SSブログ

ビジネス現場でこそ役に立つ「人文学」の学び直し 人気ポッドキャスト「コテンラジオ」設立者に聞く [資格・学び]

ビジネス現場でこそ役に立つ「人文学」の学び直し 人気ポッドキャスト「コテンラジオ」設立者に聞く

人文学は勉強するだけ無駄、役に立たないとか、理系のほうが実用的で、金になるとか言っている人は、(私にとっては)人文学の奥深さを知らないだけの無教養な人という扱いです。バカは相手にしないのです。右左だけ見て、前方を確認せずに信号に突っ込むような人に思えます。ちゃんと見ているようで、本当は世の中のことをしっかり見ていない人たちです。見ているふりが上手な人たちだと私は軽蔑しています。

学問の中心は哲学です。その下に文学や神学、歴史学、人類学などのカテゴリーがあり、科学はそれと同列の位置にあります。文系と理系という分け方は間違っており、科学は哲学の中に含まれるのです。なぜなら哲学の始まりは自然哲学でしたから。この世界はどういう物質でどのように構成されているかを問うのが自然哲学です。それが科学と名称を変えただけです。Scienceの語源は知ることです。sciはconsious(意識して)の中にも含まれます。conscience(良心)の中にも含まれます。

一方、哲学は英語ではphilopsophyですが、philoが好む、愛するであり、sophiaが智です。知ることを愛するということですが、そこには知りたいという気持ちが強く反映されています。scienceとphilosophyがいかに近いものであり、別の分野ではないことが語源からもわかると思います。

世間では、実学と虚学を区別し、虚学を馬鹿にする傾向があります。虚学に携わっているものは、逆に実学を馬鹿にすることもあります。いずれの側の人間も何もわかっていないのです。全体像を見たいという願望を持たない人は奴隷にすぎません。

教養というのは、英語ではLiberal Artsです。自由になるための技です。自由人が自由人であるために必須の知識や根本思想が教養なのです。日本ではクイズ王みたいな人が教養のある人と言うイメージですが、それこそが日本人の底の浅さを露呈しています。恥ずかしいと思うべきです。

教養というのは、そういうものだけを指すのでありません。ものの見方の問題です。

人間はみなperspective(遠近法)の虜囚です。固定された視座からしか見えていないのです。自分に近いものは大きく、かつ価値があるものに見え、反対に自分から遠いものは小さく、かつ無価値に見えるのです。実際はそうではないことは誰にでもわかるはずです。それなのに、教養のない人は、悲しいかな、そのバイアスに囚われて身動きができないのです。

その隷属状態から解放してしてくれるのが教養であり、人文学です。それがビジネスに役に立つのかどうかと言ったら、当然役に立つはずです。誰も疑問を抱かないと思います。それを否定する人は、その程度の薄っぺらい人なのだということです。