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心の病気にならない10の技法 精神科医目線で語ります [健康・メンタルヘルス]



心を病まないために我々がすべきことは、煎じ詰めれば、こういうことです。

幅広い知識(教養)を身につけて物事を大局的に見て、自分の運命や(このくだらない!)社会を受け入れることです。自分自身を縛り付けるあらゆる拘束服を脱いでリラックスするということが自由の意味なのです。自由になれば、心を病む隙を他者に許すことはありません。

自分を拘束するものの中には、意識に上るものもあれば、可視化できないものもあります。見えないものを見えるようにして、そこから距離を取るために有効なのは、西洋の伝統である教養(リベラルアーツ)です。リベラルアーツは自由人になるため(奴隷にならないため)の学芸のこと。芸というのは「習って身につけるわざ」(『大辞林』)、つまり技術のことですから、学芸というのは学びの技法です。古代ギリシャ、そして古代ローマに受け継がれた自由7学科に含まれるのは、文系分野としては文法、修辞、弁証、理系分野としては算術、幾何、天文、音楽があります。それらの分野に精通することこそが自由に自分らしく生きるための西洋の伝統となっています。したがって、この自由7学芸(リベラルアーツ)を学ばない人というのは、他人にこき使われ、精神をボロボロにされてしまう奴隷にすぎないのです。少し前の日本では、大学から教養課程を放逐し、24時間働ける奴隷を作ることに躍起になっていましたが、いまは自分たちの重大な間違いに気づき、リベラルアーツを看板に掲げる大学も増えてきました。良い傾向だと思います。

ある分野だけに特化していると、視野が狭くなり、全体を見渡せず、新しいものが生み出せなくなります。新しいものというのはつねにこれまであったものの新しい組み合わせに過ぎないのですから、その組み合わせに必要な知識を欠いている人たちしか育てられないのであれば、それは国家の教育政策としては破滅に向かうものとなります。そんなことを日本は30年以上も続けてきたのですから、そりゃあ、心を病む人が増え、生産性が低い国になり、「衰退先進国」になるのは当然だろうと思います。

リベラルアーツの重要性に改めて気づけるようになった人たちが知るべきことは、当たり前ですが、知識を身につけるだけでは、まだ弱いということです。それを補強するのが、日本の伝統と言える禅の瞑想です。西洋ではマインドフルネスと呼ばれ、宗教色が脱色されていますが、やることは同じです。マインドフルネスのポイントは、とどのつまりは、他人に無用に惑わされないような心の強さを身につけることです。教養を高める一方で、その教養から距離を置くために、その技を日々トレーニングするというわけです。

こうして、東洋(日本)の伝統である禅の瞑想(マインドフルネス)を融合させることで、我々は両輪を備える乗り物になり、安定的に前進することができるようになるはずです。そんなイメージをもって生きている人は、いまの日本にはどれくらいいるのでしょうか。自分が見ている現実にべったり張り付いて、文句ばかり言っているようなアホしかいない気がします。そんな馬鹿に囲まれているからこそ、心を病むのです。そんな人たちに私が言いたいのは「彼らから離れよ!」です。愚かしい人たちから積極的に距離を置かないと、自分の精神と身体を悪くするだけです。




話が飛びますが、今朝は4時起き。5時から留置権の勉強を1時間くらいしました。このあとまた続きをします。週末までには、民法IIの2周目は終わる予定です。こうして勉強や仕事で忙しくしている私には、心を病む暇はまったくありません。毎日おもしろくて仕方がありませんから。






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