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前後関係と因果関係 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

世の中には前後関係と因果関係の区別ができない人がたくさんいます。科学者を名乗る人たちもそんな人たちばかりです。

コロナ禍の初期に、ショッピングモールのフードコートで感染した例があるなどといい加減なことを政府の分科会の尾身先生も言っていて、私はびっくらいこきました。

YouTubeに金剛山のライブカメラがあるのですが、そのコメント欄を見ると、去年は「山登りなんかしているから感染が拡大するんだ。密だよ、密」とか言って、怒っている人がいました。馬鹿は死んでも治らないと思っていましたが、いまはそういうことを言う馬鹿はすっかり消えたようです。

近頃は、バーベキューで感染したとか、路上飲みで感染したとか、そんなことは誰も言わなくなりました。5月の連休頃は、河川敷などでバーベキューを楽しむ若者を取材して、女性記者が若者に「帰れ」と怒鳴られているのをニュースで見て、テレビ局って馬鹿しかいないのかと思っていました。また、路上飲みをしている若者を映してけしからんと文句を言うニュースもさんざん流れていましたが、若者を批判する前に、飲食店をスケープゴートにする政府を批判すべきですよ。飲食店に感染対策をさせておいて、感染の危険性があるから営業時間を短くしろとか、わけのわからないことを言っているのですから、そこを突っ込むべきです。ソーシャルディスタンスがまったく取れない満員電車のほうがはるかに危険でしょうが。乗客は喋らないから安全とか言っていますが、時間帯によってはけっこう喋っていますよ。朝の時間帯なんか、女子高生もニンニクのニオイをプンプンさせていて、吐き気がするほど気持ちが悪くなります。乗客はたえずそういう息を吸っているのです。それにけっこう平気で咳をしている人もいます。感染者が近くにいたとしても、声を出してもいないし、つばも飛ばしていないのだから、空気中にウイルスが含まれていても微量であって感染するほどの力はないとか言われていますが、本当かどうか怪しいものです。

いずれにせよ、科学者やマスコミの人たちが前後関係と因果関係の区別ができないようです。フードコートで感染したなどということを誰が証明できるのでしょうか。感染者の主観でしかないわけです。発症する数日前の行動の中にたまたまフードコートでの食事があったものだから、前後関係と因果関係の区別ができない保健所の人がそれが原因だと勝手に決めつけただけでしょう。またバーベキューで感染したというのも怪しいものです。それ以前に誰かがどこかで感染していたから、バーベキューで感染したとしたら、バーベキューが悪いわけではありません。路上飲みも同じです。

感染した場所は、フードコート、河川敷、路上などと決めつけて魔女狩りを楽しむ気持ちもわからないではないですが、発症者は別の場所で感染している可能性もあるのです。それを忘れてはいけません。前後関係は特定できますが、因果関係などというものはそんなに明確に断定できないものです。発症者の行動を時系列で並べてみて、直前の行動が怪しいと考えるのは当たり前のことですが、たとえばバーベキュー会場に辿り着く前の経路のどこかで感染するリスクはゼロではありません。感染源は電車の中かも知れませんし、コンビニかも知れません。職場や家庭内感染だって、本当は感染経路不明にカテゴライズすべきなのです。家庭に最初からウイルスが存在していたわけではなく、家族の誰かが家庭に持ち込んだのですから、もともと感染したのは別の場所です。家庭に責任があるわけではないのですから、同様に河川敷でのBBQが犯人であるわけではないのです。

感染する場所としてもっとも怪しいのは狭い空間に大勢の人が閉じ込められる場所でしょう。私は最初からずっと満員電車を疑っています。マスコミも政府も一切そこには触れませんが、だからこそ怪しいと思っています。たとえ満員電車が感染源であっても、証明しようがありません。証明しようがないから電車の中での感染者数はゼロの計算になっています。特定できないからゼロなのであって、ゼロだから安心というわけではないのです。本当は100%の感染場所かもしれません。

