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日本人は勤勉だという嘘と「バランスの取れた食事」というまやかし [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「日本人は勤勉」というウソは残業肯定社会で広められた (ダイヤモンド・オンライン)

日本人が自らを勤勉だとみなすようになったのは明治維新以降で、せいぜい100年前という説が示されている。当時、日本を訪れた西洋人の目には、日本の人々は怠惰で時間にルーズだと映っていた。そういう日本のネガティヴなイメージを払拭し、西洋列強に対抗するために、薪を背負いながら本を読んで学問を身につけたという二宮金次郎という人物を歴史から掘り起こし、全国の小学校に銅像を建て、日本人は勤勉なのだというイメージ作りをしていったという。もともと日本人は怠惰だからこそ、そのような企みが実行されたのである。

私の想像だが、日本人が勤勉であるという印象を自らに刻み込んだのは、100年前ではなく、もっとずっと後だったのではないかと思う。少なくとも、1960年代の植木等主演の映画『無責任シリーズ』や森繁久彌主演の『社長シリーズ』などを見ても、日本のサラリーマンは勤勉であるという印象は全くない。つねに仕事をサボって、喫茶店やバーに行ったり、女性と遊んでばかりいる人たちである。もちろん、当時の勤め人は実直で生真面目で勤勉であったからこそ、映画ではそういう働き方のアンチテーゼが示されたのかもしれない。しかし、私の両親や親戚たちを見ても、現代の都会のサラリーマンよりも、実質的な労働時間は短かっただろうし、生産性も低かったはずだ。

とはいうものの、現在の日本人もさほど勤勉ではないし、真面目であるとは思えない。大学生を見ても、偏差値の低い大学の学生は、欠席や遅刻が多いし、授業中に昼寝をしていることも多い。だいたい人の話を聞かずに、スマホをいじっている。たった今説明したばかりの内容を聞いておらず、数秒後に同じ内容の質問をする学生がいると、教える気力が完全に削がれてしまう。彼らに教えることは時間とエネルギーの無駄でしかない。私の生産性はゼロに近い。

幹線道路脇の木陰の道などに、エンジンのかかったクルマが多数停まっているのだけれど、エアコンの効いた車内で、オジサンがスマホをいじっていたり、昼寝をしている姿をよく見かける。一度だけだったが、中年男性が若い女性と後部座席でくんずほぐれつ何か楽しそうなことをしているところを見かけたことがある。午後3時過ぎだったが、仕事中だと思しき時間帯に彼らはいったい何をしているのだろうか。その近隣にはラブホテルもあるのだが、その駐車場は昼間からけっこう車が停まっている。そういう時間を作れる彼らの生産性(productivity)が高いのか低いのか私には判断がつかない。

いずれにせよ、日本人は勤勉だというのは、経営者側や為政者側の陰謀である。労働者に自らが勤勉であるというイメージを刷り込ませて、無賃労働を促し、生産性を高めるものだと思う。一般の労働者は自分たちの身を守るために、勤勉に書物を読んで学問を身につけ、そういう嘘を簡単に信じずに、日本人は不真面目な人たちだという事実を目をしっかり開けて受け入れなければならない。

"奨学金破産"は甘えた人の自己責任なのか | プレジデントオンライン

奨学金や生活保護という制度は、社会主義の理念に由来するものである。それは、困っている人達がいれば、みんなで助け合おうという精神だ。社会主義に偏見や先入観を持つ人たちは、無責任な自己責任論を振りかざすが、回り回って、その牙が自分に突き刺さることを考えもしない。ほとんどの人間は、消費者かつ生産者(労働者)であるのだから、生活に困窮している人を大量に放置すれば、社会が崩壊し、知性のレベルも下がり、他国との競争力も落ちる。ヨーロッパの先進国では、奨学金や生活保護や失業給付制度が充実しているが、日本は後進国なので、そんな野蛮な考えを持つ人が多いのだろう。奈良時代には、京都や奈良の町中には、餓死した人たちの死骸がそこかしこに転がっており、野犬がその肉を食い散らかし、腐臭が漂っていたと歴史書を紐解けばわかる。それを考慮に入れると、他人が困っていてもまったく気にしないというのが、みっともない日本の伝統なのかもしれない。

「数学ができなくなる」ことは何が問題なのか? - GIGAZINE

数学的思考や科学的思考ができなくなると、データはデータだからといって盲目的に信じてしまうバカが増える。そのデータのとり方は正しいものなのか、実験方法は、正当な手続きに基づいて行われたのかまでを考える癖が身につけさせるのが高等教育における本来の役目だが、今の日本の小学校から大学までの教育は、権力者の命令に盲従することが正義だという考えを植え付ける場になっている。

Men’s Beauty メンズビューティー|(ボディー・ダイエット)「糖質制限ダイエット」の仕組みを知ろう

私も10年以上前から、糖質制限ダイエット(ロー・カーボハイドレイト)を行っている。当時は、批判的な人が多かったが、最近はビジネスチャンスだとして、関連商品が多数出てきているのはありがたいことだ。世間では「バランスの取れた食事」なるものが、まことしやかに喧伝されているが、炭水化物が6割を占めているのを見ると、バランスが本当に取れているのか疑わざるを得ない。

現在でも、糖尿病患者の食事は、その割合は維持しながら、カロリーを制限するというものだ。いまだに古い考えから脱却できない栄養士や医者たちは「糖尿病食」が健康に良いと思っていらしい。炭水化物を中心に摂取している限り、糖尿病患者の血糖値は下がらず、ひたすら空腹感にさいなまれるのだが、医者や栄養士は、そんなことすらわからないのだ。彼らは糖尿病患者を治療するどころか、糖尿病を悪化させることで金儲けをしているようなものである。完全にマッチポンプである。

12年以上前に糖尿病であることが発覚した私は、食事や栄養の勉強をしているうちに、その考えに深い不信感を懐くようになり、糖質制限を始めた。そのおかげで、血糖値も改善され、もう病院に来なくてもいいと言われるほどにまでなった。しかし、数年前から老化とともに運動もできなくなり、仕事の忙しさにかまけて食事も乱暴になって、また体調を崩してしまった。最近は、心を入れ直し、外食は控えるようにして、教職員食堂にもコンビニにも行かず、弁当を持参し、野菜とタンパク質を中心に摂取して、なるべくご飯(白米)を食べないようにしている。おかげで、体調が回復し、精神的にも安定してきた。

「バランスの取れた食事」というものは、実際のところ科学的にも証明されているものではないだろう。事実、ウルトラマラソンの上位入賞者のほとんどがベジタリアンだし、サッカーの長友選手は「ケトン食」を行うことで、長距離が走れるようになったとの話もある。というわけなので、私は「バランスの取れた食事」というアイデアを否定し、リスクを分散するために、いつもいろんな種類のものを食べるようにしている。料理研究家の土井さんは一汁一菜で十分だと主張している。家事は楽になるかもしれないが、基本的に栄養失調になって体調は悪くなるような気がする。誰かがビジネスのために言っていることなどは、盲目的に信用せず、いろんなものを少量ずつ食べるほうがリスクを分散することにもなり、体にもいいような気がする。株式のことわざで、「すべての卵を一つのカゴに盛るな」(Don't put all your eggs in one basket)なというものがあるが、食事にもそれが言えると思う。

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弁当にツナ缶を活かそう。

【これならパクパクいける!】「ゴーヤ×チーズ」の夏副菜 (クックパッド)

ゴーヤとチーズとコンビーフ。まずいわけがない。しかも、糖質制限食になる。