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小学生でもわかる共産主義 [資格・学び]



共産主義の社会主義的な側面を現在の資本主義国はうまく利用しているわけで、共産主義と資本主義が対立しているわけではないのです。そのへんがわかっていない人が多すぎます。

資本主義についての動画は作成していないようですが、この人の見解も伺ってみたいです。


三平方の定理 計算できるかな? [資格・学び]



今日も勉強になりました。

計算が面倒すぎるので、私だったら数学のできる人にアウトソーシングすることで解決すると思います。


日本一の超高級住宅街【芦屋 六麓荘町】散歩してきた。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



芦屋ってそういうところだったのですね。初めて見ました。うちなんか芦屋マダムには犬小屋にしか見えないかも。

「ゲームのつながりがちょうどいい」現実に疲弊する若者 コロナ禍で拍車がかかった、“リアルな対人関係”の回避 - ログミーBiz [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「ゲームのつながりがちょうどいい」現実に疲弊する若者 コロナ禍で拍車がかかった、“リアルな対人関係”の回避 - ログミーBiz

私はオジサンですが、リアルな人間関係が濃すぎてストレスになると感じています。コロナ禍であっさりした関係に変化したので、ストレスが大幅に軽減され、我が世の春を謳歌しております。

リアルな人間関係では、グループ内である一定のキャラクターを割り当てられ、それをグループが解散するまで演じ続けなければいけなくなるものです。人間というのは、本来多重人格なので、1つの役柄しか演じられないことに慣れていません。

俳優の渥美清さんが若い頃を除いて長年、車寅次郎(寅さん)しか演じさせてもらえなかったことは恐ろしく辛かったに違いありません。渥美さんはそんなことをおくびにも出しませんでしたが、渥美さんの感じていた辛さや退屈さは想像に難くありません。


4児の母がAnker Eufy RovoVac11sを一年間使った感想 [マネー・買い物]



うちにも明日同じお掃除ロボットがやってきます。だらしない妻に床に物を置く癖をやめさせるのが主目的です。

【廃墟と空き地】“夕張”中心部が悲惨すぎる… [資格・学び]



夕張市と言っても、南部と北部とでは大違いなんですね。

古代日本語会話講座-上代日本語で喋ってみた Old Japanese conversation [資格・学び]



上代の日本語が本当にこんな発音だったとしたら、日本人のルーツの1つが東南アジアにあったという説の信憑性がよりいっそう高くなりますね。

日本から方言が消える [資格・学び]



数十年後には関西弁を含め、日本から方言が消えるそうです。こういう鹿児島弁を話せる人は今はもういないんでしょうね。

minerva scientia - YouTube


日本の本当の姿 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「五輪をやっている感じない」政府の「復興五輪」掛け声倒れ、ソフトボール会場の福島<ルポ コロナ禍のオリンピック>:東京新聞 TOKYO Web

たしかに、田舎のソフトボール大会みたいですね。オリンピックはもともとそういう原始的な大会だったので、それに戻ったわけです。日曜の朝、公園でおじいさんたちが草野球を楽しんでいるのですが、あのノリでいいんじゃないですかね。海外選手も拍子抜けしているかもしれませんし、日本のイメージが悪くなるかも知れませんが、これがオリンピックのあるべき姿ですし、お化粧をしていない日本の本当の姿です。

「太陽光パネルバッシング」がネット民の間で盛り上がる「驚きの背景」(赤木 智弘) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

私も以前から気づいていましたが、メガソーラーを批判する人たちって、断言できますが、基本的に100%バカです。

彼らは日本のエネルギー政策について何も考えていません。旧民主党政権への批判をすることで、自分が現実主義者であると思いたいだけの、ケチくさい願望に駆られた病人たちです。熱海の土石流の件でも、ヤフコメにさんざん根拠のないデマを流していて、ほんとうに呆れました。土石流の直接の原因は産業廃棄物投棄に関する法律の不備にあるわけで、メガソーラーとは何の関係もありません。

環境に悪い11の日常習慣とは?

