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飲酒の強要は「レイプ」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

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もはや今は嫌なものは嫌と言える時代じゃないんですか?職場でいまだにこのような野蛮な習慣が横行しているというのであれば、民事裁判で会社を訴えたほうがいいと思います。酒が飲めない人や、酒の場が嫌いな人にとっては、飲酒の強要は「レイプ」に近いんですよ!

30年前、私が大学生だった頃は、指導教授に飲酒やカラオケを強要されたり、セクハラ発言もさんざんされました。本当に嫌でたまりませんでした。あのときの屈辱はいまだに許せません。高校は制服も校則もなく自由でよかったですが、中学校では男子は全員丸刈りを強制されました。それが嫌でたまらないので、学区外の中学校に行きたいと親に相談しても、「馬鹿なこと言うな! お前は丸刈りが似合うよ」と無視され、失望しました。中学を卒業するときは刑務所から出所するような気持ちで「お務めご苦労さん」と友人たちと屈辱的な学校生活を労いました。

小学生の頃、私の周りでは体罰は日常でした。授業中に私語をしただけで、担任の教師に顔面は張り飛ばされるは、膝蹴りを食らうは、もう散々でした。友人は頻繁に教室の外のコンクリートの廊下にぶん投げられていました。教員が絶対権力を行使する恐怖政治が横行していたのです。それはもう体罰と言うより、暴力とか虐待とか傷害事件とか表現したほうが良いほどでした。その先生のクラスで一度、お別れ会をするかどうかという議題でクラスで採決をとったことがありました。男子は全員お別れ会をしない側になって、女子はみなお別れ会を開く側になり、男子と女子で真っ二つに分かれてしまいました。それを訝しく思った担任の教師は、「お前らは周りの意見に左右されただろ!」と男子だけに詰問し、「お前は誰の意見に左右されたんだ」と一人ひとりに質問していきました。クラス委員を務めていた友人は「自分の考えです」と言うと、「嘘をつけ」と言って思いっきりビンタされ、吹き飛びました。我々は教師の強圧的な態度に恐怖を感じました。教師はもうひとりの男子にも同じ質問をすると、彼は「何々君の意見に従いました」と答えました。彼はおそらく教師に忖度してそのように答えたのであって、それは本心ではなかったでしょう。我々はそんなお別れ会などというものをする理由がわからなかったのです。数秒後、その男子もぶん殴られました。教室の質問は「お前もか?」に変わり、次々に頬をひっぱたかれていきました。本当はやりたくないというのが自分の意見だったのですが、嘘をついて、目の前にいた友人の意見に従いましたと言いました。そのときはもうすでに殴られ慣れていた私は殴られる瞬間にいなすように体を引いて抵抗しました。それでも、若い大人が本気で殴ってくるのですから、痛いことは痛いです。

今考えると、なぜ全員一致の女子たちは殴られず、男子だけが殴られたのか不思議です。矛盾しているのです。単に教師がお別れ会を開きたいという気持ちを持っていたからでしょう。そのあと、我々はやりたくもないお別れ会を開いたはずです。何をしたのか、まったく記憶にありません。一発芸でもやらされたのでしょう。そういうクレイジーな人権無視の時代から日本も脱し、ようやく文明化されてきたと思いますが、まだまだ改善の余地はあるはずです。

好意的に解釈すると、私の上の世代たちは、社会がそのような不条理な暴力に支配されているのであるから、個人はそれに合わせられるように、つまり暴力に耐えられるようにすることが教育だと思い違いをしていたのでしょう。本来は、そんな暴力の支配する社会のほうが個人に合わせるべきだったのです。我々は子供だったので、考えが足りませんでした。棺桶に片足を突っ込んでいる年齢にさしかかった私は、そういう時代を思い返し、苦々しく思います。いつまでも他人の人権を無視するような社会が続いては絶対にいけません。