完全なヒーローです。
彼らは金持ちから金を奪い返す石川五エ門ばりの義賊のつもりでいます。それにもかかわらず、貧しい人には決して還元することはありません。
ボリビアに到着したのはいいのですが、アメリカと違って本当に何もないのです。アルパカと豚くらいしかいません。滑稽なシーンです。
サンダンスは恋人である26歳の教師エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)とともに楽しそうに銀行強盗します。なんとも牧歌的です。
二人は指名手配の強盗であること隠すために、ボリビアで労働をしようとします。サンダンスの銃の腕を買われて二人は用心棒になるのですが、ボリビア人の追い剥ぎに雇い主は殺され、金も奪われるという失態を演じます。その後、二人は追い剥ぎたちを全員銃殺して金を奪い返すことに成功するのですが、結局自分たちのものにしてしまいます。何の因果か、更生することができなかったわけです。
西部劇の悪党なのに、人を撃ち殺したことがないなんて、まさにアンチヒーローです。
二人はジャングルの中で村人から馬を強奪するのですが、馬の尻についていた焼印で足がつき、最後は、警察と兵隊に囲まれ、蜂の巣にされてしまいます。
結局のところ、この作品は、自分がしてきたことの始末をどうつけるかを巡って堂々巡りをした「老いぼれの散歩」を描いたものだと要約できると思います。10年前に観たときは、二人の男たちが「人生をどう終わらせればいいのか」というテーマに追われている事実に気づきませんでしたが、私自身が「老いぼれ」になって初めてそれに気が付きました。
いまの若い人はどうやら古い映画を観ることがなくなってしまったようです。中国資本の最新のハリウッド映画やマーベル・コミックを原作にした映画ばかり観ているのでしょう。学生と映画の話をすると、彼らの口に上るのはその手のものばかりでげんなりします。もう少し古いものも観てくれると話題が噛み合って楽しんですけどね。私もブッチとサンダンスと同様に時代に合わなくなってしまったのでしょうか。
『明日に向って撃て!』などという邦題はポジティヴな印象を与えるものですが、中身はその反対です。自分の人生をどう終わらせるか、という問題の解決に向かってひたすら突き進んでいるだけなのです。人生における非情な現実を直視するのは、観客にとってもなかなか辛いものがあります。
前半は、主人公のブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とザ・サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)が楽しそうに列車強盗や銀行強盗しながら自由に暮らしている様子が描かれるのですが、鉄道会社や銀行も馬鹿ではないので、簡単には強盗稼業では食っていけない状態になっていきます。結果、二人はアメリカから追い出されるようにボリビアに逃げ込みます。最後は、警察隊や軍隊に大量の銃弾を浴びて絶命します。
二人の主人公はともにすでに旬を過ぎています。強盗のやり方も時代に合わなくなってきている状況です。彼らは始終これからどう生きていけばいいのかを頭の半分で考えているように見えます。そう言うと未来志向の作品に思えてしまいますが、実はどういう形で人生を終わらせればいいのかを探している「老いぼれ」たちです。それに気づいた瞬間に、この映画の本当の魅力がわかった気がしました。
これはアメリカン・ニューシネマの伝説的な作品と言われています。1960年代の反戦運動や社会改革のの失敗の後、特に1970年代の前半はアメリカでは悲観や失望や敗北感が漂いましたが、アメリカン・ニューシネマはそういう時代思潮を先取的に反映し、安易なハッピーエンディングを拒否するという特徴があります。まさに、コロナ禍にあって、自分たちの無力さをたっぷり思い知らされた後の我々の暗澹たる気持ちが、いまの時代にぴったり合っているような気がします。
実は私が観た映像は、10年前にBS-TBSで放送されたものを録画したものです。東日本大震災の余震に何度に見舞われ、テレビ画面に日に何十回と地震速報が表示されていた頃です。この録画にも「津波に注意してください」というテロップが記録されていました。なんとも言えない感覚を覚えました。録画した直後にも観ていますので、これでこの映画を観るのは2度目です。記憶にないのですが、もしかしたら3度目かもしれません。
有名なシーンです。追っ手から逃れるために崖の上から激流に飛び込むシーンです。それまでの西部劇だと、完全無欠な男(ジョン・ウェインを想像するとわかりやすいかも!)が主人公になるものですが、危機に瀕しているのにも関わらず、サンダンスは急に「俺は泳げないんだ」などと情けないことを言い出し、笑わせてくれます。一方、ブッチの方は快活な性格で人に好かれるのはいいのですが、口ばかりです。スペイン語が話せると言っていたくせに、実際は一言もわからないという醜態を晒します。ともに不完全なヒーローです。
彼らは金持ちから金を奪い返す石川五エ門ばりの義賊のつもりでいます。それにもかかわらず、貧しい人には決して還元することはありません。
ボリビアに到着したのはいいのですが、アメリカと違って本当に何もないのです。アルパカと豚くらいしかいません。滑稽なシーンです。
サンダンスは恋人である26歳の教師エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)とともに楽しそうに銀行強盗します。なんとも牧歌的です。
二人は指名手配の強盗であること隠すために、ボリビアで労働をしようとします。サンダンスの銃の腕を買われて二人は用心棒になるのですが、ボリビア人の追い剥ぎに雇い主は殺され、金も奪われるという失態を演じます。その後、二人は追い剥ぎたちを全員銃殺して金を奪い返すことに成功するのですが、結局自分たちのものにしてしまいます。何の因果か、更生することができなかったわけです。
西部劇の悪党なのに、人を撃ち殺したことがないなんて、まさにアンチヒーローです。
二人はジャングルの中で村人から馬を強奪するのですが、馬の尻についていた焼印で足がつき、最後は、警察と兵隊に囲まれ、蜂の巣にされてしまいます。
結局のところ、この作品は、自分がしてきたことの始末をどうつけるかを巡って堂々巡りをした「老いぼれの散歩」を描いたものだと要約できると思います。10年前に観たときは、二人の男たちが「人生をどう終わらせればいいのか」というテーマに追われている事実に気づきませんでしたが、私自身が「老いぼれ」になって初めてそれに気が付きました。
いまの若い人はどうやら古い映画を観ることがなくなってしまったようです。中国資本の最新のハリウッド映画やマーベル・コミックを原作にした映画ばかり観ているのでしょう。学生と映画の話をすると、彼らの口に上るのはその手のものばかりでげんなりします。もう少し古いものも観てくれると話題が噛み合って楽しんですけどね。私もブッチとサンダンスと同様に時代に合わなくなってしまったのでしょうか。