コーヒーは体には良いのかも知れませんが、環境には悪いとのこと。そもそも人間が存在している事自体地球には悪影響でしかありませんから、どうしようもありませんね。

資産2億円男の節約術。ムダづかいしがちな8項目「大画面テレビは非生産的」 | 日刊SPA!

ギャンブルや飲み会、2次会や締めのラーメン、なんとなく立ち寄るカフェは無駄という主張には大いに賛同したいと思います。そういうムダを省いても、私には資産2億円を築くことはできそうもありません。する気もありませんけど。

なくてもいける? ミニマリズムについて [雑感・日記・趣味・カルチャー]

身軽な暮らしのために「なくてもいける?」の視点を持ってみる | CHANTO WEB

大多数の人は同意してくれると思うのですが、家の中にはなくても済むものだらけです。テレビも掃除機も洗濯機も冷蔵庫も炊飯器も食洗機も浄水器もアイロンもテーブルもソファーもベッドも机もテーブルも不要と言えば不要です。一方で、なくてもいいけれども、あったほうがいいというものもたくさんあります。そういうものを受け入れる寛容さ、柔軟さが必要なんだと、去年、私自身、10数年ぶりに断捨離のまねごとをして思うようになりました。

YouTubeにはミニマリストたちの動画がたくさん上がっていますが、彼らの考えはあまりに極端すぎて、誰にでも当てはまるライフスタイルではありません。中にはボールペンやメモ帳すらいらないという人もいます。彼らはトイレットペーパーやティッシュペーパーのストックも不要だし、服もスティーヴ・ジョブスのように毎日同じ服を来ていればいいのだと主張します。ふつうの人の家には3000アイテム以上のものがあり、それを極力減らすことで余計なことを考えたり、物を探す時間を減らすことができ、結果、自分のポテンシャルを引き出せ、生産性を高めることができるんだそうです。鬱陶しい宗教です。

断捨離なんて言葉が生まれるはるか以前に、ストックをするな、なくなってから買いに行け、コンビニやスーパーを冷蔵庫やパントリーの代わりにしろという内容の本がベストセラーになりました。どうやら、ご本人は東日本大震災を経て、ストックの必要性を認識できたようです。その人は確実に平和ボケだったわけです。ミニマリストもそれに近いと思います。「拠点を会社に据えれば、家は寝に帰るだけだから、車中泊で十分じゃね? 家やアパートすらいらないんじゃね?」という人もいます。どうぞご自由に、という感じです。

ミニマリストや断捨離を唱える人たちは口を揃えて、片付けられない人は心が乱れている人だと決めつけます。その考えが当たっているのか外れているのか判然としません。そんなものは彼らの主観に過ぎないのです。余計な世話なのですよ。

そのミニマリズムを敷衍していけば、最終的には、「自分もいらないんじゃね?」となります。誰かの落語のマクラにそんなのがありました。

人生を仕事、金儲けと同義だと思っている人はミニマリストを目指せばいいですが、趣味に人生の意味を見出している人は、ミニマリズムなんかクソ食らえなんですよ。

『さんま御殿』出演の教育ママタレントが物議「これテレビで放送していいの?」教育法に疑問の声 | リアルライブ

私の考えは、この「教育ママ」の考え方と同じです。考えることが重要なんだというさんまさんの考えもある意味正しいのですが、さんまさんは学習の順番を考えていないと思います。

学習の最初期は、ものを覚えることを重視すべきです。覚えて、理解して、それを使えるようになる訓練を経て初めて自分の頭で考える素地が出来上がるのです。最初からまっさらな状態で考えろと言われも土台無理な話です。土地がないのに、家を建てろと言われているようなものです。

私も授業では、学力の低い学生を相手にする場合は、先に答えを見せてから、解答の仕方を説明したり、なぜそれが正解なのかを考えさせたりしています。こんなふうに、正解や正解の導き方を教えて、やり方を覚えさせたほうが学習効率がいいし、時間の節約にもなります。人間の学習プロセスとして合理的なものだと思います。

