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「教育困難大学」の教員が悩む単位認定の現実 [資格・学び]

「教育困難大学」の教員が悩む単位認定の現実 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

教育困難校と呼ばれる出身らしき女子学生が、出席率が高いのにテストで12点しか取れず、単位を認定できなかったという教員のボヤキ。論者は、高校までの成績の付け方と、大学のそれとは違うことを認識していなかった女子学生が悪いという考えらしい。私はその考えに賛成できない。その理由は主に2つある。

一つは、従来の教育困難校の教育の質を改善すれば、大学で高等教育を受けられる可能性が出てくるはずだからだ。小学校から高校までは、基本的に、教員が教えた内容をできるだけ多くしかも正確に覚えたかどうかを確かめるテストが行われる。それはそれで大切なことである。だが、教育困難校では、それができない生徒しかいないことになっているので、その方法では全員不合格になる。したがって、毎回教室の椅子に眠らずに座っていること、さらに課題を忘れずに提出すること(出来は問わない)などで成績をつけざるを得ない。まるで子供の預かり保育施設のようなものになっている。しかし、それは彼らの教育を放棄していると言わざるをえない。彼らの暗記能力は低いけれども、それ以外の能力が眠っているかもしれない。それを見つけて、引き出すことも重要だ。

第二の理由としては、大学の教育の方を改善すれば、教育困難校出身者でも、十分授業を受けることができるはずだからだ。大学の成績評価方法は、エッセイ(レポート)によってつけられるべきだと思う。教員に教わったとおりのことを教わったとおりに機械的に覚えるというのではなく、その知識を活用して、自分で調べ物をし、明確な論旨を持つ文章にまとめる能力を評価すべきだと思う。それを使ってプレゼンするのもいいだろう。そういう知性やコミュニケーション能力を鍛える場が大学という知的空間だと私は考えている。

したがって、上記サイトに書かれているような、教育困難校出身の学生を切り捨てるのではなく、大学では知識の運用能力を問うような訓練をして、それが達成されたかどうかを見る課題を提出させるべきであろう。それができなければ、落とすのもやむを得ない。だが、従来のように、単純に暗記能力ばかり重視する教員のほうこそ問題である。これからは、暗記能力ばかり重視する大学教員のほうが、むしろ困った存在になっていくような気がする。



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