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ブラック校則 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「ブラック校則」どうすれば――学校現場に変化の兆しも - Yahoo!ニュース

「コンプライアンス(法令遵守)」なる馴染みのない言葉が、いつのまにか日本中に広がっていた。最初に聞いたときには、ナンノコッチャという感じで、comply の派生語であるcomplianceであるということが文脈からもわからなかった記憶がある。

comply ( + with ) は「(〜という要求に)従う、応じる」という意味であることは大学受験のときか、大学生の頃に覚えたはずだ。しかし、一般的に使われる言葉ではなく、きわめて特殊な状況でしか使われないと記憶していた。それがいつしか日本中に広まって、なにかあると「コンプライアンスを守れ」「法令遵守の精神で」うんぬんかんぬんというご託宣を聞くことが多くなった。気分が悪い。

そういう言葉を聞くと、「誰が決めた規則なのかわからないものに一方的に従えと抜かすとは、お前はいったい何者だ? お前に何の権利があるのだ?」と、いちいち反論したくなる。「どうせ密室で決められた規則なんだろうが」と。

私が3年間通った中学校は、男子生徒は丸坊主にしなければいけないという校則があった。しかし、隣の中学にはそんな規則はなかった。数百メートル先に越境すれば、そんな校則に従う必要はなかったのだ。しかし、さすがに家ごと引っ張っていくことはできない。小学校を終えて、床屋さんに行って丸坊主になった日、私は悔し涙を流した。そのときに記憶は鮮明に残っている。母親に「似合うじゃないの。昔はみんな丸坊主だったのよ」と笑われた。私はその笑いが嘲笑に思えて、その冷淡さを許ることができなかった。男の子が丸坊主だった時代は、日本が愚かな戦争をしていた不衛生な頃と、その直後だけである。

そして、3年後の卒業式の日に、「俺たちもやっとシャバに戻れたなあ。もう二度とこんなところには戻るまい」と友人(戦友)たちと笑顔で言葉をかわし、別れた。そんな不愉快な思い出を消去するために、坊主頭の私は勉強に励み、不合理な校則のない地元の進学校に進んだ。その高校には制服もなかったし、校則もあるようでないようなものだった。誰も校則など気にかけるものがなかった。誰もが自主的に行動することが求められ、大人として扱われた。学生運動の結果だったらしい。

そういう経験を経てきた私は、いまだに「お仕着せ」が大嫌いである。みんなで決めたことなら、従うつもりだが、私が議決に参加できない状態で決まったことに従わなければいけないことが許せない。もちろん、国家の単位でも、地方自治体の単位でも、私を納得させるには単位が大きすぎるだろう。だから、密室で決められた法令にも従わざるを得ないのはわかっている。しかし、それにしても、不合理な規則は許せない。その規則が設定されたことに根拠があるのならまだしも、昔からそうだからと言って、お前も従えと他人に押し付けるのは、どうかと思う。その思考停止状態は犯罪的である。

「校則」そのものが、憲法違反であるという考えもあるようだ。校則そのものに笠に着て、いばるような教師が少しずつでも減っていくことを願う。教師というのは、民主主義を支える市民を育てる重要な役割を持っている。その精神を理解していない人が日本には多すぎる。学校は株式会社ではないのだ。