数字は嘘をつかないと思っている人は、そんな数字のマジックに騙されていることを知らないだけです。いずれにせよ、前後関係と因果関係の区別くらいできるようになってほしいですね。神社に参拝に行った帰りに100円を拾ったからと言って、それが神様のおかげだと考えるのは原始人です。少しはものを考えてほしいものです。

今日の東京の新規感染者数は1149人でした。第4波のピークをすでに超えたとのこと。(いまは第5波です。)来週23日の五輪の開会式辺りには、40代から50代の重症患者がどんどん増えていき、医療崩壊寸前になっているはずですから、やっぱり東京会場では実施不可能であると往生際の悪い政府もようやく認め、北海道、東北や茨城のみで開催されるのだと私は予想しています。やったことはやったし、中止と言えば中止という中途半端な解決法です。そういう曖昧さは日本人は大好きでしょう。もともと安倍晋三は「復興五輪」と言っていたのですから、元の姿に戻るのです。「ウイルスとの戦いに勝った証」なんかではなく、人類の無力さと愚かさを思い知らされた「歴史的な五輪」(byボッタクリ男爵)になると思います。そういう意味ではめでたく成功と呼べると思います。


ズボラ主婦を引退しようと思ったけど無理だった休日の家事ルーティン。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



めっちゃ完成度が高い。


追記(11:46):ズボラな私でも、今日のノルマを達成しました。明日になるとノルマが3クラス分追加され、残り5つになりますが、がんばれば今週中には片付くはずです。今日はもうがんばりません。

大学教員を悩ませる「オンライン講義中の学生の部屋が丸見え」問題 | マネーポストWEB [資格・学び]

大学教員を悩ませる「オンライン講義中の学生の部屋が丸見え」問題 | マネーポストWEB

zoomやGoogle Meetなどを使ったリアルタイムのオンライン授業で、学生の顔をモニターに表示させるべきか否かが教員の間でときどき問題になります。中には学生に対して「顔を出せ!」と口を酸っぱくして言う教員もいます。それでも学生は無視してカメラをオフのままにしていることが多いと言って怒り心頭に発している教員もいます。一方、私は自分自身の顔さえ表示しないようにし、画面には教材のみを映してラジオ感覚でゆるーく授業をしています。それで何の問題もありません。最近は答えは返ってこないのに、ベテランのラジオパーソナリティーのようにリスナーに話しかけている感じを演出できるようになりました。

むしろ顔を出さないほうが、英文を読むことに集中できる気がします。私は近眼で老眼なので、対面授業でもあまり学生の方を見ないまま授業をしています。実際、教室の真ん中から向こうは顔がまったく見えないのです。見ても全員マスクをしているので、顔を見る意味があるのかわかりません。あえて教科書から顔を上げて、学生の顔を見ながら話しかけるときは、よほど重要な話をしているときくらいです。

私がオンライン授業で自分の顔を映さないのは、自分の顔を見ながら話すと集中できないということもあります。また、見られていると妙に緊張してしまうからです。さらに、カメラで自分を映すと、自分の後ろに乱れたベッドが映ってしまうのが、はずかしいのです。服だって、スーツなんか着るはずもなく、ほとんどパジャマか下着姿みたいなものですから、他人には見せられません。

ならば、パソコンの角度を変えればいいだろうと言われるかも知れませんが、それでも見せたくないものが映ってしまいます。楽器とかアンプとか水槽とか。さらに机に対して斜めに座ることになると非常に授業がやりにくくなります。腰にも悪いでしょう。

世の中には、背景が白い壁しかないような大きな家に住んでいる人ばかりではないのです。うさぎ小屋のような日本家屋ではそんなことは無理な場合が多いと思います。

さらに食い下がって、背景は別の写真を当てはめればいいんだという人もいます。私のMacBookは5年前のもので、スペックが低いので、残念ながらそんな芸当はできません。すべての人が高スペックのパソコンを持っているわけではないし、ネット回線の太さの問題もあるのですから、教員も文句ばっかり言っていないので、なるべくいろんなところに負担をかけないように配慮すべきです。

zoomで顔を出せと言い張る教員は、テレビ世代なんじゃないですか。私もテレビ世代ではありますが、ラジオを聴いていた時間のほうがはるかに長いので、こういうスタイルに慣れています。YouTubeだって最近は動画と言っても、音声だけの配信もあるようです。いろんなやり方があることを認めてほしいものです。

