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「べき思考」から抜け出すには? [健康・メンタルヘルス]



私はこう思うようにしてから、「べき思考」から脱出できました。

ダメなのは私だけではなく、人類全体だ。そういうものだから、がむしゃらに努力せず、いい加減にやっておけばいいんだよ、と。

そんなふうに「コペルニクス的転回」を得てから、心が楽になりました。

考え方が変わったのは年を取ったせいでしょうね。長く生きていると、いろんな人に出会い、彼らの人生を知ることができます。当然ですが、彼らは全員完璧な人間ではありません。そんな人はほぼいないのです。というか、会ったことがありません。ということは、自分が理想とするような人生を送っている人なんか、めったにいないのでしょう。年収が高くて、一見裕福そうな暮らしをしている人もどこか常にもやもやとした不満や不安を抱えているはずです。人間というのはそういう生き物だと思います。

向上心のある人にとっては、自分の不甲斐なさの原因を分析し、その対策を講じ、問題解決を積極的に図っていくことも重要なのでしょうが、しかし、それは一人の人間の努力だけでは難しいことです。自分の評価なんて環境によって大きく変わるからです。自分が置かれている環境が自分に好意的であれば、どんどんやりたいことを推し進めていくことができ、自己肯定感を高めていくことができます。しかし、圧倒的多数はその反対の環境に置かれているはずです。そんな環境ではいくらがんばってみても、芽も出ませんし、ましてや花なんて咲きません。植物のようですが、冬が過ぎて、春が来ることをじっと待つしかないのです。

もちろん、我々は動物ですから、自分で動いて環境を変えることはできます。それができる人は、どんどん違う場所に行くのもよいのでしょう。しかし、そんな体力や適応力があるのは若いうちだけです。年寄りは、いまいる場所で、枯れていくしかないのです。自身の死に至る過程を愛情あるまなざしで楽しむことに喜びを感じられるようになれば、ちょっとした幸福感は得られるものです。他人から見たら恐ろしくつまらない人生も自ら楽しめるようになるのです。それでいいんじゃないかと思います。

先日、私はある事実に気づいてしまいました。昔読んでいた小説を読み返したときに、解釈が180度変わってしまったのです。小説の語り手は登場人物たちをダメ人間としてみなし、この状態から脱出する努力をしないといけないんだというメッセージを発していると、若い頃の私は解釈していました。しかも、それが業界のデファクトスタンダードの解釈です。

しかし、いまの私は、同じ小説を読みながら、「人間というのはこういうものだよ、仕方がないんだよね。それが人間が人間たるゆえんであり、微笑ましいんじゃないか。これがリアルなんだよなあ」と余裕をもって見られるようになりました。完全な異端の解釈ですが、私のほうが正しいんじゃないかと思います。



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