SSブログ

井上梅次監督『閉店時間』(1962年、大映) [映画]

井上梅次監督『閉店時間』(1962年、大映)

YouTubeの公式チャンネルに以前上がったのをDLしておいたのですが、ようやく観られました。高島屋デパートに勤める若い女性三人三様の恋愛を明るく強く描いた作品です。原作は有吉佐和子。フェミニズム台頭時代の雰囲気が如実に伝わってきます。完全に私の親の世代の価値観が反映されています。結婚する前は貞操を守るべきだとか、職場恋愛はご法度だとか、不倫は断じて許せないとか、結婚はすべきなのかどうかとか、いったん結婚したら女性は家庭に入るのが当たり前だとか、いやいや、そんな価値観は古臭い、古臭い、これからの時代は共働きでやっていくべきだ、というわかりやすいせめぎ合いがあります。(ちなみに、私の両親は恋愛結婚ですし、共稼ぎでした。)逆に、こういう単純明快なストーリーは、いまの若い世代の人たちには新鮮に映るかもしれません。

俳優陣は、大御所だらけです。若尾文子、野添ひとみ、江波杏子、川口浩、川崎敬三、潮万太郎ですからね。映画の中では、若尾文子と川口浩が結婚の約束をするところで終わるのですが(完全にネタバレ)、現実生活では川口浩は野添ひとみと結婚しています。その後、川口浩は川口浩の探検隊で大人気になりましたが、残念ながら51歳で亡くなっています。私より若い。江波杏子は2018年に亡くなられていたのですね。存命なのは、若尾文子のみです。

作品内で出てくるものも新鮮です。若尾文子は盲人のために本の朗読をするボランティア活動をライブラリーというところでしています。録音に使われている機材として横置き型のオープンリールデッキが登場しますが、いまは目にしない珍しいものです。若尾文子は、朗読の先生に対する淡い恋心を抱いている一方で、本気でどう朗読すればいいのかに悩んでいる姿も描かれています。彼女の朗読は抜群に上手で、感情的でもなく、しっとり落ち着いていて、不思議と安心感を与えます。そんなに上手なのに、贅沢な悩みだなとは思いますが、そんな悩みが存在していること自体新鮮でした。いまはYouTubeでは、AI(Voicevox)を使って代わりに原稿を読んでもらう時代ですから。

街角には街頭テレビもあります。ラブホテルもこのころから存在していたようです。落語ではおなじみですが、江戸時代には待合茶屋というものがありましたから、ことさら風紀が乱れているということはないと思いますけど、いまと同じスタイルで、いつの時代も人間は同じことを考えているんだと思いました。

おにぎり屋でプロポーズをする場面にはぶっ飛びました。当時、おにぎり屋という居酒屋にスタイルの店はどこにでもあったのでしょうか。パン屋があるくらいですから、おにぎり屋があってもおかしくないだろうということで、私も昔々おにぎり屋を始めようかと思ったことがあったのですが、考え方が古かったですね。

舞台は高島屋なのですが、たぶんここは実話を下にしているのでしょうが、仕入れ業者とデパートの従業員の上下関係はちょっと目に余るところがあります。さらに、夏に、社員たち全員に海水浴に行くというのもあったようです。社員旅行の日帰り版ですね。不思議な習慣です。

主要な女性のうちの一人がエレベーターガールをしているのですが、そういう仕事も近頃はとんと聞かなくなりましたね。

「お客様は神様だ」という意識が反映された場面もありました。私はてっきり1970年の大阪万博のときに歌手の三波春夫が歌った歌に起因していると思っていたのですが、それより遥か前にそんな世界的には異常な考え方があったのですね。つまらないことで店員を咎めて、威張り散らし、上司を巻き込んで謝罪を求め、上層部に告げ口をするというお客(おはち)が出てきます。その描写は非常に不快でした。

閉店時間になると従業員が一斉に出口から出ていくのも違和感がありました。いまは勤務時間がバラバラで、三々五々出ていくようになっていると思います。出口で、警備員が待ち構えていて、女性店員が店の商品を盗んでいないかチェックするというもやりすぎですね。女性は単なる腰掛けだから、店に対する忠誠心が低く、盗むこともあるという考えらしいのです。また、「女のくせに」というような、今では誰も使わなくなった差別的表現がたくさん出てきます。「めくら」もね。その差別用語が当たり前のように使われているということ自体が、時代の雰囲気をよく表していて、非常に勉強になりました。








