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消費か投資か [雑感・日記・趣味・カルチャー]

我々一般大衆はみな社会から消費者と扱われることが多いものです。「消費者目線で云々」という表現に違和感を覚えることがない人は無意識に「自分=消費者」と自己同定しています。消費者というは、企業側から見れば、単純にものを買ってくれる人、サービスを利用してくれる人ということです。「我々使用者は」と表現したら、一般的な感じではないなと思うはずですが、「我々消費者は」には何も感じないでしょう。それは問題だと思います。

ものを買うこと、サービスを利用する行為は必ずしも消費のカテゴリーの中にあるわけではありません。ものを買うこと、サービスを利用する行為の中に消費が含まれているのです。同時に、そのカテゴリーの中には、投資も含まれています。そう考えるのが正解だと思います。

お金を使う行為は、必ずしも消費ではありません。そのお金を使うことによって、自分や家族の生活を豊かにしたり、社会の進歩に貢献したりすることもあります。自分自身の能力を高めることにお繋がるかもしれません。たとえばインターネットやAIを利用することで、私たちの生活は激変しました。それを利用することは消費であるだけではなく、投資なのです。自分の価値を高める行為でもあるのです。消費は、その商品やサービスを提供してくれる側の価値を高めることですが、投資は、それに加えて、自分自身の価値も高める行為です。

その視点に立てない人の割合は、私の印象ですが、99%だと思います。そういう人とは話が合わないので、私は周囲の人たちと噛み合わないのです。教室の中では、学生相手に独り言を呟けるので、そういうことを気にしなくてもいいのですが、おそらく彼らも教育を提供してもらう側という消費者目線で教員を見ているだけでしょうから、私が「君たちが立つのはそっち側ではなく、こっち側だ」と言っても、理解できない人の方が圧倒的に多いはずです。つまり、一般大衆は子供の頃から消費者として洗脳され続けてきているので、その外に出ることができなくなってしまっているのです。籠の鳥ですね。その外に、彼らを解き放つ仕事が私が理想とする教育です。英語のeducationの語源は、eが外へ、でduceが導くですから、グローバルスタンダードの教育というのは、知識を注入してやることではなく、外に導き出してやる行為です。我々を縛り付ける目に見えないシステムの外に追い出すのです。追い出せないにしても、出口を見つけるきっかけを与えてやるのが教員の役目です。少なくとも大学教員の役目はそれだと思っています。

自分を消費者ではなく、投資家と思え、というのはそういう意味です。














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