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「想定外」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

エネルギー政策について - 内田樹の研究室

北海道地震の大停電にかこつけホリエモンらが「泊原発を再稼働させろ」の大合唱! でも泊原発下には活断層の指摘も|LITERA/リテラ

実は、上の2つの文章をまだほとんど読んでいない。他者の意見に直接的な影響を受ける前に、自分の考えを述べておきたい。

大災害があると、すぐに「想定外」だったと言い訳をする人たちがいる。被害は自分のせいではないと言いたいのだろう。「想定外」という言葉は便利な言葉で、専門知識のない我々一般庶民をピタリと黙らせるのに有効な「下痢止め」のような言葉だ。

災害が発生すると、偉そうに状況を解説する「専門家」なる人々がテレビに登場する。彼らの多くは、科学者だったり、在野の研究者だったりする。彼らはなぜか「想定外」という言葉を使うのを好む。その言葉を聞くと、庶民はあきらめが付くのか、怒りの矛先を国家や企業に向けることを忘れてしまうのだ。

本当は、国家や企業を含め、彼らのような専門家は被害を想定できなければいけないのだが、それができないのだから、無能で役立たずで無責任なのである。無知だと思われている我々庶民は、振り上げた拳を下ろすことを留まって、そのまま国家や企業にその拳で一発殴ってやる必要があるはずだ。

火力発電所が止まったことで、原発を再稼働すべきだとか、原発を再稼働しておくべきだったという人がいるらしい。まあ、ハエのように揉み手をしながら政権にすり寄るおべっか使いだ。彼らは直近の大災害からなんの教訓も得ていない。自分の利益しか考えていないのだ。また、そんな稚拙な考えを現政権は大いに利用したがることは目に見えている。

権力者側の考えに影響を受け、まさにインテリ気取りでいる原発推進論者は、実のところ、無知で無能で無責任な人々に過ぎない。また、国家や企業を信頼しすぎているし、つねに現代文明を享受できるはずという思い込みに囚われた「お花畑の住人」なのである。想像力が決定的に欠如している似非インテリに過ぎない。

震度7の地震に襲われ、停電などの被害にあっている北海道の人々は、ますます国家や大企業を信頼できなくなり、「オフ・グリッド」(公共のエネルギーを利用しないこと)のライフスタイルを求めるようになるかもしれない。似非インテリたちにとっては、そういうことすら「想定外」なのだろう。

武田邦彦というインチキ科学者は、太陽光発電は非効率で、馬鹿げていて、共産主義の陰謀だと、わけのわからないことをYouTubeの動画で述べている。あまりに腹が立ったので、武田氏の動画に批判的なコメントを書き込んでやった。太陽光発電は共産主義とは無関係だし、リスクを分散することになると。その書き込みをしたのは北海道の地震の4時間ほど前のことだった。地震が発生したのは深夜3時頃で、私の書き込みは前日の23時頃だった。まるで大災害が起きることを私が予想していたかのような偶然である。

一極集中型のシステムは、素早い変化に対応できることは確かである。しかし、一旦トラブルが発生したときには、分散型システムのほうが対応が早いし、被害も小さくできる。一家に一台ずつ太陽光発電があれば、最低限の電源は確保できる。暗闇を照らすライトや情報を得るためにも、「非効率」だけれども、大規模発電の代替になる小規模発電を各家庭が利用できる環境を整えておくことが、リスクを想定内にできる有効な対策ではないかと思う。分散型システムの方が有利であるという考えは、インターネット・ネイティヴである50歳台以下の人々なら、わかるはず。

国家や大企業は無能であるからして、もはや彼らに頼ることはできないことが、彼らの度重なる対応の不味さから、我々は今年だけでも何度も思い知らされた。これでも国家や大企業を信頼するというのなら、庶民もまた本当に無知で無能で無責任であることになる。今上天皇が自ら「平成」を終わらせる理由を、「天皇の赤子」はしっかり考え直すべきである。

廃材天国TV - YouTube

「廃材天国TV」の秋山陣さん一家のライフスタイルを批判するようなコメントが多数見られるが、逆に私の目には、批判する人たちの方が想像力と創造力の欠如した正真正銘の馬鹿に見える。秋山さんは陶芸家なのだけれど、廃材を利用し、オフグリッドな生活をするようになってから、別の仕事が増えたそうだ。リスクを分散・最小化しているだけではなく、収入源も分散している。