'Out of nowhere I felt really sad': readers on how they felt at 47 | Life and style | The Guardian

どこからともなく悲しさというのはやってくるものです。30年近く前、私が大学院生だった頃に、帰りのバスの中で大学院の教授と一緒になり、なぜかシェイクスピアの『リア王』についての話に及びました。そのときに、私は教授に「若い頃の悲しみより、年をとってからの悲しみのほうが深いものだと思います」などと宣ったことがあります。それを思い出すと、いまでも恥ずかしくなります。教授は当時60歳代でしたから、20代の若造のくせに偉そうなことを言うもんだと思われたかもしれません。先生は明らかに苦笑していましたから。

そんな私も今では50代になり、死が近づいてくるのに比例して悲しみが深くなってきています。しかし、同時に、悲しみに対処する方法も身につけてきている気がします。その根本的な対処法というのは、他人とつるむことでもなく、他人のために自分の命を捧げるということでもなく、若い頃から自分のやりたかったことを自己中心的に、利己的にひたすら追求するということです。そして、いままでやったことがなかったことに挑戦するということです。

長男は20歳になり、次男は数ヶ月で15歳になります。子どもたちは二人とももうすぐ独立します。次男も3年後に一人暮らしを始めるのであれば、再び夫婦のみの生活に戻ります。それは悲しいことかもしれませんが、角度を変えてみれば喜びでもあります。

The rise of Japan's 'super solo' culture - BBC Worklife

昔から日本には集団志向ではない人が一定数いて、その人たちが本性を出すことをためらわなくなってきただけなのではないかと思います。私は昔から集団生活が嫌いです。欧米人の目からには、日本人は集団主義的に映るようでしたが、その見方は、日本人は「単一民族」だという見方と同様に、西洋人の誤解なのではないかと私は昔から思っていました。名著『オリエンタリズム』の著者であるエドワード・サイードが述べていることですが、西洋人は、東洋の人間を、自分たちとは違うはずだから、自分たちとは対極であるはずだという先入観を持って、二項対立的に見る傾向があります。西洋が個人主義なら、東洋は集団主義だと一方的に決めつけるのです。その西洋人の勝手なものの見方を、日本人が素直に受け入れてしまったのではないでしょうか。素直というか、単なる思考停止です。

本来、個人主義的な傾向が強かったはずの日本人ですが、西洋人によって作られた鋳型に従うことに疲れ果てた日本の人々は、我々はもともと個人主義的傾向が強いという価値観を否定せず、積極的に受け入れて、ビジネスに繋げるようになってきたのでしょう。その変化を歓迎すべきだと思います。

私の知人には離婚経験者が多く(友達は両手で数えられる程度ですが、5人もいます)、彼らの多くは再婚しましたが、そうではない人もいます。そんな独り者は、旅行に行く際に、宿泊先を見つけるのに苦労するそうです。以前は一人で旅行をする人というのは、死に場所を探してさまよっているのではないかという偏見を持たれることもありました。クレージーな社会だったわけです。社内旅行とか家族旅行で訪れるのが普通の人で、一人で旅をする人は変人だという社会的な意識が崩れてきたことは良いことだと思います。