今日のノルマは1クラス分の課題を読んで成績をつけること。34人中3人が片付いたところです。内容が面白いとさらっと読んで簡単に成績をつけられるのですが、文法的な間違いが多かったり、何を行っているのかわからず、引っかかってばかりいると、何点にしたらいいのか悩んでなかなか進みません。


共通テーマ:学校

論破?論駁? [資格・学び]

渦中の論破王・ひろゆき氏に堀江貴文氏「うぜえな」のあきれ顔 | FRIDAYデジタル

フランスにおける差別の話はよくわかりませんが、西村博之氏の「論破」には欠陥があると思います。こういうことは勝負の問題ではありませんが、この勝負はホリエモンの勝ちでしょう。自分の矛盾を理解した上で、自分の夢を実現しようと頑張っていると主張するホリエモンのほうが大人です。勝ち負けだけで遊んでいるという姿勢は幼稚です。

論破なんてものは、時間や情報リソースの制限があるからこそ可能なのであって、時間や情報を無制限に拡大したら、ひろゆき氏の視野の狭さが露呈するだけです。人間には限界があるということを受け入れたほうが勝ちです。「負けるが勝ち」とはよく言ったものです。ひろゆき氏はそこがわかっていません。

こういうふうにメタレベルから攻めても、ひろゆき氏は敗北宣言を出さないはずです。出したら、ゲームオーバーになるからです。彼の飯の種を失うことになるからです。そんなゲームに付き合えるほどの暇を持て余している人だけが、ひろゆき氏を相手にすればいいだけです。ひろゆき氏のカモとなった人は全員、彼の都合の良いように利用されるだけですから、相手にしないのが良いと思います。馬鹿は相手にしないのが、いや馬鹿を生暖かい目で見守るのが、大人の態度です。

「論破」を辞書で確認すると、「 議論をして相手の説を言い負かすこと」とあります。この定義を見て疑問に思うのは、勝敗は誰が判断するのかということです。勝ったと思った側が勝利宣言を下しただけなら、それが錯覚であるという可能性を否定できません。もちろん、第三者がその事実を認めたとしても、第三者の誤審を否定できません。人間というのはその程度の生き物です。ボクシングなら、物理的に相手が立ち上がれなくなるので勝敗は明確ですが、知的なもの場合(ボクシングにも知的なゲームの側面があることを否定しているわけではありません!)、雌雄を決するのは難しいと思います(男女差別しているわけではありません!)。

「論破」は英語では"refute"というのだと私は記憶しています。"refute"を辞書で調べると、"If you refute an argument, accusation, or theory, you prove that it is wrong or untrue." と書いてあります。"refute"という行為には、相手の説が間違っていることを正しく証明する過程が含まれていなければいけないようです。実際のところ、ひろゆき氏は丁寧な証明を行っているのでしょうか。していないのであれば、"refutation"という意味の「論破」はできていないということです。つまり勝っていないのです。

論破に似ている単語としてよく使われる熟語に「論駁(ろんばく)」があります。こちらは「議論して、相手の説の誤りを非難・攻撃すること」という意味です。単純に攻撃で終わる行為です。勝利したかどうかは別問題です。要するに、言いっぱなしです。ひろゆき氏の「論破」は「論駁」レベルなんじゃないかと個人的には思っています。


「自公以外に投票」ポスターがネットで拡散、飲食店5万店への掲示目指す | Buzzap! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

うちの長男はいまだ就職活動の身にあります。さすがにこの時期に内定が取れていないのは精神的に厳しい状態でしょう。同じゼミ員たちがみな内定を取って暇を持て余しているのを見て、とうとう追い込まれたのだと思いますが、ここ数日は今までには感じることがなかった「やる気」を感じるようになりました。

