SSブログ

三島由紀夫 - 檄 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



三島由紀夫は、昭和45年11月25日、市ヶ谷駐屯地にて、バルコニーより、自衛隊への檄を飛ばす。自衛隊を違憲とする新憲法を自衛隊自身が護りつづけ、「シビリアンコントロール」の名のもとにアメリカの軍隊と化した自衛隊に、クーデタを起こすことを求める。しかし、誰一人、三島の求めに従う自衛隊員はおらず、三島は、民兵組織「楯の会」のメンバー森田必勝とともに失望のうちに、総監室にて自決。

三島の主張は半分は共感できる。自分でも不思議なくらいである。三島は天皇を中心とした伝統を守れと言っているが、そのあたりは、まったく共感できない。昭和天皇というのは、かつて無責任社会の元凶、「偉大なる空虚」として揶揄された。もし天皇を中心とした社会、いや天皇を政治利用した(明治政府以来の)国家を再建するならば、現在よりもよりいっそうの無責任社会を強化することになるからだ。それは我々庶民を不幸にするだけである。

安倍政権下の自民党憲法草案は、まさに三島が訴えた天皇を国家元首にするというものだが、しかしながら、いくら憲法の文言をいじって遊んでみても、日本国憲法の頭上に置かれた「日米地位協定」という透明な漬物石よって、憲法の解釈はいくらでも変えられてしまう。自衛隊が、アメリカ帝国主義(アジア太平洋の支配!)に奉仕する軍隊であり続けることには何ら変更はないからだ。

問題は憲法改正ではない。自衛隊を日本軍にすることでもない。日米地位協定を撤廃し、米軍基地を日本列島から追い出し、日本人が日本列島を守ること、つまり、アメリカから独立することだ。ただし、それには途方もないお金が必要だし、アメリカは日本がアメリカの属国であることをやめるのを確実に拒否する。だからこそアメリカと戦わなければいけない。いまの日本にはそんな力はまったくない。まさに手も足も出ない、ポストコロニアルな状況なのだ。三島は、それがまったくわかっていない。

三島もまた、いまの自民党の極右の国会議員と同じように、日本はアメリカに負けた国であることを認めたがらず、そこをスタート地点にしていないからこそ、威勢のいいことばかり言って、空回りしていたのだろう。

th_1.jpg

th_2.jpg