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「やむをえない」のイントネーション- 広辞苑無料検索 NHK日本語発音アクセント辞典 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「やむをえない」の検索結果 - 広辞苑無料検索 NHK日本語発音アクセント辞典

私もこのイントネーションと同じなのですが、関西の方の人は冒頭の「や」と「え」にアクセントが来るようで、違和感を覚えます。

それはともあれ、私がここで書こうと思っていたのはそういうことではありません。私が気になっているのは方言ではなく、言葉の誤用の方です。


能登半島の震災をきっかけに再び「募金」という言葉がメディアで踊るようになりました。一般の人々の多くが、「募金」という熟語を「寄付すること」と同じ行為を表す言葉だと勘違いしているようです。その言葉遣いに私は強烈な違和感を抱いています。(「課金」という言葉もいまの若い人は正反対の意味で使っています。自分の言葉遣いに地震がない人は辞書で調べてみてください。我々の上の世代は「兵隊さん」なんて言葉を一人の兵士に対して使っていましたが、あれも誤用です。)

辞書で調べてみるまでもなく、「募金」は「寄付金などを募(つの)ること」。「募る」というのは「広くよびかけて集める。募集する」という意味です。

したがって、募金をするというのは、支援団体側に立って、誰かから寄付金を集めることを指すわけです。募金するのは寄付金を集める側であり、寄付をするのはお金を出す側です。その関係が曖昧だったり、間違えていたりすると、誤解のもとになります。文脈に依存できるのであれば、いっこうに構いませんが、それを翻訳したり、文章にしたりするアカデミックな状況では、まったく通じないことになります。誤用に無頓着な姿勢は語学学習には障害でしかなく、ポジティヴな効果はありません。

世の中には、耳学問の人がたくさんいます。耳学問というのは「自分で学んだのではなく,他人の話だけから得た知識。聞きかじりの知識」を指すのはご案内の通(とお)りです。字の読めない幼児の段階では可愛らしいのですが、高齢者になってまで、間違った言葉遣いをしているのは、他人に対して不快感しか与えません。

耳学(じがく)の人たちというのは、耳で聞いて覚えただけなので、自分勝手に解釈してその言葉を使う傾向があり、また、漢字で書くことができないものです。細かいことは気にせず、通じればいいというおおらかな性格なのかもしれませんが、アカデミックな場ではバカにされるだけです。私はそういう人と話していると、何を言っているのかわからないので、ストレスが溜まります。その言葉は、本来、こういう意味で使われるはずですし、英語に訳したら、こうなるのですから、あなたが想定している意味は、それとは正反対になって、日本人にも通じませんし、英語に翻訳したときにも、違う意味になってしまいますよ」と噛んで含めるようにおせっかいに説明したくなることがあります。もちろん、しませんけどね。

英語ができない人、英語ができていると勘違いしている人にも見られる傾向です。英会話至上主義の文部官僚や教師たちは耳学問のオジサンやオバサンを製造しようとしているのと一緒です。まったく恥ずかしいことです。彼らによって製造された耳学問の人たちは学問には興味がそもそもないので、自分勝手に言葉を作って、いや、間違って覚えてしまって、それが自分だけの造語であることに気づかないまま大人になります。ヤフーニュースのコメントを読めば、2人に1人はそのタイプであることがわかります。

「ネイティブ」というのは所詮そういうレベルの人達です。英語圏のネイティブの多くも同じです。私はある時期から、ネイティブだから偉いわけではなく、日本語のネイティブと同じように単純に馬鹿な奴らだと思うようになりました。彼らの話を聴いているといかにレベルが低いかがよくわかります。そういう人たちに無駄に憧れる日本人の英語好きを見ていると、私は情けないと思っていまいます。これは決してやむをえないことではないと思います。

















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