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稀勢の里のこと [雑感・日記・趣味・カルチャー]

稀勢の里「歪なナショナリズムのアイコン」として政治利用された相撲人生! 受け続けた「日本スゴイ」の重圧が…|LITERA/リテラ

白鵬以外は、どの横綱も本当に横綱の資格があるのか疑問である。稀勢の里が横綱になったときに、「どうして、彼が横綱になれるの?」という不思議な感じがしたことをよく覚えている。そして、19年ぶりの日本人横綱だと、マスコミが浮かれ騒ぐ様子を見るにつけ、大きな不安を感じた。

案の定、横綱になってから一度も優勝できず、休場が続いた。しかも、出れば格下の関取たちに金星を与え続ける始末。結果、とうとう現役を引退してしまった。「一片の後悔もない」などと、どの口で言えるのか。まるで赤塚不二夫のナンセンスギャグ漫画である。

金星を取った関取は、給料が上がるシステムになっているので、弱い横綱は、相撲協会にとっては経営を悪化させる存在でしかない。そんなダメな稀勢の里を横綱にしたのはいったい誰なのだろうか。責任者、出てこい!

もちろん、横綱審議委員会のメンバーが悪いのではなく、時代の風潮が、彼らをして、そうさせてしまったのだろう。本当は情けない日本の現実を隠蔽するための装置としての「日本すごい」という掛け声の圧力に、横綱審議委員会が押し出しをくらって、負けてしまったのだと思う。

日本人力士が弱いのは元からわかっていることなので、潔く受け入れるしかないだろう。ところが、それを認めたくないというわがままな日本人が、モンゴル人などの外国人力士を外敵に仕立てて、相撲を観戦しているらしい。下品極まりない。彼らは筋金入りの本物のファンなのだろうか。

連中は、オリンピックやワールドカップ開催中に、湧いて出てくる蛆虫どもと同じ穴の狢であろう。そんな連中はきっとオリンピックや相撲の精神を理解していないに違いない。オリンピックでは、競い合うことを通してともに高め合うことを重視する。相撲では、心技体のバランスを追求することが最重要課題なのだと思うが、そういう基本さえ理解できない教養のない人たちが、角界を歪めていることを遺憾に思う。