共通テーマ:映画

Tsuchi (AKA Earth AKA 土) (1939) (English Subtitles, German Subtitles Hardcoded) (Incomplete) - YouTube [映画]




昨日訪れた豊田城に展示されていた長塚節(ながつかたかし)のライブラリーで知った内田吐夢監督が映画化した『土』がYouTubeにあったので、観てみました。

ドイツ語の字幕がついているのですが、そのうえに英語の字幕を重ねて表示させれば、茨城南部の農民の方言は私でもある程度は解読できます。しかし、数か所、字幕が欠如しているところがあり、日本人なのに、ぜんぜん聞き取れないのが残念です。内容理解には重要ではないので、かまいませんが。

残念といえば、この映画には最初と最後がありません。フィルムが残っていないそうです。最後は、シナリオが表示されるのですが、そこはドイツ語字幕にも、英語字幕も付せられていないので、これを観た外国人は、最後はどうなってしまうのかまったく理解できないでしょう。日本語が理解できれば別ですが。

火事で何もかも失ってしまっても、農民には畑がある。家族が協力すれば、なんとかなるんだ、という力強いメッセージが、最後に土が盛り上がるシーンに表現されていたようです。


長塚節の『土』は文学史の教科書に載っている程度で、いまは誰も読まなくなった小説ですが、宮本武蔵や大菩薩峠で有名な内田吐夢監督が映画化していたなんて、豊田城を訪れなければ、知ることもなかったでしょう。







共通テーマ:映画

寺山修司 [映画]



寺山修司は時間を壊す。

https://www.youtube.com/watch?v=AzuTY0Fl728

共通テーマ:映画

ありがとう 松本零士先生『劇場版 銀河鉄道999』期間限定公開 [映画]



この映画が公開されたのは1979年ですから、私が9歳の頃です。この映画には悲しい思い出があります。

小学4年生の頃ですが、地元の市営体育館でこども映画上映会があり、1年遅れで田舎の子供達に格安で見せてくれるという機会がありました。

私も喜び勇んで当時の親友と一緒に観に行く約束をしました。体育館までは子供の足では歩いて30分ほどかかるところにあり、私と親友はバスに乗っていくことにしました。バス停で待っていると、私たちの前にぎゅうぎゅうづめのバスがやってきました。当然止まってくれると思ったら、なんと乗車拒否に遭ったのです。唖然としながら、去って行くバスのお尻を見守りました。バスに乗車拒否をされたのは、あのときが最初で最後です。あれ以来私はバスが大嫌いになりました。いまもバス嫌いは治っていません。

無人のバス停で、同じ悲劇を味わう友達とこの悲劇を嘆いても埒(らち)が明かないし、バス会社に苦情を入れるわけにもいかないので、映画の鑑賞券を握りしめ、ふたりでトボトボと歩き出しました。私は私の親に車で連れていってもらおうという提案をしたのですが、友人は歩いていこうというので、彼の意見に従ったことを40数年ぶりに思い出しました。

歩いている間、どんな会話をしたのかまったく思い出せません。さすがに無言だったと思います。情けない気持ちでいっぱいだったはずだからです。

体育館に到着するとすでに、上映は始まっており、真っ暗な会場にはたくさんの子供達が床の上に体育座りをして食い入るように見ていました。そのときすでに上映開始から20分以上過ぎた頃でした。近くに知り合いもいないので、どういう話なの?とも聞くことができません。結局、何が何だかわかりませんでした。

その映画に40数年ぶりに再会できました。やはり最初から最後までまったく見た記憶がありませんでした。(だからといって私が見た映画は1981年公開の『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』だったなんてオチはありません。その頃はあの親友とは別のクラスになり、疎遠になっていました。)ただ、主人公の星野鉄郎の顔がテレビアニメ版よりも格好良く、強烈な違和感を覚えたことだけは覚えていました。(同じ時期に親と一緒に映画館に見に行った黒澤明の『乱』はけっこう覚えていたのに、なぜでしょうね。)

率直に言って、この映画版はアクション映画みたいで、人間ドラマが希薄です。しかしながら、テレビアニメ版を見ていて謎だったのが、これを見たら、「そうなんだ」とすんなり理解できてしまいました。見なかった方が良かったのでしょうか。

