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馬鹿は相手にしないに限ります。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「ホームバイアス」に大きなリスク。“グローバル”に分散投資すべき理由と実績 (ダイヤモンド・オンライン)

グローバリズムを国際化と訳す人がいます。世間一般の人、特に政治家や官僚や起業家は、グローバル化を、アメリカ化だと勘違いしてます。彼らはアメリカンスタンダードである「選択と集中」を金科玉条にして、持てるリソースを特定の物(たとえば、語学教育なら英語)に一極集中しようとします。私から言わせれば、それこそローカリズムの極地で、グローバル化に逆行するものです。

グローバルな考えとは、持てるリソースをさまざまなものに分散して、リスクを最小限にすること。語学の観点では、国民に英語のみではなく、他のさまざまな外国語を学ぶ機会を与えることです。英語だけできていれば、グローバル人材というのは、150年前の福沢諭吉的な発想です。時代遅れも甚だしいです。

人間的な側面で言えば、できるだけ多くの人たちと仲良くすることだと思います。それは多文化社会を受け入れることであって、自分と違う考え方を持つ人をリスペクトすること。アメリカンスタンダードや英語のみを受け入れて、自己否定するものではありません。自民党のような「自虐史観」に堕すのはもってのほかです。

LGBTの人や障害者や生活保護受給者、高齢者などを排除して、弱肉強食の世界で生き残れるものだけを優遇するという新自由主義思想(いまの自民党はアメリカの「猿真似」で新自由主義者ばかりになりました!)は、社会を崩壊させるものです。自分たちや自分たちの仲間を虐待するような人たちは、ローカリスト、つまりは差別主義者でしかありません。

愚かな役人や経営者が使う「国際的に活躍できるグローバル人材」という言葉も、グローバリズムとインターナショナリズムを区別できていないローカリストによるものです。グローバリズムは既存の境界線を消去すること、または、それをファンタジーと捉え、新たに引き直すことであり、インターナショナリズム(国際化)は、既存の境界線を保持するものです。よって、両者はまったく相容れないものです。そんな古風な言葉遣いをしていること自体、グローバル化を否定しているようなものです。まったく愚かな人たちです。

賢い人が使っている、人に話を理解してもらう3つの極意 (ダイヤモンド・オンライン)

私が授業中に言っていることと全く同じで驚きました。というか、こんなことはアタリマエなんですけどね。日本人の多くは、まともな国語教育を受けていないのかもしれません。

「平成最後の夏」という言葉にモヤモヤしませんか? (ダイヤモンド・オンライン)

私もある学生の口から、確かに、これと同じ表現を聞いて、ぼんやりとした違和感を覚えました。ワタシの学生時代には、昭和が天皇崩御の知らせとともに突然終わったので、昭和が終わったことには何の感慨もありませんでした。だいたい西暦で時代をつかむ教育を受けてきましたので、いまだに昭和何年とか言われてもピンと来ません。

そんな私らとは違って、平成生まれの若者たちは、平成という元号に対して何か特別な意識があるのかもしれません。ワタシ的には、今上天皇は、平成を自ら終わらせることで、「失われた30年」という狂った時代に終止符を打ち、国民一丸となって、サディストのアメリカとマゾヒストの自民党によって破壊された日本のシステムを正常化しようというメッセージだと受け取っているので、センチメンタルな思い出づくりに興じている暇はないと思います。

他人を信用できない「ROM専」日本人のせいで経済が伸びない? | 加谷珪一 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

経済的な観点はわかりませんが、ほとんどの人はインターネットを使って情報発信するという意識はないと思います。ネットを使っていても、せいぜいLINEやTwitterで友人とやりとりするだけで、閉じられた空間の中で満足しているように見えます。

ちなみに、私は自ら閉じています。リアルな世界での付き合いにほとほと疲れきっているのに、わざわざネットで友達探しをしたり、敵を作って討論するなんて、ほんとうに鬱陶しいと思います。馬鹿は相手にしないに限ります。