ようやく本腰を入れてくれたとはいえ、息子は作文の苦手なので、就職を希望する会社に提出するエントリーシートを書くのに苦労しています。親としてできることは限られていますが、私ができる範囲で応援してやろうという気持ちから、昨晩も数時間かけて自己PR等の文章を完成させる手伝いをしました。企業が就活生に出す質問に正面から答えるのは当たり前ですが、その質問の裏の目的を想像し、それに答えられるように息子と一緒に文章を練り上げました。趣味や特技に関しても、好きなものを単に並べるような子供っぽさを避けて、それらの意義や価値を伝えられるように屁理屈をこねました。社会や世界への関心の高さも示せたと思います。

我ながら、人事担当者が読んでも面白く、勉強になる文章が書けたと自負しています。大学の授業で英作文を教えていることが大いに役立ちました。私自身が学生たちに教えていることですが、読みやすくなるように(返り読みしなくて済むように)、文章の構成や統一感に配慮し、全体から細部へ、抽象から具体へ流れるように文を配置しました。子供の頃に読んだ三島由紀夫の文章読本を思い出しながら、客観(的事実)と主観などの対比表現も効果的に取り入れました。私は文学系の人間ですから、話を物語風にまとめたり、映像が浮かぶように描写を取り入れたり、躍動感やリズム感を演出するために会話を取り入れたりするのは得意です。一文の長さや文と文の連続性にも気を使いましたし、カッコ、句読点、インデントなどもみなルールブック通りです。その上で、他人とは大きく異なる視点やアイデアを提出することも心がけました。世界の大きな流れを理解しているし、世の中のさまざまな問題にもしっかりアンテナを張っているし、自分の頭でしっかり考えられる人間であるということもうまく伝えられたはずです。

さすがに、そこまでやれば完璧でしょう。偉そうなことを言いますが、私が人事担当者だったら、その書類を読んだだけで即採用決定です。自分だったら、こういうエントリーシートを読みたいと思えるのが理想ですが、息子のエントリーシートはその条件に十分に適っていると思います。文章だけ読めば、「コミュ障」の息子もまともな人間に思えるはずです。

息子が最初に書いた文は極端な複文ばかりで、恐ろしく読みにくかったです。オタク系の大学生にありがちですが、抽象的な表現や見慣れない熟語もありました。かつての私もそうだったので、そうなってしまうのは心情的によくわかります。説明が雑駁で、知識がない人には読みにくさ満点になるのも仕方がありません。

文章を書き慣れていない人というのは、必要な情報を十分に提供できていない事が多く、読んでいると頭に次々に疑問符が浮かびます。そんな穴だらけの文章を読みながら、息子に「これは具体的にはどういうこと?」と次々に投げかけて、私の疑問を解消していくのが推敲の基本作業でした。この作業はゴーストライターというよりも編集者の仕事に近いものかもしれません。編集者の立場から、私はどうしてその書き方が駄目なのか、どう修正すればいいのかを論理的に説明したのですが、ここ数ヶ月の間に卒論を書き上げなければいけない息子だけではなく、私にとっても有意義な時間になったと思います。

真面目に運営していても、「飲食店」だけが叩かれるシンプルな理由:スピン経済の歩き方(1/6 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン

コロナ禍の初期から私は、安倍・菅政権による飲食店をターゲットにしたコロナ対策は飲食店に対する不当ないじめだと感じていました。いまだにその考えは変わっていません。そもそも酒類を提供する店舗が感染を拡大させているという科学的な根拠は明確ではないのです。むしろ感染源であると思われる満員電車を発生させている鉄道会社や都内の企業や大学はまったくお咎めなしなのが不思議なくらいです。なにかの「陰謀」すら感じます。逆に、大学は対面授業を強制され、オンライン授業にして人流を抑制し、感染拡大防止に貢献しようとすると世間一般から叩きのめされます。政府の矛盾だらけの政策や、理性的とは思えない一般大衆の意見に頭が混乱するばかりです。


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「自公以外に投票」ポスターがネットで拡散、飲食店5万店への掲示目指す | Buzzap!