終盤に人間は死ぬからこそ、一生懸命生きようとするんだ、というセリフがあります。人間ドラマの積み上げがあまりないので唐突な感じがしますし、当然でしょうが、その言葉の意味を子供の私には理解できなかったはずです。

最初は機械の体を手に入れようという鉄郎の旅の目的が、旅の中で、生身の体を捨て、機械の体をただで与えてくれるような星なんか破壊してやると言って考えが変わって行くところは今の私には面白いと思いますが、これもまた私と同世代の子供たちにも理解できなかったでしょうね。しかし、この映画は、AIに仕事が奪われるぞと言って不安を煽っているアホな現代人の頭を冷やす効果が期待できると思います。やはり機械と人間とでは決定的に何かが違うのですよ。その違いがわからないというのであれば、あなたはすでに人間ではないのでしょう。

弁護士、会計士、教師、医師…「第4の波」でAIに取って代わられる仕事とは | マネーポストWEB

大前研一氏によると、士業は全てAIに取って代わられるとのこと。始業ではないですが、教師なんか1人で十分だそうです。大前氏は民主主義がわかっていないのでしょうね。彼の予想は当たった試しがないので、まったく信用できません。私は20年以上前に、この人の本を読んだこともありますし、彼が出演するテレビ番組を見ていたこともあるのですが、振り返ってみると彼の予想はことごとく外れです。こういう老人は相手にしない方がいいです。不安を煽って商売するタイプの典型です。おそらく教師や弁護士よりも先に、彼みたいなインチキ評論家のほうが消えてしまうと思います。危機感を覚えるべきなのは、知ったかぶりで、そこの浅い大前氏の方です。




共通テーマ:映画

「下町」1963年7月6日 [映画]



半分見ました。もう夜が遅いので、続きはまた明日。

数週間前、ある古い映画を途中まで見たのですが、人間の心の闇を見せられて、嫌な気分になってしまいました。でも、この作品はどうやら三角関係がテーマになっているようですが、それでもほのぼのさせてもらっています。私は小津安二郎的なものが好きなので、この映画とは相性が良さそうです。



共通テーマ:映画

燈火管制《後編》昭和15年 内務省製作映画 [映画]



これは昔、母親から聞いた話と同じです。ただ、光を完全に遮蔽するカーテンなんか田舎では入手できなかったと思います。黒い紙で覆うにしても、けっこうお金がかかったんじゃないでしょうか。

3分30秒あたりで紹介される、換気ができる隠蔽は、過激派のアジト作りに使えそうです。

クルマのヘッドライトにカバーをかけて、暗くするとか、上空に光が漏れないようにするとか、タバコの火も外に漏れないようにするだなんて、本当に大変だったのですねえ。

灯火管制は国民の義務という言葉で、コロナ禍におけるマスクの強要を思い出しました。

共通テーマ:映画

成瀬巳喜男監督『あにいもうと』 (1953年、大映) [映画]



室生犀星の小説を水木洋子の脚本で映画化したものです。

舞台は多摩川のほとり(神奈川県側)。主役は森雅之と京マチ子です。妹思いの兄(森雅之)が、身を崩した妹(京マチ子)を大事に思うあまり、殴り合いの喧嘩にまで発展するというアンビバレントな兄妹関係が物語に中心に据えられています。

当時としては、特に田舎の価値観では許されないような、性のタブーが扱われていますが、70年後の我々から見たら、わざわざ目くじらを立てるほどのものではありません。しかし、未婚の妊娠がこれほど大きな問題として扱われていたのかと思ってしまうような私は、性の観念が乱れているのかもしれません。

配役に関してですが、小柄で清楚な久我美子(妹)の存在があるからこそ、大柄でセクシー系の京マチ子(姉)との対比で物語が引き立っているように思えます。同じく、引き立て役として、浦辺粂子がいい味を出しています。口をあまり開けずにボソボソと話すおばあちゃんが可愛いらしいです。当時はまだ若かったと思うのですが、すでにおばあちゃんです。(そういえば、菅井きんも若い頃からおばあちゃんでしたね。)大きなおっぱいも垂れちゃっています。浦辺粂子と聞くと、私の世代としては、脊髄反射的に、片岡鶴太郎のモノマネが頭に浮かんでしまい、笑みがこぼれます。