はっきりいって、頭の悪い人たちは、その順番を考慮に入れず、答えの丸暗記はカンニングと同じだと言いがちです。そうして、丸暗記すら避けるので、入り口にさえ入れないままで終わってしまい、成績が悪くなるのです。


[YouTube動画] 自作のピザ窯でピザを焼いて食べる週末 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝は4時台に起床し、今日の分の仕事を6時に終わらせてしまいました。あとはやることはありません。コロナ禍では自分のペースで仕事ができるのが最高です。こんな贅沢はありません。極楽、極楽。



晩ごはんの「ご」を鼻濁音で発音しているところが親近感が湧きます。この方はいつも幸せそうですね。

幸せといえば、私もコロナ禍のおかげで急に幸せを実感できるようになりました。東日本大震災の直後は日常のありがたみに気づいて、幸せを実感する人が多かったようですが、私はそういう気持ちには一切なれませんでした。絆、絆って、本当に鬱陶しかったです。「あんたたちに協力なんかしたくないし、応援もしたくないよ。そもそも他人とくっつきたくないんだよ、あっちへ行ってくれ、気持ち悪いなあ。絆の押しつけはやめてくれないかねえ」という意識が強まるだけでした。

ところが、コロナ禍では、なぜか毎日が楽しくて仕方がないのです。鬱陶しい集まりへのお誘いもないし、自分のペースで暮らせるからでしょう。他人にコントロールされていることを意識せずに済んでいるのが大きな要因だと思います。今ほど自分にマッチした時代はないかもしれません。

私は集団生活が大の苦手です。集団の意向に合わせるのが嫌いなのです。ヤフコメには「五輪は開催するのに、子供の運動会や合唱コンクールや修学旅行は中止になって子どもたちが可愛そう」という政府批判の声がよく見られます。私はその意見に1ミクロンも同意できません。もしいま私が子供だったら、ガッツポーズを出しているはずです。大嫌いなイベントが中止になって、楽しい勉強に専念できるなんて、こんなありがたいことはないと思います。

世の中の多くの人は、集団生活を苦に思わないのでしょう。だからこそ、五輪は開催するのに、子供の運動会や合唱コンクールや修学旅行は中止になって子どもたちが可愛そうだなんてことを平気で言えるわけです。そんな集団暴力的な言葉を耳にするたびに、私はいちいち傷つき、「何もわかってないなあ、あんたたちは!」と心の中で叫んでいます。

ヤフーニュースに「学校は行かなくてもいいのか」という質問がありました。それに対して、大方の意見は学校には行ったほうが良いというものでした。勉強や学歴は重要だからだ、と。勉強は学校という建物に行かなくてもできる時代なのに、何を言っているのか私にはまったくわかりません。集団生活を学ぶことが重要だと言っている人もいますが、集団生活が得意であることが重要かどうかは職種によると思います。学校へ行っても、不特定多数の嫌なやつとどう付き合うかで悩むのが人生経験なのだと思う人がいてもけっこうですが、そんなことをすると自分の人間性が歪むだけなので、できるだけ数名の仲の良い友達と基調な時間を過ごしたほうが幸せだと考えます。私は無理やり性格の悪いバカと付き合いたくありませんし、その義務はまったくないと思います。バカからは距離を置き、あんな人間にはなりたくないな、と思っていたほうが自分のためになると思います。湿度の高い人間関係の中で誰かとベタベタくっついているのが好きな人はそうすればいいのですが、そういう人間関係を築くことが幸せなんだという考え方を他人に押し付けないでほしいです。

世の中には、多様性を認めろ、差別をするなと声高に主張する人が多いくせに、一方で、学校には行け、集団生活に慣れろ、と主張する人が多いのは完全に矛盾しています。彼らは自分自身の中に潜む差別の心に無自覚なのでしょう。コロナ禍で、絆という言葉が使われなくなり、他人と距離を置く(ソーシャルディスタンスを取る)ことが必須になっているのが非常に心地よいのです。ずっとこのまま他人と距離を取っていたいです。私に不用意に近づかないでほしいです。