SSブログ

ニュースダイエットの勧め、再び [雑感・日記・趣味・カルチャー]



ニュース断ちこそが精神的健康を保ち、脳を活性化させ、時間を無駄にしないための秘訣です。私もテレビのニュースなんてほとんど見ません。冷静に考えたら、私にとって重要なニュースなんてめったにありませんからね。他人の死など私には一切関心がありません。ましてや、誰が死のうともショックなんて受けません。悲しみに包まれることもないのです。

自分の父親が亡くなったばかりですが、私は目の前の目標を達成するために、淡々と自分の人生を生きることしか今は考えられません。それだけで精一杯です。済んだことは済んだこと。いくら悔やんでも元に戻れるわけではないのです。

ジャン=リュック・ゴダールのようなヌーベルバーグ作品では、人が死んでも他人に何の影響もなく、時間は過ぎていきます。それがこの世界の有り様です。ニュースはどこかの知らない老人が火だるまになって死んだという情報をデフォルメして、まるで一般市民にとって重大事であるかのように見せかけます。別に誰が死のうと、そんな人たちの替わりはいくらでもいます。替わりがいないということのほうが私には問題に思えます。

岸田総理は彼の暗殺が「民主主義への挑戦」だと言っていたようですが、むしろあの男のほうが民主主義を破壊しようとしたのですから、射撃犯は彼の意図とは無関係に民主主義を守ったのです。選挙の応援演説を妨害したという意味では、確かに「民主主義への挑戦」かもしれません。しかし、あの男が日本を破壊するチャンスがなくなったことはたいへん歓迎すべきことです。こんな意見はマスコミは伝えることはないでしょうし、ヤフコメでもこんなことを書いたら削除されることになるでしょう。

いいですか、そうやって(権力者批判のような)言論を弾圧することこそ「民主主義への挑戦」なのですよ。いずれにせよ、大したニュースではないのです。それより、あの男が引き起こした日本の没落や、原発事故などの責任を誰が取るのか、そちらのほうがはるかに大きな問題です。凡人と愚人の集団である自民党には今後も一切責任を取るつもりはないでしょう。今回の暗殺事件の報道を追いかけて、あーでもない、こーでもないとネズミのような脳みそをフル活動させる暇があるのなら、我々は自分たちにとって喫緊の課題を深く考えなければいけません。

あの男のことはもう忘れましょう。教科書からもきれいすっきり消し去りましょう。あの男が君臨していた忌まわしい陰鬱な時代は、少なくとも私の生涯からは、なかったことにしたいです。今後は顔を見ることも、声を聴くこともなくなるというのは、たいへん喜ばしいことでございます。



共通テーマ:ニュース