京マチ子を孕ませた24歳の学生を演じているのが、船越英二です。1980年代のTBSドラマ『熱中時代』の校長先生役が私の脳裏に焼き付いています。船越英二は風貌からして、生真面目そうだし、学生役としては老け顔なので、なんだか憎めない感じです。兄姉妹の父を山本礼三郎が演じていますが、結婚前の娘を妊娠させた船越英二に対して、怒りを抑えて「小畑さん」とさん付けして冷静に対応する姿には、怒りとか悔しさとかいろんな感情がごた混ぜになっているところを伝わってきます。このような鬼気迫る演技は見たことがありません。

この作品は、AIでカラー化された版がYouTubeに上がっていますが、気持ちが悪いので、白黒で見たほうが良いと思います。英語字幕なしのものもどこかで見つけたのですが、見失ってしまったので、字幕付きのものを貼り付けておきます。





共通テーマ:映画

成瀬巳喜男監督『旅役者』(1940年、東宝) [映画]



旅役者 (1940年の映画)

『旅役者』というタイトルからもわかりますが、主役は旅芸人。彼の名前は俵六(藤原鶏太)です。しかし、俵六が演じるのは人間ではなく、馬の前足。つまり、馬の偽物です。しかも、彼が所属しているのは、中村「菊五郎」という偽者が座長のインチキな一座です。菊五郎といえば、尾上が本物であることは歌舞伎を少しでも知っている人には誰でもわかること。「音羽屋」の屋号のほうが馴染みがあるかもしれません。

そんな俵六ではありますが、馬の足の演技にはこだわりが強い男です。プライドを持って馬の前足を演じているのです。ところが、初回の公演の前に、彼が大事にしている被り物の馬の頭を壊されてしまいます。拗ねた俵六は舞台に上がることを断固として拒否し、結果、悲しいかな、本物の馬に仕事を奪われてしまうのです。

いずれ近い将来、人間はAIに仕事を奪われることになると近頃は盛んに脅かされます。この作品は、そんな我々の悲劇的な未来を先取りしているように思えます。悲しさと面白さと恐ろしさが器用に混じり合った作品として仕上がっています。ラストシーンは滑稽ですが、切なすぎて、素直に笑えるものではありません。

成瀬巳喜男の作品としては、私が観たことがあるのは、高峰秀子主演の『秀子の車掌さん』(1941年)、『おかあさん』(1952年)、『あにいもうと』(1953年)、『浮雲』(1955年)など。他にも観たことがあるかもしれません。けっこう忘れています。





共通テーマ:映画

渋谷実監督『本日休診』 (1952年、松竹) [映画]



原作は井伏鱒二。

この作品を見るのは2度目です。NHKのBSで放送されたものを10年ほど前に見ました。本来は白黒映画ですが、これはAIでカラー化されています。割と自然です。

古い日本映画が好きな人なら誰でも、錚々たる俳優陣に目の玉が飛び出ます。柳永二郎、淡島千景、中村伸郎、岸惠子、三國連太郎、佐田啓二、鶴田浩二、長岡輝子、十朱久雄、多々良純、望月優子。よだれが出ます。作品に出てくる登場人物たちの多くは貧しいのですが、映像的には非常に贅沢です。

舞台は三雲病院。出産から刺青を抜く手術までなんでも診る個人病院です。三雲先生(柳永二郎)が病院を再建してから1周年。それを記念して1日だけ職員たちに休みを与えます。玄関に「本日休診」の看板を掲げ、先生とばあや(長岡輝子)は居残りを決め込むのですが、それにもかかわらず、病院にはひっきりなしに人が訪れます。その大多数は治療費を払うこともままならない貧乏人です。そんな人々のドラマがたくさん嵌め込まれています。

三雲先生は「医は仁術なり」という言葉を地で生きています。貧しい患者からは治療費の支払いを待ってやったり、いついかなる場合でも笑顔を絶やさず、貧しい人々に希望を与え続けるその表情に、私は自分の人生を反省させられました。

「生まれたからには、親も子も、男も女も幸せになることだよ。」

いい言葉ですね。

負傷したガンが仲間に合流し、日本を旅立つところを見送るラストは映画史に残る名シーンだと思います。戦争で精神を病んでしまった勇作(三國連太郎)の満足そうな表情が作品の意味を決定づける鍵となっています。


共通テーマ:映画

茅ヶ崎物語 小津安二郎とおゆうさん [映画]



「小津さんが愛した宿、小津さんを愛した人がいた宿」かあ。

共通テーマ:映画