完全にヤクザ(反社会的勢力)と化した自民党と公明党以外に投票することを促すポスターを全国の飲食店に貼り出すことに私は大賛成です。飲食店ばかりか、日本中の壁という壁をその青色のポスターで埋め尽くしたい気持ちで一杯です。そうすれば、暴力団、いや、自公政権は真っ青に震え上がるだろうと思います。しかし、飲食店業界は政治的に弱い立場にあり、それがためにスケープゴートにされているわけですから、現状を打破するのは厳しいと予想します。日本人なら誰もが知っていることですが、日本の有権者は基本的に無知蒙昧ですから、政治家を信頼できないから白票を投じたりして、またぞろ自公に有利なような投票行動をするのです。情けないですね。

「感染予防効果を期待できるものではない」泉大津市が接種券に誤情報を同封。市長は“マグネシウム鼻うがい”を推奨

こういう市長を選んでしまうのは、これまた日本の有権者のオツムが弱い証拠です。「免疫力」を鍛えようととか言っている時点で、ヤフコメレベルです。近所を徘徊しているアルツハイマー病の老人と一緒です。マグネシウムで鼻うがいで感染が予防できるくらいなら、世界中の人がすでにやっています。知性の低さを感じます。陰謀論者同様に「新型コロナウイルス感染症は風邪」とでも思っているのでしょうか。

たしかにコロナウイルスはライノウイルスなどとともに風邪の原因となるウイルスの一つですから、新型コロナウイルスもその一種です。だからといって、新型コロナウイルス感染症は大きなカテゴリーとしての風邪ではありません。その一部にすぎないのです。数学的に考えれば、それらは同一ではありませんから、「新型コロナウイルス感染症は風邪」という表現は間違っています。そんな発想では、コンピュータプログラムは書けません。科学を盲目的に軽視する陰謀論者は「新型コロナウイルス感染症は風邪」だと主張し、わかったつもりになっていることが多いですが、言葉の使い方が乱暴で、非論理的です。もはや陰謀論が彼らの狂気的な「宗教」になっているようです。アメリカの中西部の赤い州(Red States)に暮らす共和党支持のキリスト教原理主義者のような人たちが、日本にもいるということに愕然とします。別に何を信じてもいいのですが、他人に迷惑をかけないように、彼らは小学1年生レベルから勉強し直したほうがよいと思います。あまりに馬鹿すぎて悲しくなります。彼らの頭の中では、地球は平面なのかも知れません。

昨日締め切りだった英作文の課題(エッセイ)が3クラス分、全部で100人近くあります。どんなにがんばっても今日だけでは片付かないのは間違いありません。しかし、少しは手を付けておかなければいけません。これがまた明日になると3クラス分増えます。来週になると、さらに9クラス分増えます。その次の週は3クラス分だけですが、なんだかいつまでも夏休みがやってこない気がします。7月末までには片付くはずですが、気が遠くなります。

なぜ大学は2学期制にしちゃったんでしょうね。アメリカの猿真似ばかりするのはいい加減よしてほしいです。通年制でいいじゃないですか。留学生に配慮するなら、別の形でも配慮できるでしょうが。文科省は、教員の仕事ばかり増やしやがって、いい加減にしてほしいです。彼らも萩生田光一文科相とセットで地球の外に追い出したいくらいです。そのためにはホリエモンのロケット開発にがんばってもらわないとね。

新型コロナで脳の灰白質が減少する可能性、たとえ軽症であっても | Buzzap!

ただの風邪では、脳みそが小さくなることはないでしょうね。私もこれ以上馬鹿にはなりたくないですから、今度の日曜日、ワクチン接種のために病院に行く予定です。やっと私にも希望の光が見えてきました。