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【ミニマリストの真実】ミニマリスト全員が注意すべき落とし穴【なった理由は後付けでした】 [健康・メンタルヘルス]



ミニマリストを自称し、ミニマリストとして生きていこうとしていたのは、ミニマリストであることが自分の価値観に合っていたからではなく、単純に自己承認ができていなかったからだと気づいたとのこと。ミニマリストであることを心の盾にして、見たくないものから目をそむけて、心に蓋をしていたのは、自分軸ではなく、他人軸で生きていたということです。ミニマリストの中には、そういう人も多いのかもしれません。そこが断捨離という思想を体現できている人とは根本的に違うところでしょう。ミニマリストを自称する人たちって、おしゃれな部屋のおしゃれな家電やガジェットを見せたがりますよね。そのあたりからして私には理解できませんでした。ものがないことが幸せとどう直結するのか未だに私にはわかりません。貧乏なだけでしょう。アフリカとかの本当に貧乏な人達の前で、ものがないことが幸せだなんて言ったら嘲笑われるか、怒られてしまうでしょうね。

断捨離の人たちは、自分は自分、他人からどう見えようとも関係ない。自分がやりたいようにやれればいいという信念を持っています。自分を苦しめるものから距離を置くのです。邪魔なものは邪魔なので、そばにおいておく必要はありません。そうやって自分に心地よいものだけを自分の周りに侍らせるのです。他人からどう見えるかなんか、気にしません。他人の目という観点から言って、わざわざYouTubeで自分の生活を見せ、ミニマリストがいかにすばらしいかなんてことを他人に言わないでしょう。そういう行為自体、他人軸で生きている証拠です。

この方は、その真実に気づいてしまったことで頭が真っ白になってしまったそうですが、それが成長というものです。私も半世紀以上生きてきて何度も似たような経験はしています。自分の見ている世界の視野が広がる経験です。そのたびに外の世界はもっと広いんだと思って絶望しました。

若い頃は知識欲が旺盛で、小田実(おだまこと)ではないですが、いろんなものを見てやろうと思っていました。しかし、人間には限界があるし、仮に全部見ることが出来たとしても、それは自分にはそう見えているだけであって、バーチャルなリアリティに過ぎないのです。芥川竜之介の『羅生門』みたいなものです。何が真実なのか誰にもわかりません。

仮に世界を自分の視野に収めることが出来たとしても、絶対に自分の目で見ることが出来ないものが一つあります。それは自分自身の背中です。自分自身の全体を把握することは不可能なのです。一番遠いのは、自分の背中です。いくら頑張っても自分の目で自分の背中は見えないのです。世界中を旅しても、自分自身の背中は一生自分の目では見ることが出来ないのです。それに気づいたときに絶望しましたし、逆に、吹っ切れました。諦めようと。


それからは私は自己中心的な人間になりました。世間一般で理解されているような悪い意味ではありません。他人に迷惑をかけるような人間ではなく、自分自身を世界の中心に据えてものを考える人間ということです。自分が世界の一部であるという謙虚な態度も持ち合わせています。他の人達も同じ配置です。変な言い方ですが、他人は自分と同じように自分ですし、他人でもあります。そんな世界ですから、他人からどう見られようと、どう言われようといちいち気にするのは無駄だと思います。まさに、泰然自若、明鏡止水の心境です。

他人はその人独自の世界観を持っています。私の世界観とは相容れないところもたくさんあり、他人の意見は参考にはなるけれど、私にとっての最適解かどうかはわかりません。一見客観的なアドバイスに思える他人の意見に従えば、必ず成功するというわけではありません。たいていは失敗します。失敗したところで、その人は責任を取ってくれるわけでもないので、いちいち耳を傾けていられません。結局のところ、自分のやりたいようにやるしかないのです。世界中を旅し、古今東西の本を読み漁っても、結局、自分の背中さえ自分の目で見ることができないようなロクデナシな自分は完璧を目指す資格はありません。赤の他人に自分の生き方を承認してもらおうなんて傲慢すぎます。バカでロクデナシだけど、人間はそういうものだよね、という部分で、共感しあえればそれでいいじゃないですか。最低限私達が持ち合わせておきたい良心はそういうものです。
























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