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人生のピークはいつが望ましいか? [健康・メンタルヘルス]



人生のピークは70歳に設定しておくのが最適解だと益田先生はおっしゃっています。その理由は、人生の終わり近くに良いことが待っていると思うほうが幸せだから。私もその考えに倣いたいと思います。

昔々、若かりし頃に、何かの占いで、「お前は大器晩成であり、花開くのは55歳からだ」と言われました。街の占い師の診断ではなく、インターネット上の占いサイトに名前か何かを入れて出力された結果です。いずれにせよ、怪しいですけどね。しかし、そのとき、「ああ、なるほどねえ」と妙に得心が言った記憶があります。25歳くらいだったかと思います。あれからもうすぐで30年経ちます。

その占いの結果に私の意識が支配されたのかどうか定かではありませんが、以来、ガツガツ生きるのはやめました。というより、しばらくガツガツしていたのですが、だんだん自分の人生はいくら努力しても認められないという運命に気がついてしまい、環境が好転することをひたすら待つという意識になりました。

自分の夢が叶うかどうかは、必然的な要素の強い自分の内部要因だけではなく、偶然性の支配する外部要因(環境)に大きく左右されるものです。私がいくらもがいても、うまくいかないときはうまくいかないのです。諦めるしかありません。そのときが来るときまで、じっと何十年も待つしかないのです。たいていの人はそのまま一生を終えます。このままいけば、私もそうなることでしょう。

私は大器晩成で、55歳以降に花開くという占いによって潰されたのかもしれません。しかし、それを沈没船に投げ込まれた浮き輪のようにしがみついてここまで生きてきました。

占いに従えば、もうすぐ私の人生のピークが来る予定ではあります。しかし、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のように、永遠に来ないかもしれません。それはそれで幸せなのかもしれません。来てしまったら、そこで終わりだからです。停止条件付契約のようなものです。予定が実現するのを待っている間こそが幸せなのですから。


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